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ル・モンド紙上でのエコノミスト誌批判


アメリカの歴史家でカルフォルニア大学教授のアレクサンダー・ゼヴィンが、イギリスの経済誌エコミストについて、どういうわけかフランスの高級紙ル・モンド紙上において、痛烈に批判した。その記事が「世界」の最近号で紹介(嶋崎正樹訳)されており、興味深く読んだ。というのも、筆者は日頃エコノミストの記事をかなり読んでいるほうだからである。

「イラク戦争やドラッグ合法化への賛同、ウィキリークスの糾弾、"国家的リヴァイアサン"の批判、自由主義の称賛、銀行救済への呼びかけ・・・これらに共通する点とは何だろうか? それは、これらの提言がいずれも同じ刊行物によって擁護されてきたことだ。その刊行物が"エコノミスト"誌だ。同誌は毎週のように、支配階級への心地よい手鏡を差し出している」

冒頭から氏はこのように述べて、エコノミスト誌の体制擁護的な姿勢を批判するのである。

エコノミスト誌が創刊されたのは1843年のこと。それ以来同誌の編集方針は殆ど変っていない。それは「市場の知恵」を推奨し、公権力のあらゆる介入に抵抗するという方針だ。こういう方針は、歴史の動きに対して前向きに作用することもあったが、リーマンショックを経験した今となっては、古臭い市場原理主義に堕し、したがって歴史の動きに対して後ろ向きの作用を果たすのみだ、と氏はいいたいようである。

実際、リーマンショック後に同誌が提言したことといえば、不動産市場への応急措置、貸付や投資の再活性化、失業の増加抑制、国際市場の鎮静化など、市場を守るためのものばかりだった。そこには、市場の病理に対する反省はなく、ただただ市場の崩壊を食い止めようとする後ろ向きの打算があるばかりだったというのである。

「非難されるべきは、体制そのものではなく、体制を率いてきた人々だ」同誌はそういって、経済危機の真の原因は体制そのものの中に潜んでいるのではないといって、市場原理主義的な立場を固持している。悪いのは、市場ではなくオバマだ、というわけである。

こんな調子だから、同誌は自由主義的な市場経済を批判する者を口汚く罵る。クルーグマンは、「粗雑なケインズ主義者」、「執拗な活動家」、「象牙の塔に閉じこもった米国左派の大衆的ヒーロー」、「思想界のマイケル・ムーア」であり、資本主義に批判的な哲学者アルチュセールは「妻を殺したマルクス主義の狂人」であり、デリダやフーコーの継承者たちは、曖昧模糊とした概念を弄ぶ暇人たちということになる。

また市場の限界を唱え、政府による市場への介入を主張するオランドのような政治家は、多大な損害をもたらしうる「危険人物」ということになる。

最近のエコノミスト誌は、外交政策をめぐってアメリカへの追随が目立つと氏は言う。特にアメリカの軍事作戦には常に拍手喝采を贈っている。現在の編集長がアメリカ銀行業界の出身者であることに関わりがあるかのような言い方だ。

たしかに氏の批判が当たっている点はあるかもしれない。しかし、エコノミスト誌が必ずしも進歩的だとは、筆者はもともと思ってはいなかった。それなりに冷めた目で見れば、エコノミストにもいいところがないわけではない。

筆者にとってもっと気になっていることは、最近のニューズウィーク誌のほうだ。もともとかなりリベラルな誌面作りをしていたのに、最近はすっかり保守的になってしまった。ワシントンポストに捨てられたことと関係があるのかなどと筆者は憶測している。




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