知の快楽 | 哲学の森に遊ぶ | |
HOME | ブログ本館 | 東京を描く | 日本文化 | 英文学 | プロフィール | 掲示板 |
ドストエフスキーの排外主義 「カラマーゾフの兄弟」を読む |
ドストエフスキーは、反ユダヤ主義がよく批判の対象となる。熱心な批判者には当のユダヤ人が多い。ドストエフスキーのような、影響力の大きな文学者が反ユダヤ主義をまき散らしているのを、ユダヤ人としては放置しておけないと思うからであろう。そういう批判者は、ドストエフスキーの人間性そのものに攻撃を加え、世界の文学史から排除することを目指す。だが、そんなことでへこたれるようなドストエフスキーではない。 ドストエフスキーが、晩年の雑文のなかで反ユダヤ主義を煽るようなことを書いたのは事実だ。露土戦争にさいしては、ロシアがクリミア半島を領有しなければ、ユダヤ人に乗っ取られるとして、ロシアによるクリミア半島の領有を正当化したものだ。 そんなわけで、小説の中でも反ユダヤ主義を宣伝しているようにみなされるが、そんなことはない。たしかに、ユダヤ人を小ばかにしたような叙述は、「死の家の記録」以降、随所に指摘できる。しかし、ドストエフスキーが小ばかにしているのは、ユダヤ人だけではない。ポーランド人やドイツ人、フランス人なども同じように馬鹿にしている。ただ、ユダヤ人を取り上げるときには、金の亡者としての側面に焦点をあてているきらいはある。自分らが金に汚いと見られるのを嫌うユダヤ人としては、ドストエフスキーのそういうやり方は、かなりこたえるようである。ともあれ、ドストエフスキーが馬鹿にしている対象はユダヤ人にかぎらず、外国人全般に及ぶのである。そこに我々読者は、ドストエフスキーの排外主義を読み取ることができる。 「カラマーゾフの兄弟」の中で、嘲笑の対象となるのはユダヤ人とポーランド人だ。ドイツ的なものも嘲笑の対象となるが、それは比ゆ的な意味合いであり、正面から嘲笑されるのはユダヤ人とポーランド人である。 ユダヤ人については、二つの場面で言及される。ひとつはリーザがアリョーシャに向かっていう言葉である。彼女は、ユダヤ人は復活祭に子供をさらってきて殺すといわれているが、本当か? と聞くのである。「一人のユダヤ人が四つになる男の子を捕まえて、まず両手の指を残らず切り落として、それから釘で壁に貼り付けにしたんですって。そして後で取り調べられた時、子供はすぐに死んだ、四時間たって死んだといったんですって、四時間もかかったのにすぐですとさ。子供が苦しみうなりつづけている間じゅう、そのユダヤ人は傍に立ってみとれていたんですって」(米川正雄訳)。 こうしたリーザの偏見は、当時ロシアで流通していたユダヤ人の儀式殺人(ユダヤ教の儀式にキリスト教徒の血を用いること)についての風評に影響されたものであろう。ドストエフスキー自身、儀式殺人に関する文献を読んでいたということである。当時のロシアでなぜこんな風説が広まっていたのか、それ自体として興味深いところではある。 もう一つは、ドミートリーが金儲けに巧みになったのはユダヤ人の真似をしたからだと言及する場面である。ドミートリーはかつてオデーサで修行したことがあるが、その修行というのが、ユダヤ人の真似をして金儲けをすることなのだ。おかげでかれは金を儲けるのが上手になった。高利で金を貸すというユダヤ的な錬金術を身に着けたからである。 ポーランド人は、インチキで金をせしめる詐欺師のような連中として描かれている。ドストエフスキーがポーランド人を描く時には、だいたいがロシア人に向かって尊大に振舞いながら、どこかに抜けているところがあるために、余計な恥をかく人間としてである。この小説「カラマーゾフの兄弟」のなかでも、二人のポーランド人が役割分担をしながら、カードでいかさまを働き大金を詐取する。かれらのうち一人は、グルーシャの初恋の人で、グルーシャは愛を復活させたくて、彼に会いに来たのである。そのグルーシャを食い物にして詐欺を働くポーランド人を見て、さすがのグルーシャも愛がさめる。 検事らがフョードル殺害事件の尋問を始めた時、宿の亭主トリフォンがポーランド人らの詐欺を告発する。しかし事件のほうに忙しい検事らは、ポーランド人にかかわることなく、かれらを赦免する。そのおかけでポーランド人らは、だましとった金を懐に収めたまま解放されるのである。解放されたあともかれらはグルーシャにつきまとい、金の無心をしようとするが、さすがのグルーシャもそこまで付き合うことはしなかった。 この小説の中のユダヤ人とポーランド人のどちらがより嘲笑的に描かれているか、読者によって印象は異なると思う。じっさいには、ドストエフスキーにとって外国人一般が嘲笑すべき存在なのであって、ユダヤ人とポーランド人との間に大した差はないと考えていたのではないか。 |
HOME | 世界文学 | ドストエフスキー | カラマーゾフの兄弟 | 次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2022 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |