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フロイトのアニミズム論:「トーテムとタブー」から


フロイトはアニミズムを主として呪術(魔法とか魔術と呼ばれるもの)と関連付けながら説明している。アニミズムの古典的な定義といえばタイラーのものが有名であり、フロイトもそれを援用しているが、それはアニミズムを霊的存在への信仰とするものだった。その霊的存在は多分に擬人的な特徴を帯びていたので、人間の精神とか霊魂を世界の説明原理として持ち出すものだと言ってよい。この霊的存在は、生きているものについて言われるものだったが、マレットはそれを無機物にも拡大し、あらゆる事物を霊魂によって説明するのがアニミズムだとした。

かように、アニミズムという概念は、人間の世界認識のあり方に広くかかわるものであったが、フロイトはそれをもっぱら呪術との関連において考察した。呪術が、トーテム・タブー題とアニミズムとを結びつける鍵となると考えたからであろう。呪術とは、人間の観念の結合を、現実の事態の結合と取り違えることであり、そのことを通じて人間の世界への働きを現実化するものとして思念されたわけだが、そのような人間の精神的な働きは、トーテミズムやタブーにも見られる。呪術は人間の力の外化と言ってよいが、トーテムも人間の精神の内容を外化したものである。タブーはトーテムと呪術の双方にかかわりを持つ。だから、トーテミズム、タブー、アニミズムは、フロイトにおいては三位一体の関係にあるといってよい。

そのアニミズムをフロイトは、人類の最初の世界観だと定義する。フロイトは人類がこれまでに到達してきた世界観を三つの段階に分けている。アニミズム的世界観、宗教的世界観、および科学的世界観である。これらのうち最初に作られたものがアニミズム的世界観であり、それは「もっとも首尾一貫して遺漏のないもの」であった。「アニミズムは一つの思想体系であって、たんに、個々の現象を説明するだけではなくて、世界の全体を唯一の関連として、ある一点から理解することを許すのである」(吉田正己訳、以下同じ)

そのある一点というのが、霊魂という精神的な原理であって、それがあらゆるものに備わっているとアニミズムの思想体系は前提するのである。それはあくまでも、一つの世界観の体系であって、宗教の体系ではないとフロイトは言う。フロイトがそう言うわけは、ユダヤ教的な一神教を宗教の標準的なモデルとして考えるからで、そうしたモデルからは、たんなん霊魂崇拝は宗教の名に値しないと考えられるからだ。フロイトの基準によれば、日本の神道などはアニミズムの段階にとどまっており、とても宗教的世界観とは言えないということになろう。

さて、そのアニミズムの本質的な内容をフロイトは呪術と見るわけだが、これには、たとえば雨乞いとか豊作祈願のようなものも含まれる。そうした意味の呪術は、日本の神道でも行われている。フロイトは呪術の範囲をもっと広くとって、自然の摂理に働きかけるあらゆる人間的な行動に拡大して考えている。呪術の本質は、自然に働きかけて、それを人間の意思どおりに動かすことにある。その場合、人間の精神的な内容がそのまま対象的な自然に投影されて、人間の考えているとおりの内容がそのまま実現されると考える。これは人間の精神的な活動を万能と見るものだ。人間の精神的な活動である意思が、そのまま外界において実現する。そうした意思万能の考えをフロイトは「思考の万能」の原理と呼んでいる。人間の思考と対照的世界とは別のものではない。連続している。だから、人間の思考の領域で起きることは、そのまま現実の世界でも起きると考えられている。そこにフロイトは、アニミズムの本質的な内容を見るわけである。

アニミズムは、人類発展の歴史の中では、原始的な人類に見られるものだが、その一部はかなり高い発展段階の諸民族にも残っているとフロイトは言う。たしかに、日本のような高度に発展した文化を持つ民族でも、五穀豊穣を願う儀式や神々の加護を期待するおまじないはいまでも盛んである。そのほか、社会的な影響力を持った人々が魔術的な考えをすることが珍しくない。そうした人々は、事実を無視して、自分の希望的な観測を優先したりする。希望が現実に置きかわることは、「思考の万能」の好例として、いまだに世界全体で確認されているところである。アメリカのような自称文明国でも、そうした現象が「オルト・ファクト」という名称で合理化されているくらいである。

なぜそうなのかは、「思考の万能」が人類の精神に深く根付いているからだとフロイトは言う。アニミズムが宗教にとってかわられ、宗教が科学にとってかわられても、アニミズムの底流にあった「思考の万能」の原理は消え去ることはなく、形をかえて存続した。「人間精神の力への信頼の中に、原始的な全能信仰の一部が生き続けているのである」

「思考の万能」の原理をフロイトは、人間の自己愛の現われだと見ている。人間の自己愛はリビドーの表現だが、そのリビドーは、自己愛の段階から両親など他者への愛を経て、人類全体への愛へと発展してゆく。それに対応して、自己愛の体系としてのアニミズム、他者への愛の体系としての宗教、人類の普遍的な現実認識の体系としての科学という具合に発展してきたと考えるのである。

ところでフロイトは、アニミズムを霊魂についての原始的な人間の見方とする一方、同じく霊魂を対象とするシャーマニズムを全く無視している。シャーマニズムという言葉すら使っていない。それにはおそらく、シャーマニズムがアジア諸民族特有の現象と見なされ、ヨーロッパ人には馴染みのない事柄だったという事情が働いているのであろう。日本のような、シャーマニズムがごく最近まで全国的に見られ、その一方で、アニムズム的な自然崇拝の盛んだったところでは、シャーマニズムをアニミズムに解消するのは乱暴すぎるように思われる。もっともフロイトは宗教の専門家ではないので、そこまで期待するのは無理筋かもしれないが。


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