知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集漢詩プロフィール掲示板




グローバル資本主義の本質は債権者至上主義


ポール・クルーグマンの不況の経済学はますますケインズ色を濃くしてきていると、前稿で指摘した。近著「さっさと不況を終わらせろ」(山形浩生訳)では、クルーグマンは不況対策の柱を、金融緩和、財政出動、インフレ誘導に置いた。ところが、今の経済学の主流派を自認する人々は、ことごとくこれとは正反対の考え方をする。金融引き締め(金利の引き上げ)、財政赤字の縮減(政府支出のカット)そしてインフレ不安の解消こそが、経済の健全化をもたらし、不況の克服につながるというのだ。クルーグマンはそう主張する連中をオーステリアン(緊縮論者)と呼んで、その主張のナンセンスぶりを叩くとともに、その主張の影に隠された真の意図について暴露している。

不況で失業が増大しているときに、政府支出を削減すれば、雇用は更に失われる。それに増税を組み合わせれば、人々は一層物を買わなくなり、不況は更に深刻化する。これは、ケインズが実証して見せた歴史的に明らかな真理であって、いまさら否定の仕様がないことだ、そうクルーグマンは言う。また、金融を引き締めれば企業の投資意欲を更に減退させ、それがまた不況を一層悪化させる。また、インフレは負債の軽減につながることを通じて、人々の消費意欲を刺激する効果を持つ。これに対して低インフレやデフレは人々の消費意欲を減退させる方向に働く。以上のことは、大して頭を使わなくとも理解できることなのに、オーステリアンたちは、それとは全く異なった主張をして、普通の人々を煙にまいている。それがけしからんとクルーグマンはいうのだ。

オーステリアンたちは、いったいどのような理屈を弄して、自らの主張を合理化しているのか。クルーグマンはこれらの理屈を「安心感の妖精」という言葉で表現している。簡単にいうと、政府が支出カットすれば、投資家は政府の財政赤字削減努力に感激して、自分の投資を活発化させるだろう、消費者たちも政府の支出カットが減税につながるのではないかと期待し、自分がその分金持ちになった気になって消費支出を増やすだろう、これらの結果不況は解消するに違いない、という理屈だ。

これらの主張が現実の裏付けを得られていないか、事実に全く相反していることは明らかだ、とクルーグマンはいう。「安心感の妖精」には、現実の裏付けがないのだ。にもかかわらず彼らオーステリアンは、なぜこんなものにこだわるのか。

それは、彼らが債権者、つまり貸し手の利益を代表しているからだ、とクルーグマンはいう。貸し手は自分の資金が確実に戻ってくることだけを考えている。そのためには、「政府に自分たちへの返済を最優先して欲しがる」し、「低金利を維持したり、インフレで返済金の価値を低下させたりするような行動を金融政策が採ることに対しては、すべて反対するわけだ」

クルーグマンの指摘は的を得ていると思う。こうした貸し手の要求は、ユーロ危機のさなかで最もあからさまに貫徹された。そのおかげで、ギリシャやスペインに投資していた人々の債権が保護された一方、国民は塗炭の苦しみを舐めさせられたわけだ。これは要するに、債権者至上主義とも呼ぶべきものだが、それが資本のグローバル化によって加速されているのは見えやすいところだ、とクルーグマンは言うわけなのだ。

クルーグマンの言い草によれば、いまやグローバル化した資本が、どこの国においても、自分の利益、つまり債権者の利益を貫徹するような事態になっている。それをクルーグマンは非難するのだ。グローバル資本主義にとっては、個々の国の失業率がどうのこうのといったことは全く意味のないことだ。だがそれで果してよいのか。そうクルーグマンは問いかけるわけなのだ。




HOME経済を読む次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2014
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである