知の快楽 | 哲学の森に遊ぶ | |
HOME | ブログ本館 | 東京を描く | 日本文化 | 英文学 | プロフィール | 掲示板 |
スメルジャコフの怨念 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む |
スメルジャコフは、この小説のメーンテーマであるフョードル・カラマーゾフ殺しの下手人であり、そういう点では非常に重要な役回りを負わされているのだが、その割には人物像が明確ではない。だいいち、かれがフョードルを殺す場面は直接的には描写されていないし、また、かれがなぜフョードル殺しを決意したのか、その動機もあやふやである。金目的というふうにほのめかされてはいるが、いま一つ説得力がない。金目当てなら、その金を有効に使おうとするはずだが、かれはそれをイヴァンに与えてしまうのだし、事件後まもなくして自殺してしまうのだ。かれがかぜ自殺を選んだのか、それについても謎のままである。というわけで、この小説の中のスメルジャコフは、重要な役回りの割に、存在感が大きいとはいえない。 スメルジャコフは、スメルジャーシチャヤという女が生んだ私生児だった。スメルジャーシチャヤは白痴で、町全体の居候のような存在だった。彼女が二十歳のときに子を産んだ。それがスメルジャコフである。それについては、フョードルが誤解を呼ぶような発言をしたせいで、街の連中は生まれた子の父親はフョードルだろうと噂しあった。じっさいスメルジャコフは、パーヴェルという洗礼名につなげてフョードロヴィチの父称で呼ばれたのである。そのスメルジャコフを、フョードルの下男グリゴーリー夫婦が育てた。その育ての恩を、スメルジャコフが感じている様子はみられない。かれはグリゴーリーを、金玉を抜かれた馬だと言って蔑視するくらいである。 スメルジャコフは、下男に育てられた私生児であり、母親の記憶ももっておらず、ろくな教育も受けていない。自分自身粗野な下男である。主人のフョードルには、忠実に使えてきたということになっている。それはかれの正直な性格をフョードルが評価したからである。だから、この小説が始まった時点で、スメルジャコフがフョードルに殺意をもっていたとは断定できない。 スメルジャコフはろくな教育を受けていないのだが、自尊心は人一倍持っている。だから、他人から軽んじられることには我慢ができない。とはいっても、自分より身分の高いものに対しては、一応謙虚に振舞う。そのあたりの呼吸は身に着けているのである。そのスメルジャコフが、イヴァンには特別な関心をはらう。イヴァンがフョードルの屋敷にやってきて、最初にまともな会話を交わしたのはスメルジャコフだった。スメルジャコフはイヴァンに対しては妙になれなれしく振る舞った。イヴァンはそれを気味悪く思ったほどである。 スメルジャコフにまつわる話はあまり多くない。肝心のフョードル殺しは、間接的なかたちで言及される。スメルジャコフみずから表に立つ逸話としては、かれのてんかんの発作の場面と、イヴァンを相手にする会話の描写くらいである。その会話の中でもっとも重要な意義をもつのは、フョードル殺しの直後になされたものである。その事件の起きた当時、イヴァンはモスクワに行っていた。一方スメルジャコフは、事件のあった時刻にはてんかんの発作中だったということになっており、その発作で入院し、退院後は新たに借りた部屋に寝起きしていた。イヴァンはモスクワから帰ると早速その部屋にスメルジャコフを訪ねる。かれは、ドミートリーではなくスメルジャコウが殺人の真犯人だと思っているのだ。もっとも自分自身その共犯だという意識をもっている。スメルジャコフの犯意を見抜いたうえで、かれが殺人をしやすくする環境を整えるために、一時モスクワに遠出していたのだ。 イヴァンは何度かスメルジャコフと会って話したのだが、最初のころはまだかれが真犯人であるかどうか確証は得られていなかった。それが、会話を続けるうちに、スメルジャコフは自分が殺したと言うようになった。だが、イヴァンも予想していたように、自分だけの単独犯罪だけではなく、イヴァンも共犯であり、しかも主犯はイヴァンであり、自分はその手下として実行しただけなのだと主張した。イヴァンが父親殺しを思いついたのは、遺産のためだ。もし父親がグルーシャとめでたく結婚となれば、父親の遺産はグルーシャに取られてしまうだろう。それを阻止するためには、ドミートリーに父親殺しの罪をかぶせればよい。そうすれば、12万ルーブリある遺産をアレクセイと山分けすることができる。グルーシャの問題がなければ、遺産は三人の子供たちで三分することになる。それにくらべても、ドミートリーを父親殺しに仕立て上げて、自分とアレクセイでそれを山分けするのは魅力でしょう、そんなふうにスメルジャコフは言って、イヴァンをそそのかすのである。じつは、スメルジャコフは、初めてイヴァンとあったときから、かれに妙な親近感を抱き、この男とならうまくやれると値踏みしていたらしいのである。 スメルジャコフはイヴァンを巻き込めばフョードル殺しもうまみがあると思って、自分もそれに一枚かもうと決断した、というふうに考えられなくもない。しかし、他人の都合を前提にして、殺人などできるものではなかろう。やはり自分自身の利益を期待できねば話になるまい。だが、スメルジャコフにそういう思惑があったとは受け取れない。それは、彼が金に対して淡白なことからわかる。ではなにがかれを、フォードル殺しに駆りたてたか。それをおそらく怨念だったと思う、自分を私生児にしたのはフョ-ドルだとかれは思っていたに違いないから、フョードルに対して怨念を抱くのは自然である。その怨念がフードル殺しにかれを駆り立てた、と考えることには無理はない。 スメルジャコフは、フョードルを殺した際に、3000ルーブリを盗んでいた。それをイヴァンにも見せたうえで、どういうわけかイヴァンに譲ってしまうのである。その前に、イヴァンはスメルジャコフを殺人罪で告発すると宣言している。イヴァンは、スメルジャコフが真犯人だと証言したうえで、自分もそれに深くかかわっていたと認めると言い出したので、スメルジャコフはびっくりして金をイヴァンに渡した、と読み取れなくもない。 非常に不可解なのは、スメルジャコフがイヴァンとの会話の直後に自殺してしまうことだ。そのためもあって、ドミートリーの無罪は証明できなくなった。スメルジャコフが自殺した理由については、小説は明確なことをいわない。読者の想像にまかせるといった態度に徹している。イヴァンについていえば、かれがドミートリーの脱獄計画を煮詰めるのはスメルジャコフ自殺のあとのようである。スメルジャコフが死んでしまえば、ドミートリーの無罪を証明するのは不可能に近いだろう。そんな判断が働いたものと思われる。 それにしても、スメルジャコフは、イヴァンも驚くほどの大胆さを持った男として描かれながら、あっさりとした最期をとげる。そこに読者は不可解さを感じざるをえない。 |
HOME | 世界文学 | ドストエフスキー | カラマーゾフの兄弟 | 次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2022 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |