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エレアのゼノン:逆説と詭弁 |
エレアのゼノンは有名な「アキレスと亀の競争」の逆説によって、広く知られている。 もしも実在が分割可能なものであるなら、我々には決して解くことのできぬ逆説が生ずる。たとえば、アキレスは自分より先に走っている亀を決して追い越すことはできぬ、なぜならアキレスが一歩進む間に亀は半歩進み、さらにその先一歩進む間に亀は別の半歩を進む、このようにしてアキレスが亀に追いついたと思われる瞬間にも亀はその先を進むことになるから、アキレスは永遠に亀を追い越すことはできぬ。これが、その逆説の概要である。 ゼノンがこんな逆説を主張して人びとを驚かせたのは、師パルメニデスの説を擁護するためであったと伝えられている。パルメニデスは真の実在は一であって多ではなく、また分割もしえないと解いた。その説が笑いものになり、世界は多様なものからできているといった考えが強まったときに、ゼノンは世界がもし多様で分割可能なものなら、上述のようなパラドックスが避けられないと論駁したのであった。 だからこの説は、ゼノンの本意というよりは、世の中の誤りを正すために用いられた反駁手段のようなものだったのだ。ゼノンのこの説が逆説といわれるゆえんはそこにある。ゼノン自身は、師パルメニデスと同様、真の実在は一であり、また分割し得ないものであるから、このような逆説とは無縁なものだと考えていたのである。 ゼノンはパルメニデスより20歳前後若かったようだ。パルメニデスの養子であったとも、また愛人であったとも言われている。ソクラテスがアテナイを訪れていたパルメニデスと会ったとき、ゼノンも同行していた。その際、パルメニデスは老人であったが、ゼノンは40前後の男盛りで、容貌は美しく、高貴な印象を与えたという。 ゼノンの高貴な人柄を伝えるエピソードが残っている。彼は祖国のエレアを支配していた僭主のネアルコスを打倒しようとして、計画が露見し捕らえられた。ゼノンは拷問にかけられ仲間の名を言えと迫られたが、最後までいわなかった。それでもあまりの苦痛に耐えかねたゼノンは、一呼吸置こうとして名を言おうと申し出た。しかし拷問を解かれてゼノンが口にした名は、当の拷問する人びとの名だったのである。「君たちの卑怯にはあきれるよ、もし君たちが、いまぼくが耐え忍んでいることを恐れるがゆえに、いつまでも僭主の奴隷になっているのならだよ」ゼノンはこういって、自分の舌を噛み切ると僭主に向かって投げつけた。周りの人々はゼノンの勇気に感動して僭主に襲い掛かり、祖国を専制から解放したのである。 アキレスと亀の話のほかに、ゼノンの逆説と呼ばれるものが三つ伝わっている。動いているものは永久に目標地点に到達できない、飛んでいる矢は静止している、一つの瞬間はその倍の長さの瞬間に等しい、といった説である。 いずれも時間や空間が分割可能なものだという仮説を前提とすれば、そこから必然的に導き出される逆説である。これが単なる詭弁でないことは、アリストテレス以来多くの哲学者たちがやっきになって反駁に努めてきたことからもわかる。 ゼノンの議論は人間の認識に重大な挑戦をしているのである。20世紀になってさえ、バートランド・ラッセルらによる反駁が試みられ、スマートな解決が得られなかったほどだ。 ゼノンの逆説は、我々が時間と空間を分割可能な単位からなる連続量とみる限り、常にアポリアとして我々の前に突きつけられてくる。詭弁だといって笑い飛ばしているだけではすまない。 |
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