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小野善康「資本主義の方程式」を読む


小野善康は、民主党政権の時代に、民主党の政策になじむような印象を持たれたために、とかくイデオロギー性を感じさせる経済学者と受け取られた。それまで自民党の右派勢力が進めてきた新自由主義的経済政策を批判して、政府の役割を重視する立場をとった。新自由主義派の経済政策は、供給を重視するものだが、小野は、日本のような「成熟経済」では、人々の消費選考が極めて弱くなるので、供給ではなく、需要が経済の規模を決定すると考えた。そうした考え自体は、日本をはじめ、世界の先進資本主義諸国に共通した長期不況を説明する理論としては、かなりな有効性があると小生も思っている。というよりか、近年先進資本主義諸国が陥っている長期不況を説明する理論として、もっともまともなものとさえ思っている。

その小野が最近出した「資本主義の方程式」(中公新書)は、これまで展開してきたかれなりの経済理論を、数式を用いて説明しなおしたものだ。その数式をかれは「方程式」と呼んでいるが、方程式というよりは、バランスシートのようなものと思ってよい。左側に貯蓄、右側に消費を置き、この両者の関係によって経済事象を説明しようとするものだ。従来の主流の考え方にしたがって、需要と供給のバランスを分析するのではなく、貯蓄と消費のバランスを重視するのは、成熟経済においては、需要が供給に予定調和的に一致することはなく、したがってその両者のバランスにこだわるのは意味がないと考えるからだ。

それはともあれ、小野は、需要が供給とおのずから一致すると考えるのは、成長経済を前提とした考えであって、いわゆる「成熟経済」においては、需要は限定されており、その限定された需要の規模に供給も制約されると考える。その最大の原因は、資産選好の増大であると小野はいう。資産選好というのは、単純化して言うと、金への欲望のことである。成長経済においては、人々は無限の欲望と、それに対応した消費選考を持つと考えられる。そういう状態では、供給能力いっぱいに需要も創出される。供給が需要を生む、というセーの法則が成り立つのである。ところが、成熟経済では、人々は豊かになって、しかもものはありあまるほどあり、すぐに消費したいという欲望より、金をためたいという欲望のほうが大きくなる。そういう状態では、経済の規模は、供給ではなく、需要によって決まる。それは、現象としては、貯蓄意欲のほうが消費意欲を上回るという形であらわされる。小野のバランスシートあるいは「方程式」が、貯蓄と消費の関係に焦点をあてている所以である。

以上のような認識をふまえた小野の問題意識はかなりアンビバレントなものである。かれは一方では、成熟経済においては、経済成長への原動力が失われるので、そのまま放置しておけば、経済はずっと停滞したままだろうと予測する。じっさい、日本は、1990年代以来すでに三十年もの間ほとんど経済成長せずに停滞してきたわけだし、今後も成長する見込みは少ない。こうした傾向は、当初は日本に特有なものと見なされていたが、最近ではほかの先進資本主義経済においても起きてきている。このままでは、世界全体の経済が停滞するようになるのは避けられない。それはある意味、経済の必然性をあらわしている。

小野はこのように悲観的な見方をする一方、資本主義のもつ可能性にも期待している。資本主義が成熟段階に入ると、もはや経済成長が望めなくなるのは事実だとしても、それを突破して、新たな成長を始める可能性が絶無というわけではない。その実現のための条件として、小野は、消費をめぐる革命的な変化が生じることをあげている。いまの状態を前提とするかぎり、消費意欲の拡大は期待できない。しかし、大規模なイノベーションが起きて、人々のライフスタイルが大きな変化を見せるようになれば、人々の消費意欲が掻き立てられ、その消費意欲の拡大に応じて、経済も拡大するだろう。じっさい、IT革命といわれた事態は、経済のファンダメンタルズに大きな影響を与え、経済の拡大を見た例である。

そういうわけで小野は、資本主義が成熟段階に達すると、長期的に停滞する傾向のあることを指摘しながら、その停滞を打破するための処方箋を書きたいと思っているようである。それは長期的なものと短期的なものとに別れる。長期的には、経済を拡大基調に戻すためには、抜本的な消費革命というべきものが起きる必要があると考える。短期的には、当面する不況が深刻化して、人々の生活が脅かされるような事態に対応するものとして、とりあえず消費を拡大させる人工的な処置が必要になると考える。それは、民間分野では担えないから、政府に期待するしかない。というわけで、小野が政府の役割に期待するのは、短期的な不況対策としてである。抜本的な改善のためには大規模なイノベーションが必要であり、それはあくまで民間部門によって担われるべきだというのが、小野の基本的な考えである。

要するに小野は、資本主義経済システムには、色々問題はあるが、当面それに代わる経済システムを考えることはできないから、なんとかして資本主義を機能させるように追求することが肝要だ、と考えるのである。そこが、資本主義批判としての小野の理論の、一応動かすべからざる枠組だということになる。




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