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ユーロは解体するのか


ユーロは解体寸前の危機に直面している。解体せずにユーロ圏というものを維持していくためには、一つの選択肢しかない。アメリカ型の連邦制に、即時移行することだ。もはや残された時間はほとんどない。こう断言しているのは、ニアル・ファーガソンだ。Europe's Lehman Brothers Moment Newsweek

今のヨーロッパは、1780年のアメリカとよく似ている。その当時のアメリカは、まだ完全な連邦制ではなかった。各州の自立性が強く、連邦政府はお飾り程度の位置づけだった。法律の制定から税金の徴収まで、各州の権限は圧倒的で、連邦に残された権限は非常に小さかった。特に連邦政府の活動の原資である歳入は話にならないほど少なかった。強い課税権限を、中央政府が持っていなかったためである。

しかしアメリカは、各州の権限を弱め、連邦政府の権限を拡大する道を選んだ。そして財政的な自主性を連邦政府に与えることで、今日のような強大な連邦国家を作り上げた。今日のアメリカでは、ある州が財政破綻をきたしたからと言って、他の豊かな州に支援を仰ぐなどということはない。連邦国家のメンバーとしての資格において、連邦政府が面倒を見てくれるからだ。

今のユーロ圏各国は連邦どころか、全くバラバラな状況にある。ひとつだけ共通しているのはユーロという通貨を使っているということだけだ。

ユーロ構成国を大きく分けると、豊かな北部ゲルマン系諸国と、貧しい南部ラテン系諸国といった風に区分けできる。IMFによれば、向こう一年間のGDPは、ギリシャが4.7パーセント、ポルトガルが3.3パーセント、イタリアが1.9パーセント、スペインが1.8パーセントのマイナスになる。失業率は、スペインが24パーセント、ギリシャが22パーセント、ポルトガルが14パーセントで、若者の間の失業率は50パーセントを超えるといった有様だ。

一方、ドイツの失業率は5.4パーセント、オランダやオーストリアはそれ以下だ。しかもそれらの豊かな国は、プラスの成長が予測される。

こんなにも、パフォーマンスの異なる国々が、各国の主権を保持したまま、共通の通貨を持っていること自体が不自然なのだ。共通の通貨を用いているおかげで、豊かな国は一層豊かになれるが、貧しい国はますます貧しくなり、しかも貧しさから抜け出す見込みが立たなくなる。というのも、固有の通貨であれば、経済がおかしいときは通貨を切り下げることによって輸出を伸ばし、何とか不況を脱出する方策も取れようが、通貨への主権がないところでは、それもできないからだ。

現時点では、各国のソブリンリスクの上昇に加え、銀行システムの崩壊も差し迫ってきている。先日スペインの銀行システムに対してベイルアウトプランが用意されたが、危ないのはスペインの銀行だけではない。

ここままだと、ヨーロッパの銀行システムが大規模な機能不全に陥り、ラテン系諸国で次々とデフォールトが発生して、ユーロは音を立てて崩壊するに違いない。それを避けるためには、各国の主権を制約して、アメリカと同じような連邦制を確立するしかない。それが嫌だというのから、ユーロは解体するしかない。

連邦制といっても、いますぐできるような簡単なことではない。そこで当面必要な経過的な措置としては三つあげられる。ヨーロッパの銀行全体を対象にして、強固な預金保険に支えられた銀行システムの統合を進めること、ヨーロッパ安定基金を活用して弱い銀行に資本注入を行うこと、ヨーロッパ共同債を発行して、相対的に弱い国を実質的に救助してやること。

このうち、最初の政策についてはドイツも受容しているが、二番目と三番目には反対している。ドイツとしては、こうした政策に必要な負担はGDPの8パーセントにもなると試算している。東西統合よりもコストがかかるということだ。いってみれば、ドイツのような努力をしないで、借金ばかりしてきた連中のために、犠牲になるのはまっぴらだということなのだろう。

その感情がわからぬではないが、それではユーロの未来はない。ユーロの存在によって最も利益を得ているのはほかならぬドイツなのだから、それが崩壊しては、ドイツ経済の好調も、土台が揺らぐというものだ。ここはひとつ、頭を良く冷やして、長い目で損得勘定をして見たらよい。そうすれば自ずから、連邦制の確立こそが未来を切り開くという結論になるはずだ。

ユーロ圏の諸国は自分たちの主権を棚上げにして、アメリカの各州ほどの位置づけに甘んじ、ユーロ合衆国を作るべきだ。これがファーガソンの結論だ。(筆者はそれに賛成しているわけではない)




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