知の快楽 | 哲学の森に遊ぶ | |
HOME|ブログ本館|東京を描く|英文学|ブレイク詩集|仏文学|プロフィール|掲示板 |
一般文法・博物学・富の分析:古典主義時代の諸学問:フーコー「言葉と物」 |
古典主義時代のエピステーメーが、同一性と差異を知の構成原理として、表象の分析から巨大な表の空間を作り上げたことについては前述したとおりだ。では、この表の空間を埋めたものは、具体的には何なのか。フーコーはそれを、一般文法・博物学・富の分析だとする。つまりこれらが古典主義時代における知の形態を代表したと見るわけである。なぜこれらが古典主義時代における知の形態を代表するのか、フーコーは明示的には語っていない。ただそれらが人間の知的活動の基本的なもの、すなわち語ること、分類すること、交換することに対応すると言っているのみだ。これらはそれぞれ現代の学問としての言語学、生物学、経済学に対応する領域をカバーするものだが、フーコーは古典主義時代のエピステーメーと近代のエピステーメーとの間に連続性を認めていないので、言語学以下近代の諸学問と一般文法以下古典主義時代の諸学問とは、断絶した問題意識のうえに立っているとしている。ともあれ、「言葉と物」の第四章以下の三章は、古典主義時代の諸学問についての記述となっている。その題名にはそれぞれ、上述した三つの学問分野がカバーしている人間の知的活動、すなわち、語ること、分類すること、交換すること、をそのまま採用している。 まず、語ること。人間の言語活動にはさまざまな形態があるが、もっとも基本的なのは語ることである。言語活動は、人間が他の人間に向かって音声でなにかを伝えることから始まった。それゆえ、言語の本質は、音声を以て語りかけることにある。語られる内容は、音声が指示している対象であったり、なんらかの意味を含んだ言説であったり、あるいは感情の発露であったりする。いずれの場合においても、音声を以て語りかけること、それが言語のもっとも重要かつ本質的なことなのである。 言語の本質を音声と結びつけて解釈したのは古典主義時代のエピステーメーのもっとも重要な事柄である。言語が音声に還元されることによって、ふたつの重要な出来事が起こった。ひとつは、言葉とそれが指示する対象との間の関係が恣意的なものとみなされるようになった。たとえば、日本語で言う「いし」という言葉、これを中国語では「シー」と言い、英語では「ストーン」と言い、フランス語では「ピエール」と言う。言葉はそれぞれ違うが、それらが指示しているものは、日本語の「いし」という固い物体のことだ。このように、言葉が違っても同じ対象を指示しているのは、言葉と対象との結びつきが恣意的であるからだ。言葉と対象とが恣意的ではなく、必然性のようなもので結びついているとしたら、このようにはならない。ところが、中世・ルネサンスのエピステーメーにおいては、言葉とそれが指示する対象=物との関係は恣意的とはみなされず、類似性によって固く結びついていると考えられていた。それ故、言葉自体に魔力が宿るというような迷信が横行していたわけである。これに対して、古典主義時代のエピステーメーにあっては、言葉と物は類似性によってではなく、同一性と差異によって区別される。言葉にあっては音声のレベルにおける同一性と差異、物の世界にあっては物相互の間における同一性と差異によって、それぞれ弁別されるわけである。 二つ目は、言葉が音声からなっていることから、言葉の組み合わせからなる言説が一定の時間的な継続性を含んでいるということが明らかにされた。人間は、ある言説が表明しているような事態を、一瞬の間に表象できる。ところがそれを人に伝えるためには、表象の内容を音声に転換せずにはいられない。その結果言説には一定の時間が必要となり、しかもそれを理解してもらうための一定の規則も必要になる。 このように、言葉と物との音声を通じての結びつきとか、表象の内容を音声を通じて伝達するということについての認識が、古典主義時代には飛躍的に高まった。その認識を定式化したものが一般文法である。 この一般文法についてフーコーは、命題の理論、分節化の理論、指示作用、転移の理論にわけて細かい議論を展開しているが、要するに、言葉というものは、対象を指示することと表象の内容を伝達することからなっているとした上で、指示も伝達も同一性と差異にもとづいた分節化および分析の上に立っているとするのである。「命題の理論から転移の理論まで、言語に関する古典主義時代のすべて~「一般文法」とよばれたもののすべて~は、「言語は分析する」というこの単純な一句の綿密な注釈に他ならない」(「言葉と物」第四章、渡辺・佐々木訳)というわけである。 なおフーコーは、言葉を音声的形態から視覚的形態へと転換させるものとしての文字について、象形文字とアルファベット文字との興味深い比較をしている。