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シュンペーターによる社会主義の現状認識


「資本主義・社会主義・民主主義」の本文が書かれたのは1942年のことであり、その後、1946年と1949年に付録の部分が書き足された。すでに本文を書いた時点でシュンペーターは、先進諸国における社会主義化の傾向を避けられないものとして考えていたが、戦後その考えが強まったばかりか、一部の国では社会主義化が進行していると認識するに至った。しかしそういう傾向について、シュンペーターはかなり懐疑的である。

1942年は、いうまでもなく第二次世界大戦の真っ最中であり、欧米先進諸国は挙国一致の戦争遂行政策をとっていた。それは軍事産業を中心とした経済の公的管理や、国民を戦争に動員するための手厚い社会保障政策、また財源を確保するためになされた増税(とくに高所得者への増税)など、社会主義的な性格を強く帯びていた。そういう傾向は、戦後弱まるばかりか、一層進行し、もはや引き返せないものとなったばかりか、一層社会主義化の度合いを深めたというのがシュンペーターの認識であった。その認識をシュンペーターは苦々しい筆致で示しているのである。

1949年の付録の小論の中でシュンペーターは、いまや資本主義の擁護者までもが社会主義化への傾向を受け入れざるをえないような状況になっているとして、その社会主義化のメルクマールとして、以下のものをあげている。「(1)後退や、あるいは少なくとも沈滞を防止するための種々な安定政策、すなわち、完全雇用とまではいわないまでも、実業界の事物に対する大量の公共管理。(2)『所得のいっそう大きな平等化の望ましいこと』・・・およびこれとの関連において、再分配的課税の原理。(3)しばしばトラスト物語によって合理化されているような、物価に関しての規制的な方策の取り合わせ。(4)労働市場や金融市場に対する~きわめて幅の広い変型範囲をもつ~公共的な統制。(5)現在または将来、無償もしくはある種の郵便局的原理に従って公共的企業によって満たさるべき欲望分野の無際限の拡張。(6)もちろん、すべての形態の社会保障。

こうした社会主義の特徴は、イギリスのような、すでに社会主義化に踏み出していた国にとどまらず、アメリカのような、従来社会主義とはほとんど無縁であった国でも見られるようになった。その最大の理由が国をあげての戦争にあったことは間違いないが、しかし戦後その傾向が弱まらなかったことは、社会主義化への動きがグローバルな規模で広がったということだろう。

その傾向をシュンペーターは、苦々しく思った。その理由をかれは幾つかあげている。まず、経済の公共的管理の強まりが、私人の企業家精神を骨抜きにしつつあるという懸念だ。シュンペーターは、イノベーションを重視する学者であり、イノベーションこそが経済発展のみならず人間社会の発展の原動力と考えていたので、そのイノベーションの担い手である企業家の自由な行動が見られなくなることは、経済の停滞のみならず人類社会の停滞をもたらすと考えていた。

企業家精神の弱体化は、課税政策によっても促進される、とシュンペーターは考えた。所得への累進課税によって、企業家たちのやる気がそがれる一方で、税収の増加分が労働者の賃上げや社会保障に使われると、消費ばかりが増えて、貯蓄が阻害される。シュンペーターは、貯蓄と投資の関係について資本主義経済学者と同じ考えを持っていたので、貯蓄の阻害は投資の阻害に結びつき、経済発展への推進力が失われると考えた。シュンペーターにとって、ケインズ派の経済学説は、長期的な経済発展を無視した目先の議論だというわけである。そんなケインズ派の理論をシュンペーターは「停滞主義理論」と呼んでいるのである。

労働者の待遇改善や社会保障の充実も、それが経済に悪い影響を及ぼす限り、好ましくないとシュンペーターは考えた。かれには権威主義的なところがあるらしく、人間はあまり甘やかすと働かなくなると考えていた。だから賃金を必要以上に上げたり、社会保障を拡大しすぎると、「労働からの逃避」というべき現象が生じる。「労働からの逃避」とは、労働者は生まれながらに怠け者に出来ており、強制されねば働かないというような、独特の人間観に裏付けられた考えであろう。

さきほど経済の公共管理について触れたが、それはまた、産業自治への介入や価格統制という形をとる。産業自治は企業家精神を育むための土壌のようなものなので、それを骨抜きにすることは、もっとも避けるべきことだとシュンペーターは考えた。また、価格統制は、市場の自然な調整力を人為的に捻じ曲げるものであり、資源の有効配分やまじめな生産者の努力を損なうものである。シュンペーターは、価格統制によって、「高い生産費の生産者に『補助金を与え』たり低い生産費の生産者を「しぼり取った」りする、として、それを厳しく批判している。

シュンペーターはまた、トラストについても、当時の主流派経済学(ケインズ派、アメリカではニューディール派と呼ばれる)とは異なった意見をもっている。主流派はトラストを、独占価格を維持する企みとして排除しようとしたのだったが、シュンペーターはそれを、産業自治の一環のこととして、必ずしも非難しなかった。要するにシュンペーターは、社会主義化の傾向を避け難いものとして認めながらも、それの行き過ぎが経済及び人間社会の発展に悪い影響を及ぼすことのないよう警告していたというわけであろう。

シュンペーターが、こうした見解を表明したのは、第二次大戦中から戦後間もない頃のことで、その当時は、戦争とか冷戦の影響もあって、公的管理を核とした社会主義的政策がもっとも盛んな時期だった。だからシュンペーターは、時代の流れに乗ったわけでもある。かれはその流れを押し戻せない不可逆的なものだと考えたわけだが、その後の歴史は、社会主義から自由放任主義への揺り戻しの動きも示している。サッチャーやレーガンによる新自由主義の動きはその最たるもので、日本でも、中曽根政権以降、公有企業の私有化など、自由主義への揺り戻しが起きている。今後そうした揺り戻しが成功して、昔ながらの自由放任主義的資本主義が復活するのか、それとも、ジグザグな動きを伴いながら社会主義が進行していくのか、見守っていく必要があるだろう。



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