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シュンペーターの資本主義滅亡論


シュンペーターは、「資本主義・社会主義・民主主義」の第二部のタイトルを「資本主義は生き延びうるか」とし、その問いかけに対して「否」と答えることから議論を始める。シュンペーターは、基本的には資本主義を信頼していたと思うのだが、その未来については悲観的だったわけである。資本主義の未来に否定的なことではマルクスと同じと言えるが、先稿でも指摘したとおり、その理由が違っている。マルクスは、資本主義の抱えている矛盾とか失敗とかがその理由だと考えたのに対して、シュンペーターはその逆に、資本主義の成功こそがその滅亡の原因になると考えた。その上で、マルクスが社会主義者の立場から資本主義を否定したのに対して、自分はそうではないと主張する。「ある予見をなすことは、けっして予言した出来事の進行を願っていることを意味するものではない」という理屈からだ。かれは資本主義には生き延びて欲しいが、色々な理由でそうは行かないと言っているのである。

資本主義の成功がその滅亡の理由になるとはどういうことか。この著作の第二部はその疑問に答える。シュンペーターは、その理由として色々な事柄を挙げているが、ごく単純化していうと、独占的あるいは寡占的な傾向が強まることで、資本主義が変質し、その結果消滅に向うだろうということだ。

シュンペーターは、独占あるいは寡占の傾向を頭から非難したりはしない。かえってその利点を指摘しているくらいである。その理由は、資本主義が独占あるいは寡占の傾向を強めるのは資本主義に内在する傾向であって、とどめようがないと考えるからだ。主流派の経済学は、独占や寡占の傾向が資本主義本来の活気をそぐことを理由に、その抑制を主張するが、それは時代の流れに逆行するような悪あがきだとシュンペーターは考えているようである。

独占あるいは寡占の進行によって、企業は大規模化し、その運営は官僚主義的になる。完全競争が全く成り立たなくなる結果、価格の硬直性とか、イノベーションの停滞といったことが起きる。シュンペーターは、イノベーションが持つ意義を高く評価しているので、それが停滞することは資本主義の命取りになると考える。資本主義は、均衡論者の言うような静態的なシステムではなく、動態的なシステムであって、そのダイナミズムを推進するのはイノベーションであると考えるので、それが阻害されることは、資本主義にとって命取りだと思うわけである。

企業の官僚主義的な運営をシュンペーターは機械化とか自動化とか言っている。マルクスなら社会化と言うところだ。要するに、企業家自身の創意工夫による運営ではなく、官僚機構によるオートマチックな企業運営が支配的になるということである。それと並んで、資本と経営の分離が進行する。従来は、企業家は資本家と経営者を兼ねていた。それが分離するということは、本来的な意味での資本家、つまりマルクスが想定しているような、所有と経営とを一つの人格の中で統合しているような資本家像が成り立たなくなるということだ。その結果、真の意味での資本家がいなくなる。資本家は資本主義のそもそもの担い手なのだから、それがいなくなることは、資本主義の基盤がなくなることを意味する。基盤を失った資本主義は滅亡せざるを得ないではないか、というのがシュンペーターの考えである。

シュンペーターは、いまや資本家のかわりに株主が存在するだけだと言っている。株主の目的は配当を得ることであり、その限りで企業の経営状態に関心を持つに過ぎない。実際に経営しているのは、官僚組織である。官僚組織の目的は、組織の維持にあるので、その意味では保守的になる傾向が強い。官僚組織はだからイノベーションには馴染まない。影響力の大きなイノベーションは、創意工夫に富んだ起業家によって推進されるものだ。ところがそういう人物像は、資本主義の進化の中でいよいよ少なくなっていく。そういう傾向も、資本主義の活力を弱め、あげくはその滅亡につながる道を用意するのである。

以上のプロセスをシュンペーターは、「企業者職能の無用化」とか資本主義の「擁護階層の壊滅」と呼んでいる。要するに、独占や寡占がもたらす企業の大規模化や官僚制化が、企業者職能を無力化させ、資本主義を擁護する階層を壊滅させるというわけである。どちらも資本主義にとっては本質的な事柄である。それらが無力化あるいは壊滅するのであるから、資本主義には存続する道は残されていない、したがって滅亡の運命が待ち受けているということになる。

以上は、資本主義を成り立たせている基盤における変動であるが、このほかに、資本主義の進化が資本主義への敵対者を大量に産出するという事情もあるとシュンペーターはいう。その敵対者とは知識人である。シュンペーターによれば、資本主義の進化は大量の知識人を生み出す。かれらは本質的に社会に対して批判的である。その批判の矛先が資本主義システムに向けられ、その結果、資本主義は悪いシステムだというような社会的雰囲気が醸成される。その社会的雰囲気が資本主義の滅亡に拍車をかけるというわけである。

こうしたシュンペーターの考えに異論を唱えたのは日本人の森嶋通夫である。森嶋は、シュンペーターが知識人は本質的に左傾化すると主張したことを批判し、かならずしもそうではなく、大量の御用学者をはじめとした右翼的な知識人も大量に生み出すと言った。むしろそちらのほうが多いくらいだと言うのである。だから、知識人の増大に資本主義の滅亡を結びつける議論は、根拠に欠けていると森嶋は指摘した。

森嶋の批判した部分を除けば、シュンペーターの資本主義滅亡論は、マルクスの資本主義没落論とたいして違わない。マルクスがその原因を資本主義の失敗に求めるのに対して、シュンペーターがその成功に求める点に違いがあるくらいだ。その成功ということについても、その内実が資本の集積・集中にともなう企業の社会化であることからすれば、両者の主張はほとんど違わないと言ってもよい。だから、シュンペーターが、自分とマルクスの違いを強烈に思わせるものとして、「資本論」の有名な箇所を引用するときには、それがシュンペーターの意図に反して、両者の相違ではなく、共通点を指摘しているように受け取れるのである。

「かかる集中、あるいは、少数の資本家による多数の資本家の収奪と相並んで、・・・世界市場網へのすべての国民の編入が、したがってまた資本制的体制の国際的性格が、貧困・抑圧・隷属・頽廃・搾取の度合いが増大するが、しかしまた、たえず膨張するところの、そして資本制的生産過程そのものの機構によって訓練され・結合され・かつ組織されるところの、労働者階級の反逆も増大する。資本独占は、それとともに、かつそれのもとで開花した生産様式の桎梏となる。諸生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本制的外皮と調和しえなくなる点に到達する。この外皮は粉砕される。資本制的私有財産の最後の時が鳴る。収奪者たちが収奪される」

マルクスがこのように語った暴力的な過程が、シュンペーターによれば平和的に達成されるだけの違いがあるだけで、両者は同じことをそれぞれ特有の言葉で語っているに過ぎない。



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