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人間モーセと一神教:フロイトの宗教論


フロイトの宗教論は、精神分析の成果を応用したものだ。精神分析は個人の心理を対象にしるいる点で個人心理学といえるが、宗教は個人を超えた人間集団の現象なので、フロイトはそれを集団心理学の問題だと言っている。そのうえで、個人心理学と集団心理学は同じ基盤に立っているとする。その基盤とは、無意識の衝動を中心にした精神的なダイナミクスのことをいう。その無意識的な衝動が宗教の源泉だというのがフロイトの基本的な考えである。

そんなわけだから、「宗教的現象は、個人の神経症的症候を雛形にしてこそ理解できる」(「人間モーセと一神教」吉田正己訳)とフロイトは言う。個人の神経症的な症候は、幼児期の体験に根ざしており、エディプスコンプレックスと呼ばれる現象が中核となっているが、それとほぼ同じ事態が集団心理としての宗教にも当てはまる、と言うのである。人間の集団もまた、ごく昔の時期、つまりその集団の幼児期というべき時期に、個人のエディスプsコンプレックスに相当するようなことを経験しており、それが集団の行動様式に後々大きな影響を与えた。その影響は、個人の場合には良心とかその担い手としての自我の形成という形であらわれるが、集団の場合には、集団的な良心としての倫理的な命令とかその担い手としての神という形であらわれる、というのがフロイトの基本的な考えである。

フロイトはそうした考えに基いて、独特の宗教論を展開した。その成果として、中期の代表作「トーテムとタブー」が、晩年の代表作として「人間モーセと一神教」が生まれた。後者は一神教としてのユダヤ教の起源を考究したものであり、その意味では、特殊な研究ではあるが、宗教についてのフロイトの基本的な考えが盛られている点で、フロイトの「宗教概論」という性格を併せ持っている。

個人におけるエディプスコンプレックスは、去勢についての不安から父親への屈服をもたらし、そこから父親の権威を自己に内面化した自我が形成されていくというのがフロイト理論の基本的な図式であるが、それが集団心理学に適用されると、エディプスコンプレックスは父親の殺害という形をとる。その父親というのは、集団にとっての父親という意味で原父と呼ばれ、その原父の殺害があらゆる宗教の起源にある、というのがフロイトの考えである。その考えを初めて本格的に表明したのが「トーテムとタブー」である。トーテムとは殺された父親のシンボルとみなされ、それを食うことは父親の殺害を反復することである。一方父親の殺害という重大な事態から、その集団にはさまざまなタブーが形成される。父親殺害の直接の原因となった女についてのタブーは、近親性交の禁止とか外婚の原則といった形をとった。

ユダヤ教をはじめとした一神教は、宗教の高度な発展形態である。トーテミズムでは、原始的な祖先崇拝とアニミズムが結びついていたが、ユダヤ教では、神は抽象化され、しかも唯一神に集約された。フロイトの宗教論は、トーテミズムと一神教の間に収まっており、仏教やゾロアスター教といった多元的な価値を盛り込んだ宗教は除外されている。おそらくフロイトは原始宗教としてのトーテミズムを除けば、宗教の名に値するのは一神教だけだと思っていたのであろう。

その一神教であるが、一神教としてのユダヤ教は、あらゆる一神教のモデルとなった、そうフロイトは考える。フロイトが考えるユダヤ教以外の一神教は、キリスト教とイスラム教をさすが、フロイトはイスラム教にはほとんど感心を示しておらず、もっぱらキリスト教をユダヤ教との関連でとりあげている。それはおそらく、キリスト教はユダヤ教から派生したものだということを強調したかったからだろう。そう強調することで、キリスト教徒がユダヤ人を迫害するのは理不尽なことだと言いたいわけであろう。実際フロイトが「モーゼと一神教」を書いた1938年は、ナチスによるユダヤ人迫害が公然化しており、そのためフロイトはイギリスへの亡命を決意せざるを得なかった。だからフロイトは、自由なイギリスの空気の中でユダヤ人とキリスト教徒との関係に言及しつつ、キリスト教徒の良識に訴えたかったのだと思う。フロイトは「ユダヤ人ぎらいは、根本的にはキリスト教ぎらいである」と言って、キリスト教徒にユダヤ人を愛せよと促しているのである。

ともあれ、一神教としてのユダヤ教は、モーゼの宗教としてはじまった。この著作のそもそもの目的は、モーゼがいかにしてユダヤ人に一神教を教えたかについて明らかにすることだったのである。モーゼの一神教は、ユダヤ人共同体の原父殺害を発生起源にしていた。太古の時代に原父を殺した記憶が、ユダヤ人の間に伝えられ、そこから一神教の考えが生まれた。神は殺された原父のことだったのである。あらゆる宗教感情の基本は、父親を神としてあがめることから来ている。父親こそは家族の支配者であり、その運命の導き手なのだ。一方父親は息子たちに対して凶悪に振る舞うことがあり、また、息子たちに女を禁止した。そんな息子たちが父親に敵愾心を覚え、兄弟が団結して父親を殺すことから、宗教意識が発生した、というのがフロイトの宗教論の基本的図式である。その場合に、はるかかなたの太古の時代に行われた父親殺しの記憶がどのようにして伝わり、またそれがどのような具合に宗教意識に高まったか、が問題となる。個人の場合には、幼児期の体験が無意識のうちに抑圧されながら存続し、それが青年期になって表面化することで、神経症とか反復脅迫の症状があらわれるが、それとほぼパラレルに、共同体の原初の体験が無意識のうちに存続し、それがある一定の時期に表面化する。その時に、かつて殺された原父が共同体にとっての神という形に結実する。それが一神教の発生するメカニズムである。

この場合、個人について無意識が大きな役割を演ずるのと同様に、集団の場合にも集団的な無意識が大きな役割を演じる。集団にも無意識があり、それが世代を超えて伝わるという議論は、今の世では賛同を得るのがむつかしいと思うのだが、フロイトは、個人とは別に集団的な無意識があって、それが世代を通じて伝わるというふうに考えていた。モーゼがユダヤ人の一部に一神教を教えてから、それが民族全体に広がるまでかなりの時間の経過が必要だったが、その時間は集団的な無意識が伝達される時期であった、とフロイトは考えるのである。フロイトはユングと違って、意識の実体性をあまり信じなかったが、こと無意識については、個人のみならず集団についても、その実体性を容認していたようである。

なお、宗教意識の源泉については、フロイトの同時代人でやはりユダヤ人だったベルグソンもユニークな考察を加えている。ベルグソンは道徳と宗教とを比較しながら、道徳が閉じた社会としての特定の共同体内部に限られるのに対して、宗教は、開いた社会としての人類全体にかかわるというふうに考えた。つまり宗教は、人類全体にとっての普遍的な関心に応えているのである。そう考える点ではフロイトも共通している。フロイトも宗教を、はじめは共同体の成員を結びつけるものとして考えたが、次第に人類全体の関心事ととらえるようになった。そうすることで、宗教が人種間の争いを促進することがないようにしたいと思ったのだろう。ベルグソンにとってもフロイトにとっても、宗教は人類を相互に対立させるものであってはならず、むしろ結びつける働きをすべきものであった。


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