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寝ながら学べる構造主義 |
内田樹の著作「寝ながら学べる構造主義」は、「寝ながら学べる」とうたってあるだけに、非常にわかりやすく書かれている。これなら、たしかに布団の中で読んでもわかりそうな気がする。書いてあることが、子供でも分かるほど単純なことだというわけではない、書かれている内容は、話題が哲学のことだから、結構複雑だ。その複雑なことを、わかりやすく噛み砕いて書いてあるから、寝ながらでも読めそうな気がするのだ。 これを読めば、哲学の初心者でも、20世に最も流行った哲学が構造主義といわれるものであり、それがどのような人々によって主張され、またどのような内容だったのかが、ひととおり俯瞰できるようになっている。だから、この著作を読めば、構造主義について、ひとかどの知識人になれることであろう。 そればかりではない。この著作は、哲学上の話題以外でも、いろいろな話題に富んでいて、それぞれのトピックについて、ひととおりの知識が得られる。その点では、単なる哲学入門とか、簡易哲学史という在り方を超えて、ある種の文明論にもなっている。 そんなトピックのうちでも、筆者が非常に裨益されたのは、日本人の歩き方についての歴史的、民俗誌的考察の部分だ。 我々現在の日本人は、たいてい誰でも同じような歩き方をしていると思う。躯体をなるべく真直ぐに伸ばし、右足を前に踏み出す時には左腕を前にふり、左足を前に踏み出す時には右腕を前に振る。つまり、左右の手足を交差するように運動させ、その結果身体が捻じれるような動きをするわけである。 現在の日本人には、この歩き方はあまりにも身についてしまっているので、日本人は太古の昔からこのような歩き方をしていたと思ってしまう。ところが、違うのだと内田は言う。徳川時代以前の日本人は、「なんば」とよばれる歩行をしていたというのである。 「なんば」というのは、右足を前に踏み出す時には右腕を前に振り、左足を前に踏み出す時には左腕を前に振る歩き方である。 この歩き方は、いまでは、相撲のすり足に名残をとどめているだけだが、徳川時代以前にはほとんどの日本人がこう歩いていた。それは、おそらく、日本の農耕文化と関係があるらしいと内田は推測する。水田の中で作業をするのに、このすり足の動作が非常に適しているので、これが日本人の標準的な歩き方になったのだろうというのである。 ところが、明治時代以降、この歩き方がすたれて、今のような歩き方に変わった。それには、明治国家による意図的な介入(教育のこと)があった。明治政府は、子供たちに、なんば歩行をやめさせて、いまのような歩き方をするよう徹底的に仕込んだというのである。 その理由には、西洋人と比べて日本人の歩き方がみっともないという審美的な要素もあったようだが、基本的には、「なんば」歩きが近代的な軍隊には適していないという判断があったようなのだ、 なんばについて内田が引用している甲野善紀によれば、日本最初の庶民の軍隊が西南戦争で西郷軍と戦った時、初戦では多くの兵士が西郷軍に切られた。それは、彼らがなんば歩きをしていたために、早く走ることができなかったためだった。それに気付いた明治政府は、その後、庶民の兵士に対して歩き方の改造を徹底的に行った。そして、その動きが教育現場にまで拡大し、すべての日本人がなんば歩きから今日的な歩き方へと変わっていったのだという。 つまり、今日の日本人の歩き方は、明治政府によって、権力的に矯正された結果普及したというのである。内田はこれを、権力というのは、国民の身体まで管理するということの例として持ち出しているのだが、その権力による国民の管理というテーマは、この著作の主要な研究対象たるフーコーの主要概念のひとつだったわけである。 内田は、歩き方まで管理しようとする日本の権力について、次のように述べている(批判ではない)。 「私たちの身体は、その時々の固有の歴史的・場所的条件に規定されて『歴史化』されています。明治時代にナンバで歩行することは『近代化』に抗うことでした。私が子供だった頃、朝礼の時にナンバで歩いた子供に教師は不必要なほど激しい叱責を加えていました。今にして思えば、あれがナンバで歩くことを、『国策としての身体の近代化』に異議を唱える反逆行為とみなした明治の学校教育の『名残』だったのです。 このように内田は、哲学を論じながら、我々の身の回りの、それこそなんでもないと思われていることの、歴史的起源について取り上げ、問題にしていく。それは、フーコーとその師匠であるところのニーチェの「系譜学」的な見方に連なる態度なのだろう。 ところで、「なんば」歩きを研究している上述の甲野が、「なんば」歩きの実際を再現した映像をネットで紹介しているので、それを見るのが早わかりだろう。この歩き方は、走るのには適していないが、長い距離を歩くには適していて、一日200キロくらい歩くことが可能だという。この歩き方だと、自然に身体が前かがみになり、それを利用して前へと進む力を効果的に増進できるというのである。 |
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