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金融工学 Financial Engineering マネーゲームを暴走させたモンスター |
アメリカの金融危機が節度を失ったマネーゲームの産物だったことはいうまでもないが、その影にはゲームを加熱させる科学の存在があった。金融工学 Financial Engineeringと呼ばれるものだ。確率論を応用したこの新しい学問が、投資家たちの投資リスクに関する感覚を麻痺させ、マネーゲームを暴走させる結果となった。そのプロセスを、NHKの特集がわかりやすく伝えていた。 金融工学のもとになった確率論の考え方は、ブラック・ショールズ・モデルと呼ばれるもので、水の浄化プロセスにヒントを得たものだ。 フラスコの中の水にコーヒーをたらすと、コーヒーは時間の経過とともに、水の中でブラウン運動と呼ばれる運動を起こし、その結果一定の分布の中に納まる。底のほうにはコーヒーの濃厚な層が溜まり、上のほうにはコーヒーの成分が希薄なほとんど純粋な水が集まる。このコーヒーの粒をリスクにたとえ、コーヒーが濃厚な部分をハイリスク、純粋な水に近い部分をローリスクと定義し、それをもとにリスク管理をしようとするものであった。 これによって、水に近い部分を買ったものは、リスクを心配せずにメリットを回収することができるようになった。一方、リスクの高い部分は、それに見合う高いメリットを条件に、お人よしの投資家が引き受ける。こんな構図が可能になった。 従来投資家は、投資にはメリットとともにリスクが伴うということを前提に投資してきたわけだが、リスク管理が厳格に行われるようになると、リスクを心配しないで投資できるという幻想が生じてきた。ハイリスクの部分はあらかじめ封じ込められ、一般の金融商品のなかから除外されているという歌い文句に踊らされた結果だ。 実際には、リスクのない投資などありえない。リスクが顕在化しないですむのは、投資先が永遠に膨張し続け、したがって貸し倒れなどによる債権の回収不能といった事態が生じない限りにおいてである。 こうした事態が続いている限り、一般の投資家はローリスクの部分に投資することによって安全にメリットを享受できる。一方、ハイリスクの部分は、それに見合う巨額のメリットと引き換えに、一部の巨大投資家が引き受ける。両方とも、投資先が順調に動いている限りは、リスクの顕在化に直面しないでもすむ。 だが先にも言ったように、リスクというものは、永遠に顕在化しないですむものではない。実際それが顕在化して、世界中が金融危機に見舞われたわけである。 確率論に基づいたリスク管理の考え方自体は、経済の実態に対しては中立である。それをモンスターにしてしまったのは人間の限りなき欲望なのだ、そう番組は締めくくっていたが、この番組を見た限り、今回のマネーゲームの破綻は、本来ゲーム参加者の間にもれなく割り当てられなければならないリスクが、ただしく配分されていなかったことの結果だったという印象を強く受ける。 リスクの配分はゼロサムゲームのルールと同じ原理にしたがったものだ。ローリスクの部分はハイリスクの部分にリスクを付け回すことによって成り立っている。彼らのパフォーマンスが可能になるためには、ハイリスクの部分をまるごと引き受けるものがいなければならない。ところが現実には、そのハイリスクをきちんと引き受けるものがいなかったのではないか。それではゲームが成り立たなくなるのは当たり前だ。筆者はそんな風に感じた。 |
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