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フロイトの変態性欲論


男女の間の性器の結合を正常な性行為と呼び、それを目指す欲動を正常な性欲とすれば、それから逸脱したものは変態性欲あるいは性的偏移という。この「変態」という言葉には、否定的な価値観が込められておりがちで、正常人と異常人との絶対的な断絶をイメージさせるので、正常と異常との関係を相対的なものと考えるフロイトは、「偏移」という言葉の方を好んだ。もっとも、「思春期における変態」という具合に、「変態」という言葉を使用することはあった。

この変態性欲についてフロイトは「性に関する三つの論文」の最初のもの「性的の錯行」において詳しく取り上げている。「錯行」という言葉は、錯乱した行為という意味であろう。正常から逸脱したという意味合いが含まれている点では、「変態」と同義といってよい。

フロイトは、性欲動=リビドーを、欲動の対象たる性対象と、欲動の実現状態としての性目標とに分けて考えているので、性的偏移あるいは変態性欲も、性対象及び性目標について分析される。性対象をめぐる偏移とは性愛の相手方についての偏移であり、正常な性愛に見られるような男女間の結合から逸脱したあり方、たとえば同性愛のようなものをいう。一方、性目標の偏移とは、男女の間の性器の結合を正常な性目標とした場合、それから逸脱するものをいう。たとえば肛門性交への固着などである。

まず、性対象の偏移、あるいは倒錯。これは成熟した男女の間の性的結合から逸脱したあらゆる場合が含まれる。典型的なのは、男同士、あるいは女同士の同性愛であるが、このほか、同姓と異性と両方との間に性的関係を結ぶ偏移型とか小児を対象とするもの(小児愛)などがある。ソクラテスの小児愛やナボコフのロリータ・コンプレックスは小児愛の典型である。

性対象の偏移については、いまでも社会的な偏見が強く、それらの人々を十把ひとからげにして変質者と呼んだりする。変質者という言葉には、生まれながらにして正常から逸脱している状態、したがって先天的な異常者というようなニュアンスが込められている。しかし、正常と異常との間に絶対的な区別を認めず、両者を相対的な差として考えるフロイトは、そうした先天的な変質というような概念を排除する。たしかに、一部の人々の間には、男女の典型的な性徴を有しておらず、何らかの割合で両性具有的な特徴を有しているものが認められるが、そうした解剖学的な相違がストレートに性的偏移と結びつくわけではない。解剖学的な性差と性対象の倒錯との間には、一義的な関係は見られないというのがフロイトの主張である。

性対象の倒錯の基本的な原因は、小児期の体験にあるというのがフロイトの考えのようである。しかし、小児期のどのような体験が性対象の倒錯に結びつくのか、そのメカニズムについて(少なくともこの論文においては)詳細に説明しているわけではない。

ついで、性目標の偏移。これには、男女の間の性器の結合以外のさまざまな性的行為が含まれる。その例としてフロイトがあげているのは、口唇あるいは口腔を性的行為に用いること、肛門を性的に利用すること、その他の身体の部分、ふつうなら性交とは関係のない部分を性的に利用することなどである。これらの他に、外的な事物を性的に利用することもある。それをフロイトは性的なフェティッシュといい、その例として毛皮をあげているが、毛皮は女性の陰阜の毛を連想させることから、女性器の代用物なのだろうと言っている。

性目標の偏移のうちフロイトが最も力を入れて分析しているのは、サディズムとマゾヒズムである。サディズムとは、性の対象に苦痛を与えることで性的な快楽を得ようとする傾向であり、マゾヒズムはその逆の傾向、すなわち性の対象から苦痛を与えられることに性的快楽を得る傾向である。これらの原因をフロイトは、「たいていの男性の性欲には攻撃性、すなわち征服への傾向が混在している」ことに求めている。ということは、サディズムとマゾヒズムは男性の性欲に起因する現象だということだ。

フロイトのサド・マゾ論の最大の特徴は、サドとマゾとを同一の人物の中で容易に反転すると見ていることだ。サドの傾向がある人物はマゾの傾向も持っている。サディズムの攻撃性が自分自身に向けられたものがマゾヒズムだと考えるわけである。このあたりの事情をフロイトは次のように解説している。

「この性目標倒錯のもっとも著しい特性はしかし、その能動的ならびに受動的な形式がいつもきまって、同一人物においてみられるということである。性的関係において他人に苦痛を生じさせることに快感を感じる者は、また、性的な関係から自分にも生じてくるかもしれない苦痛を快感として享受する能力があるのである。サディズムの人はいつでもまたマゾヒズムの人なのであって、ただ、その性的目標倒錯のうちの能動的または受動的な面のいずれかが強く形成されていて、その性的活動の優勢な面を現すことができる、というだけのことである」(懸田克躬訳)

こうしたフロイトのサド・マゾ論は、サルトルなどにも大きな影響を与えたが、この理論には欠陥もある。フロイトはサド・マゾの原因を男の性的な攻撃性と結びつけたのだが、女性のなかにもサド・マゾの傾向を明らかに示す例はある。フロイトならそれを、男性化した女性の特異な例だとして片付けるかもしれぬが、そう簡単に片付けてよいものか。また、サドとマゾは同一の事態を別の面から眺めたものに過ぎないとするフロイトの説に対しては、ドゥルーズによる詳細な反論がある。ドゥルーズはフロイトの概念装置をそっくりそのまま動員して、サディズムとマゾヒズムは同じ事態を意味するものではなく、まったく別のメカニズムによって生じる相互に独立した事象なのだと主張した。どちらが、サド・マゾという事象の本質に迫っているのか、いまのところ明確な軍配はあがっていないようである。


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