知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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高島俊男「漢字と日本人」


中国語学者の高島俊男が著した「漢字と日本人」という本を、丸谷才一が激賞したということを聞いて、丸谷が激賞するくらいだからきっと有意義な本に違いないと思って、読んでみた次第だ。読んでの印象は、期待を裏切らない有意義な本だというものだった。日本語としての漢字に関心を持っている人は、是非一読の価値があると思う。

日本語としての漢字に対する高島の基本的なスタンスは、「漢字と日本語とはあまりにも性格がちがうためどうしてもしっくりしないのであるが、しかしこれでやってきたのであるからこれでやってゆくよりほかない、ということ」、そして「われわれのよって立つところは過去の日本しかないのだから、それが優秀であろうと不敏であろうと、とにかく過去の日本語との通路を絶つようなことをしてはいけないのだということ」の二点である。

高島は、こうした立場に立って、戦後の日本語改革を痛烈に批判する。戦後の日本語改革の柱は、漢字表記の簡略化と仮名遣いの変更にあったが、このうち仮名遣いの変更については、それが日本語の過去の伝統を無視しているといって、丸谷才一が厳しく批判したことはよく知られているとおりだ。これに対して高島は、漢字表記の簡略化について、その行き当たりばったりな無定見さを痛烈に批判している。

漢字表記の簡略化を推進したのは国語審議会だが、この国語審議会なるものは、そもそも日本語の全面的音標文字化を推進することを目的とした機関だ、と高島は言う。日本語の音標文字化とは、漢字の使用を廃止して、アルファベットあるいは仮名文字だけで日本語を表記しようとするものである。この運動は、明治維新直後に異常に高まったのであったが、一気に漢字を廃するのは現実的ではないとの批判にさらされ、実現することはなかった。だが運動としてはずっと担い手がいたわけで、それが敗戦のどさくさに紛れて、自分たちの主張を部分的に実現した。その結果、日本語における漢字は、ますます妙なものになってしまったというわけなのである。

この国語審議会をリードしていたのは、明治の音標文字化運動の生き残り保科孝一とカナモジカイ理事長の松坂忠則であった。特に松坂の果たした役割は大きい。松坂は、高等小学校中退の学歴で、読めない漢字が多く、漢字というものに非常な劣等感を持っていた。その劣等感が高じて漢字撲滅の志を抱くようになったつわものだということらしいのだが、そのつわものが、敗戦の混乱期に直面して時期我に利する好機と判断したか、漢字の撲滅に向って邁進した。できうれば一気に漢字を撲滅するに越したことはないが、そうもいかない事情があるだろうから、とりあえず漢字の字数制限と標記の簡略化から手を付けて、いずれは漢字の撲滅と日本語表記の音標文字化を全面的に実現しよう、というような構想を抱いた。だから、国語審議会による漢字の字数制限と標記の簡略化は、漢字全滅までの過渡的な措置だということになる。過渡的な措置であるから、あまり厳密に考えることはない。どうせいつかは撲滅のうきめとなるのであるから、多少不都合があっても差し支えはない。そういうような無責任な姿勢によって漢字改革が実施されたと高島は憤慨しながら指弾するわけなのである。

このあたりは、中国語学者として、一方では漢字と日本語とのミスマッチを認めながら、漢字そのものの持つ体系的な整合性を重視する高島の姿勢が伝わって来るところだ。

そんなこともあって高島は、日本の漢字表記の簡略化にも、本家の中国における簡略化にも批判的である。だから江藤淳が、台湾がいまだに旧字体の漢字を使っている事態をさして、「依然として旧字体をそのまま使っている台湾」というような言い方をしたのをとりあげて、厳しく批判している。台湾のひとにとっては、中国や日本が漢字を簡略化したのは彼らが勝手にやったことであって、自分たちのあずかり知らぬことである。もしも台湾をそのような言い方で揶揄するのが成り立つなら、日本人については、「依然として旧国土にそのまま住んでいる日本人」と言わなければならなくなるというわけなのである。




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