知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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自然科学者としてのデカルト


デカルトは若い頃から自然観察に深い興味を示し、自然の体系に関する独特の理論を築き上げた。彼はその成果を30歳ころ「世界論」という著作にまとめたが、そのなかには地動説を支持する考えが述べられていた。ところがガリレオの地動説が弾圧されるのを見たデカルトは、この書物の出版をあきらめてしまった。

デカルトの自然学には、今日から見て古臭いところがあり、また理論的に間違っているものもある。そんなところから彼の業績は科学史の上ではあまり評価されていないが、その科学的な精神が、彼の哲学と数学にわたる業績を支えたことを考えると、もっと見直されてもよいだろう。

数学におけるデカルトの業績は、幾何学の分野に著しい。デカルトは座標幾何学の考案者とみなされてよいのである。これは座標を用いて、平面状の一点の位置を、二つの固定直線からの距離によって決定するというもので、デカルトはそれに代数学の方法を導入した。

このように幾何学に代数学を適用し、物体の位置や軌跡を計算する手法は、その後の数学の発展にとって、非常に大きな影響を与えた。

デカルトのこのような業績は、物体に関する彼のユニークな説とも密接な関連を有している。デカルトは物体の本質を延長だと考え、その空間的な特性を、数学を用いて明らかにしようとしたのである。

しかしこの考えが、自然理解の分野においては、デカルトに障害となったようだ。彼は物体が延長であることにこだわり、真空の存在を否定した。

デカルトは若い頃にオランダの学者ベークマンから影響を受けたが、そのベークマンは原子論者であった。それゆえ真空の中を原子が運動しているのだという世界像を抱いていた。これに対してデカルトは、物体とはあくまでも延長と同義なのであり、その延長に真空、つまり延長の不在を考えることは自己矛盾と思ったのだ。

デカルトはまた、「哲学原理」のなかで、三つの自然法則を主張している。

第一は、「いかなるものも、できるかぎり、常に同じ状態を固辞する、ということ」(野田又男訳、以下同じ)第二は、「すべての運動はそれ自身としては直線運動である」ということ。第三は、「一つの物体は、他のもっと力の強い物体に衝突する場合には、なんらその運動を失わないが、反対に、もっと力の弱い物体に衝突する場合には、これに移されるだけの運動を失う、ということ」

第一と第二の法則はニュートンの慣性の法則に対応している。第三は運動量の保存にかんする主張である。

デカルトのこの議論は歴史上取り上げられることは少なかったが、ニュートンの力学の理論を先取りしているのである。

このことは、物体を延長であると考え、その動きを力学的に追求しようとしたデカルトの姿勢から、論理必然的に導き出されたのだと考えることもできる。

このようにデカルトは、数学と力学の分野で一定の業績を上げたが、自然学の方面では古臭い議論を展開したに過ぎなかった。

彼は「世界論」のなかで、三大元素についての議論を大真面目で展開しているが、これは古代ギリシャ以来の元素論を蒸し返しているのだと受け取られても仕方がないところだ。

またデカルトは、潮の干満を月の引力ではなく、地球の自転に帰しているが、これも当然ながら反駁された。デカルトは自転の速度の具合によって、潮の干満を引き起こすのだと考えていたようである。



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