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米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を読む


米原万里はロシア語同時通訳として知られていたらしいが、日本共産党の幹部で衆議院議員だった米原昶の娘である。本人も大学時代に共産党員になったが、党を批判したかどで除名処分をくらっている。だから、父親のように、生涯を共産党とともに活きたというわけではない。しかし、自分をコミュニストとしてアイデンティファイしていたようだ。

父親の米原昶が、1959年から五年間、国際共産主義運動誌「平和と社会主義の諸問題」の編集委員として、日本共産党を代表する形で、編集局のあるチェコのプラハに赴任したため、万里も父親とともにプラハにわたり、そこにあるソビエト学校なるものに転入した。これは、実質的にはソ連大使館が運営する学校のようで、東欧圏をはじめ世界50か国の子弟たちが集まっていた。万里はその学校に9歳から14歳までの五年間在学したのであったが、彼女のエッセー風小説「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、その折の学校の雰囲気とか、仲の良かった友達との友情を描いている。

三部構成で、それぞれ仲の良かった女ともだちとの友情がテーマである。「リッツァの夢見た青空」は、ギリシャ人の両親を持ちながら、政治的な理由から一度もギリシャの土を踏んだことのない少女リッツァとの友情、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、虚言癖がありながら、おおらかな人柄で皆から愛されているアーニャとの友情、「白い都のヤスミンカ」は、ユーゴスラビア出身で、祖国としてのユーゴスラビアに強い愛着と誇りを持つヤースニャとの友情を、それぞれ描く。

学校時代の思い出だけでなく、卒業後それぞれバラバラになって、互いに行方を知らない元友達との、数年ぶりの再会も描かれている。リッツアはあれだけあこがれていたギリシャに、民主化以後も行くことがなかった。彼女はドイツで暮らすことを選んだのだ。その理由は、ギリシャでは、女は人間扱いされないということだった。アーニャは、イギリス人の男と結婚しロンドンで暮らす一方、両親はブカレストの豪邸で貴族のような暮らしをしている。チャウシェスクが倒れた後も、共産党の組織は権力を握り続け、党の幹部であるアーニャの父親は特権的な待遇を受けているのである。ヤースニャは、ユーゴスラビアの首都ベオグラードにいたが、彼女自身はボスニア・ムスリムなので、民俗紛争の激化にともない、迫害されることも予想される。

そんな具合で、万里が仲良くなった友達はみな、祖国とか家族のことで、それぞれ深刻な問題を抱えているのである。それに比べれば、米原万里は平穏な暮らしができているということらしい。

三部それぞれに読ませどころがある。リッツァは勉強はできなかったが、性的なことについては、おそろしく早熟だった。まだ何も知らない万里に向かって、「男は惹かれる女の人とセックスしたくなるものなの。矢も楯もたまらずチンポコを女のあそこへ入れたくなるものなのよ」などと講釈してくれる。そんなわけからか、米原も「腐れマンコ」などという、小生でも赤面せずにはいられぬ言葉を平気で使うのである。

アーニャについては、米原はアーニャ本人よりも、その両親の生き方に強い批判意識を感じる。共産党員であるその両親は、ルーマニアの貧しい庶民の暮らしとはまるで別世界で豪勢な生活をしている。それは共産主義の理想とはあまりにもかけ離れている。そう思った米原は、「父の夢見た共産主義とあなたの実践した似非共産主義を一緒くたにしないで欲しい! 法的社会的不平等に矛盾を感じて父は自分の生まれた恵まれた境遇を捨てたんです! あなたが目指したのは、その逆ではないですか」と心の中で叫ぶのだが、無論声に出すことはない。

ヤースニャは、理知的で抑制のきいた性格の少女として描かれている。だが、茶目っ気がないわけではない。科学の教師が、人間の身体のうち、充血すると六倍の大きさに膨張する器官がある、それは何か、と問題をだす。クラスのほとんどの者は、勝手な想像をめぐらして大笑いする。ところがヤースニャは平然として、それは瞳孔だと答える。たしかに瞳孔は、光の具合に応じて、六倍くらい大きくなる。それに対してペニスのほうは、せいぜい二倍くらいだろう。

こんな具合に、それぞれ仲がよかった女友達との愉快な思い出が次々と語れらるのだが、なにせ50か国から集まってきているということもあり、民俗性の相違についても触れられている。これはおそらく米原自身の思いなのだろうが、ヨーロッパの諸国の人間は、東のほうほど御人好しで付き合いやすいということらしい。ロシア人などは御人好しの限りというのである。それに対して西側は、あまり親身を感じさせない。その例としてドイツ人が引き合いに出されているが、アングロサクソンやフランス人にも付き合いづらいところはあるのだろう。




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