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シュンペーターの社会主義政党史観


「資本主義・社会主義・民主主義」の第五部は、「社会主義政党の歴史的概観」に宛てられている。その歴史は、シュンペーターが「幼年期」の社会主義と呼ぶものから、マルクスの社会主義を経て、20世紀における各国の社会主義運動に及んでいる。それをごく簡単に要約すれば、社会主義運動は歴史の進行にあわせるかのように発展したけれど、それはマルクスの主張に沿ってではなく、資本主義を修正するような形で進んできたということである。シュンペーターによれば、マルクスは社会主義の到来を予言したことでは間違っていなかったが、それがどのようにして到来するかを、正確に予見できなかったということになる。

マルクスは暴力を伴う革命によって社会主義が実現すると考えていたが、実際に進行した歴史は、そのようなものではなかった。シュンペーターは、第二次大戦後に顕在化するような大規模な社会化(国有化とか経済の統制とかそれを担う官僚制の発展とかいったもの)を社会主義に含めるのであるが、それはマルクスのいうような革命によってもたらされのではなく、資本主義を少しずつ修正するプロセスを通じてもたらされたのだった。シュンペーターはそうした穏健な社会主義の典型をイギリスに求めているのだが、イギリスの社会主義は、資本主義の修正というべきものであり、それを全面的に否定するものではなかった。そうした修正資本主義としての社会主義について、シュンペーターは歴史の必然として受け入れるのであるが、だからといって積極的に賛同しているわけではない。シュンペーター自身としては、資本主義的なもののほうを、個人的には好んでいる。またそれを隠さない。自分は社会主義の必然性を認めるが、社会主義者ではない、と繰り返し断っているほどである。

まず、幼年期の社会主義。これをマルクスは空想的社会主義と言って小馬鹿にしているが、その「空想的」社会主義とマルクスの社会主義とは、本質的に異なっているわけではなく、程度の相違にとどまる、とシュンペーターは言う。そうした「空想的」社会主義の先駆者がいたおかげで、マルクスの社会主義はすみやかに普及することができた。しかもこれら先駆的な社会主義思想は、マルクスのように「プロレタリア的側面だけを一方的に強調しなかっただけ・・・まだしもましだった」と言うのである。シュンペーターは、労働者階級を、それ自体としては革命勢力として認めていない。労働者階級はだいたい労働組合運動に組み入れられるのがせきのやまだが、現実の歴史のうえで労働組合が革命的であったことは一度もない。自分たちの経済的な利益にさといばかりであって、時には保守的に振る舞うというのがシュンペーターの見立てである。

マルクスの社会主義理論についてのシュンペーターの評価は、ほかのところで詳しく論じているので、この部分ではさらりと流している。要するにマルクスの社会主義論はプロレタリアートという階級の存在にこだわり、それによる革命に大きく期待しすぎた点で間違っていたということになる。社会主義への転化は、資本主義の内在的な傾向によって漸次進行していくもので、革命によって一瞬にして実現されるものではないのである。

二十世紀の社会主義は、イギリスやドイツのような先進資本主義国における修正型の社会主義と、ロシアにおけるような革命的な社会主義とに分かれる。これは歴史の現実を踏まえた常識的な分類と思われるが、シュンペーターによればそれは表面的な相違であって、ロシアの社会主義は、マルクス的な意味でも、シュンペーター的な意味でも、社会主義とは言えない。ではどう呼べばよいのか。シュンペーターは次のように言っている。「ロシアに関する厄介な問題は、ロシアが社会主義であるということではなくて、それがロシアであるということに存する。事実の問題として、スターリンの体制は本質的に軍事的な独裁制である。それは単一の、しかも厳格に訓練された党派によって支配しており、かつ出版の自由を認めていないのであるから、ファシズムの決定的な特徴の一つを分有し、かつマルクス的な意味において大衆を搾取するものである」。要するにツァーの体制が20世紀になって形を変えて現われたものというような見方をシュンペーターはしているのである。

ロシアがそうでしかありえなかったのは、ロシアがいまだ農業社会の段階を脱していなかったからである。ボリシェビキ革命が起きたとき、ロシアには高度な資本主義は無論、普通の資本主義さえ根付いてはいなかった。レーニンは「ロシアにおける資本主義の発展」を書いて、あたかもロシアが高度な資本主義社会に発展して、革命の時期が熟しているかのように描いたが、それは、どう贔屓目に見ても、ロシアの現実を踏まえたものとはいえなかった。ロシアは遅れた農業国として、ブルジョワの存在も言うに足りなかったのである。そのような国で、マルクス的な意味での社会主義が実現するはずもなかったのである。

ロシアに比べれば、イギリスは無論ドイツも高度な資本主義国家といえる。そうした国家では、ドイツのように革命への鼓動が聞こえなかったわけでもなかったが、歴史の王道は、革命ではなく資本主義の修正という形をとった。イギリスやドイツでは、労働党や社会民主党といった修正資本主義政党というべきものが実力をつけ、以外に早い時期に政権を担うようになったのだったが、そのかれらは過激な社会主義政策を急いで採用することはなかった。資本主義の綻びを少しずつ修正していくことで、実質的な社会化を押し進め、労働者大衆の待遇を改善する方向を選んだ。その結果として、イギリスでは手厚い社会保障システムが構築されたし、ドイツでも福祉国家に近いものが実現した。ドイツでは労働組合による企業運営への参加まで進んでいる。要するに、マルクスが予言したような革命によらないで、実質的に労働者の状態が改善されたわけである。そうした状態をシュンペーターは社会主義と呼んでいるのであり、そこでは別に労働者階級が権力を独占するとか、すべての生産手段を公有化するとか、そんな過激なことをする必要はいささかもない、というのがシュンペーターの主張なのである。

こうした社会主義化の動きのなかで、ひとつ例外なのがアメリカである。アメリカでは、社会主義化の傾向はほとんど見られない。そのアメリカでも、高い課税水準や軍事産業を中心とした企業の統制といった事態が見られないわけではないが、それは戦争にともなう例外的な事態だとシュンペーターは考えている。アメリカが社会主義と非親和的な理由は、アメリカが中産階級中心の社会であって、中産階級というものは現状肯定的な傾向が強いということに基づく。中産階級が多数を占めている点はフランスも同様で、フランスの社会主義運動は空想的でアナーキーな傾向が強い、とシュンペーターは見立てている。



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