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ボードレールの詩「女巨人 La Géante 」へのサルトルの注釈


サルトルのボードレール論は、かれが「実存的精神分析」と呼ぶものの応用である。これは、ボードレールの伝記的な事実に基礎を置くものであって、作品の内部に立ち入って分析するということは、基本的には行っていない。たまにボードレールの詩が引用されるのは、詩自体の価値に着目してではなく、「実存的精神分析」によって導き出されたボードレールの性格分析の傍証としてである。

そのボードレールの性格をサルトルは、自然への嫌悪と人工美の偏愛、社会秩序への跪拝とそれへのすねた反抗、そして斜に構えたダンディズムといったもので代表させている。そしてこれらの性格形成は、ボードレールの幼年時代になされたと言っている。ボードレールは幼年時代に父をなくし、ただひとりの庇護者でありかつ愛の対象であった母親が、他の男(軍人オーピック)と再婚してしまった。そのことで深く傷つけられたボードレールは、普通の子どもではなく、かなりひねこびた子どもになり、そのひねこびたところが、大人になった後も改まらなかった。それが上述したいくつかの特長に結びついている、というのである。

幼年期の体験が決定的な影響を及ぼすとか、母親を他の男に取られたショックがかれを普通の子どもにしなかったということなどは、フロイトなら、幼年時代に起源をもつコンプレックスであり、ボードレールを襲ったコンプレックスは典型的なエディプス・コンプレックスだと言ったことだろう。だが、サルトルは、無意識とかそれのもたらすコンプレックスといったものを認めない。人間は意識の範囲におさまる生き方をしているのであり、かれの人生はかれの自由な選択の結果だと見る。ボードレールもまた、自分の人生を自分の意志で自由に選択したのであって、無意識とかそれ以外の、意識のコントロールの及ばない事情に左右されるとは決して考えなかった。

エディプス・コンプレックスという言葉が、あまりにもフロイトを想起させて都合が悪いということならば、たとえばマザー・コンプレックスという言葉を使ってよいかもしれない。これにもコンプレックスという、サルトルにとって怪しげな言葉が使われているが、エディプス・コンプレックスほど露骨ではないし、ボードレールが母親に強く固着していたことはサルトルも認めているので、その母親との関係をあらわす言葉として、マザー・コンプレックスという言葉を使うことには、たいした差支えがあるとは思えない。

そこで、サルトルは、ボードレールのマザー・コンプレックスをよくあらわした詩の一例として「女巨人 La Géante 」という詩を取り上げる。サルトル自身はこの詩の一部を引用して、そこに込められたボードレールのマザー・コンプレックスの内実をことこまかく分析しているのだが、ここではまず、この詩(ソネット形式)の全体を、拙訳の形で示したうえで、それについてのサルトルの注釈について注釈を加えてみたい。

  自然が旺盛な生命力に満ち
  毎日怪物を孕んでいたその時代
  わたしは一人の女巨人の傍らにあって
  その足元に猫のように寝そべるのが好きだった

  彼女の肉体がおおらかに花開き
  戯れの中にのびのびと育つのを見るが好きだった
  瞳のうらにきらめく涙には
  心に沸き立つ炎を感じた

  その巨大な躯体の秘密を調べようと
  坂道を登るようにして膝の上に登った
  そして夏のけだるい日の光が

  彼女を物憂げに横たわらせるとき
  その豊かな胸の陰で くつろぎ眠るのだった
  山のふもとの平和な村のように

この詩の中からサルトルが引用しているのは、第三行目と第四行目である。それに注釈して、サルトルは次のように言っている。「巨大な女の視線をひきつけ、その目を通して自分を飼いならされた動物として眺めること、巨大な男、つまり神人たちが、彼のために、彼と相談もせずに、世界の意味と彼の人生の最終目的とを決めてくれる貴族的社会で、猫のように遊惰で、逸楽的な、邪悪な生活を送ること、これがボードレールの心からの願いなのである」(佐藤朔訳)

つまりサルトルは、この詩の中の女巨人(巨大な女)のイメージに母親のイメージを重ね合わせていると見るわけである。一方、サルトルが言う巨大な男のイメージは、この詩の中では、明示的には出てこない。巨大な男とは、サルトルの解釈では、軍人オーピックということになるが、そのオーピックは当時のフランス社会の権威的な秩序を代表していた(何しろ高級軍人であるから)。その秩序に対して、ボードレールは反発を覚えながらも、基本的にはそれを受け容れていた。フランスの貴族的な社会が形成する階層的な秩序に、ボードレール自身も組み込まれ、それについてボードレール自身否定するどころか、その秩序の中に自分のいるべき場所を見出して安心できていたというのだ。だから、ボードレールが社会に対して反抗的な態度をとるのは、それへの嫌悪からではなく、あくまでも権威を認めたうえでの反抗であり、反抗期の若者によくあるように、ある種のスネというべきなのである。

猫が女巨人の傍らに寝そべるというイメージは、幼児が母親の胸に抱かれて安らいでいるというイメージに重なる。サルトルはこの部分に、ボードレールの幼年時代へのノスタルジーのようなものを感じ取っているようである。サルトルは言う、「彼(ボードレール)が幼年時代をなつかしむとすれば、それは、幼年時代には生きる苦労から解放されていたからであり、叱りながらも彼のことを気遣ってくれる、優しい大人たちにとって、彼は完全に、物であったからである」

サルトルが言う「物」とは、彼独特の言葉づかいでは、即自存在という意味である。人間の不幸は、即自存在と対自存在への分裂から生まれると考えるサルトルにとって、ボードレールが即自存在への回帰に憧れていたと考えるのは自然なことだ。一人前の男を出来こそないの子どもと見るのは、サルトル得意の比喩であり、それをフローベールの生涯の分析にも適用していた。サルトルのボードレール論は、フローベール論で頂点に達する「大人=出来損ないの子ども}説の先駆的な試みだったとも言えそうである。




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