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藤原帰一「デモクラシーの帝国」を読む


藤原帰一の著作「デモクラシーの帝国」(岩波新書)が分析の対象としているのは、同時代のアメリカである。この本が出版されたのは2002年9月のことで、例の9.11から丁度一年がたっていた。その一年の間に、ブッシュ(息子)がテロとの戦争を宣言し、国際社会の動向を気にすることなく、いわゆる一国行動主義によって、アメリカによる大規模な戦争に突き進んでいた。そのアメリカに対して、他の国はなすすべがなく、ただその言い分に唯々諾々と従うだけだった。そのように一方的な力の行使をするアメリカを藤原は「帝国」という言葉で表現する。帝国という言葉は、歴史的に由緒ある言葉であり、いろいろな解釈がまとわりついているが、藤原は一応、圧倒的な力を持つ大国が、世界を意のままに動かそうとする行動を帝国主義と名付け、今の(同時代の)アメリカは、まさに帝国であると喝破するのである。

そのアメリカにしても、自国の支配への欲望をむき出しの暴力としてあらわすわけにもいかない。たとえ美辞麗句に過ぎないとしても、なんらかのエクスキューズを必要とする。そのために選ばれたのが「デモクラシー」という言葉だ。アメリカは、デモクラシーのために戦うことで、世界を混乱から救う、というわけである。アメリカのロジックによれば、いまやデモクラシーは「普遍的な価値」であって、正しい国家は、その価値を共有すべきである。共有できない国は、デモクラシーの敵なのであるから、殲滅してもかまわないということになる。

そうしたアメリカの帝国主義的な野望を藤原は「覇権主義」とも言って、いまやその覇権主義が世界秩序を大きく揺るがしている、と受取っている。それは世界の安定という目的にとっては由々しき事態である。アメリカの覇権主義的な動きはそう簡単には止められないかもしれないが、しかしシニカルに陥ってはならない。藤原は国際政治学者として、国際関係をリアルな感覚で分析してきた自負をもっているようだが、アメリカを中心とした今の国際関係には、そうしたリアルな考えが衰えて、理念先行で大国の利害を粉飾しようとするところがある。それではいけないのであって、アメリカを国際政治の舞台に引き戻し、健全な国際社会を築いていく意思を持つことが必要である、と藤原は考えるのである。

ともあれ、藤原のこうした危機意識が、ブッシュ(息子)の狂気じみた好戦性への憂慮から生まれたことは間違いないようである。アメリカはブッシュ以前にも帝国主義の傾向がなかったわけではないが、ブッシュによってそれが全面的に開花したと認識しているようである。政治というのは、人間性を強く反映したものだから、指導者の資質が大きくものをいう。アメリカはブッシュという指導者のもとで、9.11を迎え、国全体がある種の狂気に落ちった。その狂気が、アメリカのもともとあった帝国主義の傾向を促進したということらしい。

アメリカの露骨な帝国への転換は、国際政治にさまざまのインパクトを与えていると藤原は見る。そのインパクトは、だいたいが否定的なニュアンスのものだ。一番大きなインパクトは、アメリカが国際社会の安定化に責任を持たず、自らの利害を露骨に追求することで、国連はじめせっかく築き上げられてきた国際秩序が崩壊の危機にさらされることである。国連については色々批判の余地もあり、かならずしも理想的状態とはいえないが、しかし、国際関係を安定化するために一定の役割を果たしてきたことは事実であり、国連の場で積み上げられてきた慣行は、世界秩序にとっての貴重な財産ともなってきた。その国連にアメリカが背を向け、一国行動主義に傾くならば、世界秩序は崩壊し、一気に弱肉強食の世界に逆戻りしてしまうだろう。それもまた非常に困ることなので、世界は何とかしてアメリカを、国際社会のなかに取り込まねばならない、というのが藤原の基本的な考えのようである。

アメリカの一国主義の影響はすでに深刻な事態をもたらしている。アメリカが自国のことしか考えなくなることで、ほかの先進諸国特にヨーロッパの国々も、自分以外のことは考えなくなった。その結果、ヨーロッパが密接にかかわる問題については熱心になるが、ほとんど関係のないこと、たとえばアフリカの民族紛争などには無関心になる。そのことからも世界は大きな不安定要因を抱えながら、事実上何もできないような事態に陥っている。じっさい国連は、一時期に果たしていたような、国際的な安定のための役割りを、いまではほとんど果たすことができないでいる。これは地球社会全体として憂慮すべき事態だというのが藤原の見立てである。

国際政治学者としての藤原の姿勢は、どちらかというと、理念より現実を重視するものである。理念を重視するあまり、いらぬ混乱を招くケースが多すぎる。最近のアメリカはそのいい例で、帝国でありながら、デモクラシーを質にとって、自分の行動を理念的に正当化しようとしている。そこに藤原は深刻な欺瞞を見る。理念で飾られた欺瞞を見るよりも、リアルな現実を踏まえたやりとりをみるほうがずっと健全な眺めである。そう藤原は言いたいようである。




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