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濱口桂一郎「新しい労働社会」


労働法学者の濱口桂一郎氏は、雑誌「世界」5月号所収の論文(「労使双方が納得する」解雇規制とは何か)の中で、安倍政権の中で議論されている解雇規制の緩和について、それが日本の雇用の歴史的な経緯を無視した乱暴な議論であり、国際的な解雇規制のあり方からしても問題が多いと指摘していたが、その論旨は労働法制にあまり詳しくない筆者などにも非常にわかりやすかった。そこで氏の論理の背景となっている考え方をもう少し詳しく知りたいと思って、「新しい労働社会~雇用システムの再構築へ」(岩波新書)を読んでみた。

氏の基本的な姿勢は、「労働問題に限らず広く社会問題を論ずる際に、その全体としての現実適合性を担保してくれるものは、国際比較の観点と歴史的パースペクティブである」というものである。そうした姿勢を貫けば「常識はずれの議論に陥らずにすみます」というのである。たしかに産業競争力会議の議論などを聞いていると、非常に視野が狭いというか、要するに世間の常識とかなりかけ離れているという印象を受けるが、それは国際比較の視点と歴史的なパースペクティブが欠けていることの結果だろうと思われるのである。

こうした視点に立ったうえで、氏はまず日本の雇用システムの特徴を簡潔に要約する。それは長期雇用制度(終身雇用制度)、年功賃金制度(年功序列制度)及び企業別組合の組み合わせである。

これらはそれぞれ、雇用管理、報酬管理及び労使関係の三大分野における日本の特徴を示すものだが、それを国際比較の視点からみるとかなりユニークといえる。というより、日本にしか見られない特殊な組み合わせなのだといえる。しかしそのユニークさも、歴史的な背景を持っているのであり、そうした歴史的なパースペクティブにおいてみれば、それなりにかなり高度な合理性を持っている。

日本型雇用システムというものは、長い間の労使関係の歴史を背景にして成立してきたものなのだということをまず踏まえねばならない。そうせずに、単純に外国の制度を横引きしようなどとすると、とんでもないことになりかねない、そう氏は強調するのである。

雇用のあり方に関して、他の先進国との最も大きな違いは、日本では職務という概念が希薄なことだという、他の先進国は具体的な職務の存在を前提にして人を雇う、それ故、その職務がなくなれば不必要になった人は解雇される。ところが日本では具体的な職務に応じて人を採用するという風になっていない。会社のメンバーシップの付与という形をとっている。

そこから、一旦採用されたからには、原則として終身雇用が保障されるという風になっている。終身雇用システムの中で、社員は色々な仕事を次々と経験しながら、社内の地位も上昇して行く。そのシステムの中では、賃金は職務に応じたものと云うよりは、社内における地位や在職年数などによって決まる。それも、若い頃は低賃金で、中年になり家族を養い子どもの教育の責任がある時期には高くなるという具合に、年功型の賃金体系になっている。また、労働組合も他の国のように職種別の全国組織という形態はとらないで、企業内組合という形をとる。

このようなわけであるから、働き方、賃金、社会保障など、様々な分野で、日本は他の国とは異なった独自の文化を持つようになった。他の国なら、労働者は与えられた職務を単純にこなせばそれ以上のことは何も求められない、ところが日本ではブルーカラーと雖も企業への忠誠が求められ、人事考課の対象にもなる。賃金についていえば、他の国では同一労働同一賃金が徹底しており、日本のように非正規雇用が正社員と同じ仕事をしても賃金が低いなどということもない。また社会保障については、他の国では社会全体で支えようということになっている。ところが日本では終身雇用システムの中で、企業が社会保障のかなりの部分を担っており、その分国の仕事が少なくて済むという具合になっている。

どちらがいいか悪いか、それは価値観の問題になるが、雇用システム全体としては、日本も他の国も、労働者の生活が全体として維持できるようにするとともに、経営側の要請にもこたえられるように設計されている。つまりそこがシステムと言える所以なのだ。それ故、システムの一部だけを取り出して、たとえばそこだけアメリカ流のやり方にかえようとしても、うまくいくとは限らないのである。

ところがこの日本的な雇用システムが、近年様々なゆがみを呈するようになった。その最大の要因が非正規雇用の拡大であることは間違いない。

非正規雇用そのものは日本だけの現象ではなく、むしろ欧米では日本以上に広く見られる現象でもあるが、日本のような問題は表面化していない。それは欧米がもともと非正規雇用を包み込んだうえで雇用政策を展開してきた歴史があり、したがって長い歴史の間に、非正規雇用でも十分に生きていけるようなシステムが確立されてきているからである。ところが日本では上述の通り、終身雇用の正社員を中心にして雇用政策の体系が作られてきた。そこでの非正規雇用とは、主婦の家計補助労働とか学生のアルバイトが中心であり、したがって一時的・補助的な労働だとみなされていた。そういう前提からは、まともな非正規雇用対策は生まれてこない。

こんな状況の中で、就職できずに労働市場からあぶれてしまった膨大な数の人々が非正規雇用になだれ込んだ。彼らは、正社員と同一の労働に従事しながら低い賃金しか得られず、会社が不景気になれば真っ先に首を切られ、社会保障からも零れ落ちて、将来に希望が持てない。これでは日本の将来が暗くなるのも避けられない。

というわけで、日本はいま、非正規雇用対策を中心にして、制度の綻びを早急に繕うべき時期にきている、というのが氏の基本的な問題意識であると受け止めた。




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