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金子勝「新・反グローバリズム」


金子勝氏は1990年代以降の世界経済を牽引してきたグローバリゼーションの動きに、一貫して批判的な態度を取ってきた人だ。1999年に現した著作「反グローバリズム」は、そんな氏の考え方をまとめた本だったというが、それから10年経過した後、2008年のリーマンショックに始まる世界金融恐慌を踏まえて、グローバリゼーションの破綻が必然的なものだったことを論証したのが、「新・反グローバリズム」だ。グローバリズムとはグローバライゼーションを錦の御旗に掲げるアメリカの新自由主義たちの方向性を、金子氏流儀に表現した言葉だろう。

ではグローバリズムとはなにか。それを金子氏はアメリカン・スタンダードを世界中に押し付けるための相言葉であって、アメリカの覇権を象徴する言葉だという。アメリカこそが、世界標準と言うわけだ。その世界標準を受け入れれば、世界経済の仕組みはフラットになり、誰もがハッピーになれる、そんな欺瞞的な思惑が隠された言葉だと氏は手厳しく批判する。

アメリカが、グローバリゼーションを言い出したのは、1990年代の冷戦の崩壊が大きなきっかけになっていると氏は言う。それまで長い間、世界経済は資本主義的自由経済と社会主義的計画経済に別れて対立してきたが、社会主義計画経済が崩壊して、経済モデルは資本主義以外にありえなくなった。こうした新しい状況を前にして、アメリカ型の資本主義モデルこそが資本主義経済の唯一の正道なのだ、ということを世界中に納得させようとして、グローバリゼーションと言う言葉をアメリカが使った。グローバリゼーションと云えば聞こえはいいが、内実はアメリカ資本主義の利益を露骨に追及する経済モデルに過ぎない、そう氏は断罪する。

「グローバリゼーションの本質は、市場が世界規模にわたってボーダーレス化するといった表面的現象にあるのではない。冷戦終了後も冷戦型のイデオロギーの残像に寄りかかりながら、なおもアメリカは強引に覇権国であり続けようとする無理が、今日のグローバリゼーションをもたらしているのである。それは、一方の極(中央計画型社会主義)の消失とともに、もう一方の極(市場原理主義)の暴走となって現れる。」

つまり氏は、グローバリゼーションを歴史的なパースペクティブの中で、相対的な視点でとらえているわけである。新自由主義者たちがかつて言っていたように、何もグローバリゼーションだけが唯一の絶対的な道であったわけではない。ましてそのグローバリゼーションの内実がアメリカの利益を美名の下に隠すことであったことを想えば、なにをかいわんや、である。

「アメリカは、冷戦なきヘゲモニーを維持するために、グローバルスタンダードという名の下に着々と自国のシステムを世界中に押し付けようとしてきた。そして日本政府は、これに盲目的に追随しようとしてきた」というわけである。

グローバリズムがめざす究極の目的は金融の自由化であり、その背景には市場原理主義と称されるような、野放図な自由主義モデルがある。

金融の自由化とは、一方では金融機関への規制を外して、金融機関がギャンブルできるような環境を整えてやること、他方では国際的な会計基準を世界中の金融機関に適用させ、投資家にとって金儲けしやすいような条件を整えることを意味する。日本も一時期は、こうした自由化圧力にさらされた。その結果、 日本の金融機関は融資に消極的になり、いつまでも景気の足を引っ張り続けている、と氏は論断している。歴史的に異なる経済構造を持った国に、グローバルスタンダードを無理やり適用させるのは「あたかも血液型の違う臓器を移植するようなものである」と氏は批判している。

このグローバリズムの行きついた先が、リーマンショックにはじまる世界金融危機であったとすれば、我々は今こそ徹底的に、グローバリズムの問題点を検証し、適切な処方をしなければならない、と氏は言う。

グローバリズムの問題点の最たるものは何か。それを氏は、市場原理主義的な発想で世界経済を引っ張っていこうとする姿勢だと考えているようである。市場原理主義とは、政府による規制を廃止して、企業に無制限な行動の自由を与えようとする考え方だ、この考え方には、政府よりも市場の方が合理的な行動をとるものだとする、不合理な前提が含まれている。

しかし市場がそもそも合理的でないばかりか、脱線してとんでもないことを引き起こすことは、今回の経済危機が良く示している。市場は放置しておけば、必ず失敗するものだ、と考える方が理由があるというわけだ。

そこで、この市場原理主義にかわる政策軸をどこに求めるか、ということが問題になる。最近は市場の失敗を批判する立場から、ケインズの復権がささやかれるようにもなったが、金子氏はケインズをあまり重要視していない。というより、いわゆるケインズ型経済政策には批判的である。

ケインズの経済政策の柱は、積極的な財政出動と金融政策だが、そのうちとくにケインズ型金融政策は効果を失ってきた、と氏は見ているようだ。ケインズ型金融政策とは、利子率の操作と流動性供給とからなるが、そのいずれも今は機能していない、と氏はいう。デフレの傾向が利子率の操作を無力化しているし(ゼロ金利はあってもマイナス金利はないという意味で)、中央銀行による流動性供給も、流動性の拡大に結び付いていかない現実があるからだ、というのだ。

金子氏の議論が経済学的にユニークだと思われるのはここまでで、これから先は、政策提言としての日本立て直し論の世界に入っていく。




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