「象形文字が、表象それ自体を空間化しようとして相似関係の曖昧な法則にしたがい、言語を知らずしらず反省的思考の諸形式から逸脱させてしまうのに対して、アルファベット文字は、表象の図示を断念することにより、理性そのものにとって有効な規則を音の分析に移入する」(同上)とフーコーは言うのであるが、この象形文字の代表格として、彼は当然、漢字を考えていたのだろう。フーコーの目には、漢字は音を表すということ以上に、言葉と対象との類似性にこだわっている、つまり漢字は西欧における類似のエピステーメーに共通する点を多く持っていると考えているようである。 こうした考えかたには一理ある。漢字には、それが指示する対象のイメージを盛り込んだものが多くある。たとえば「人」という文字は人間の姿をイメージしたものであるし、男を表す「士」という文字は男根の形をイメージしたものであり、物が二つ並んださまを現す(とともに女を現す)「比」という文字は女陰の形をイメージ(小陰唇が二つ並んだイメージ)したものである等々、といった具合に。これに対してアルファベット文字の組み合わせは、対象についての具体的なイメージをなんら含んでいない。 次に、分類すること。古典主義時代は「分類の時代」と言ってよいほどに分類に熱心な時代だった。リンネの博物学はそのもっとも壮大な成果である。この時代の学者たちは、世界中のありとあらゆるものを一定の原理に基づいて分類することに熱中した。その原理とは、古典主義時代のエピステーメーを貫いていた共通の原理、すなわち同一性と差異である。この原理によって、世界中のありとあらゆるものが、分類の表のなかのどこかの場所に配置された。 同一性と差異は、対象を観察することによって発見される。観察するとは「見るだけで満足すること、体系的にわずかな物しか見ないこと、表象のやや混乱した豊かさのうちで、分析されうるもの、万人に認められうるもの、だれもが理解できる名をもちうるものだけを見ることである」(「言葉と物」第五章)。つまりその前の時代についてリンネがいうように、「不明瞭な相似を導入するのはこの技術によって恥辱である」のだ。 観察の結果わかることは、形態上の同一性と差異である。観察とは見ることなのだから、その対象となるのが可視的なものであるのは自然なことである。その可視的な形態のさまざまなあり方、すなわち「特徴」が、同一性と差異の原理に基づいて分類されるわけである。 三つ目に、交換すること。財の交換は、生産や消費とならんで、人間の経済活動の重要な要素である。だが、交換だけで経済活動の全体像が説明できるわけではない。しかし、そういう考え方は、近代のエピステーメーにもとづいた考え方で、古典主義時代には、交換を論じることで経済活動を全面的に説明できると考えられていた。なぜ、そうだったのか。古典主義時代においては、経済活動のメカニズムではなくて、その成果いい結節点ともいうべき富の分析こそが大きな関心事であり、富の内実としての財の価値は交換を通じてもたらされると考えられたからである。 交換の局面においても、中世・ルネサンスから古典主義時代へのエピステーメーの変転が大きな影を落としている、それは交換を媒介する貨幣の見方の変化だ。中性・ルネサンス時代までは、貨幣というものは、それ自身のうちに価値を内在させていた。金貨は、金としての有用な価値をもっており、その価値が金貨のほかの財に対する価格を決定する決め手となった。実在的な価値が、交換を媒介するための担保として思念されていたわけである。 ところが、古典主義時代になると、金貨の価値は、それ自体の有用性にもとづいて決まるのではなく、交換のプロセスの中から事後的に決まってくるのだと考えられるようになった。「金が貴重なのはそれが貨幣だからで、その逆ではない・・・貨幣はその純然たる記号と機能からその価値をうけとることとなる」(同、第六章)というわけである。 古典主義時代における富の分析の理論には、重商主義と重農主義とがある。重商主義は富と貨幣を同一視し、それに対して重農主義は富の源泉としての土地の重要性を強調したと言うことになっているが、どちらも、生産活動や、ましてや消費ではなく、交換こそが富の発生する地盤だとする点では共通している。富は、交換のプロセスを通じて、人々のまなざしの前に表象という形をとって現れてくるものだったのである。 以上、一般文法・博物学・富の分析を通じて、古典主義時代のエピステーメーが中世・ルネサンスのエピステーメーとどのように相違していたか、またそれぞれのエピステーメーが言語、自然界、経済活動をどのように捉えていたか、についてフーコーは縷々と述べる。そして、これら一般文法以下の緒領域が、近代のエピステーメーによってどのように解釈しなおされていくかについて、引き続き考察を進めていくのであるが、その場合に、古典主義時代から近代へのエピステーメーの変換のキーとなったのが、人間という概念の有無だと主張する。古典主義時代には、近代のエピステーメーにとってのキー概念である人間という概念が存在していなかったというのである。 |
HOME|フーコー|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |