知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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存在論史の解体:ハイデガー「存在と時間」を読む


「存在と時間」の序説第二章は、全体構想の第二部で展開されるはずだった議論の概要を先取り的に説明したものである。第一部での現存在の基礎的分析を通じて浮かび上がってきた存在の根本性格である時間性、それを踏まえて西洋の伝統的な哲学を解体するというのが、第二部の基本的な目的だとされる。ハイデガーがその解体のとりあえずの対象として選ぶのは、カントからデカルトを経て古代のギリシャ哲学にさかのぼる流れである。

何故こうした遡及的な方法を選んだか。ハイデガーによれば、カントこそは存在の時間性という哲学にとっての根本的な問題について気付いた最初の人であったが、彼はその問題意識を徹底的に解明することが出来なかった。その理由はデカルトの議論にあまりにもひきずられていたからであり、またそのデカルトについても、中世のスコラ哲学からアリストテレスにさかのぼる伝統的な存在論に影響されていた。こういうわけで、何故存在が正しく議論されてこなかったか、というよりか忘却されてきたか、そのことを理解するためには、哲学史を過去に遡って検討することが便利だ、そうハイデガーは考えたのだと思う。もっともこの構想が実現されなかったことは、先述したとおりである。したがって第二章のこの部分は、西洋哲学史についての問題提起にとどまっている。それを前提にしながら、ハイデガーがここで何を言いたかったか、について追ってみたい。

まず、カントについて。ハイデガーによれば、「存在論の歴史のうちに、そもそも時間の現象でもって、存在の解釈が主題的にまとめられたかどうか、もしまとめられていればどの程度においてか、さらにそのために必要な存在時間性という問題提起が、原則的にしっかり検討されたか、またされうるかどうか、といった問いが出されねば」ならないのであるが、こうした問いについて探求した最初にして唯一の人がカントだったというのである。ここで「存在時間性」と訳されている言葉は、原文では「テンポラリテート」となっており、ハイデガー独自の意味を持たされている。簡単にいえば、存在が帯びている時間性というくらいの意味である。

存在時間性についてのカントの問題意識が現われているのは「図式論」の部分だとハイデガーは言う。カントの図式論というのは、感性的な所与と知性的な認識とを媒介する役割を持たされている。人間は感性的な所与を知性の認識枠組みとしてのカテゴリーに当てはめることで論理的な認識を行うことができるとカントは考えたわけだが、その場合に、感性的な所与は、そのまま無媒介に理論的な認識になるわけではなく、図式を媒介にしてカテゴリー化され、それによって始めて理論的な認識が成立する。何故なら図式には、感性的な部分と知性的な部分とが共存していて、感性的な所与を知性的な認識枠組みに当てはめる媒介項としての役割を果たせるからだ。

ところで存在時間性がなぜ図式とかかわりをもつのか、それが問題となる。ハイデガーは、この部分については何も言っていないのだが、おそらく人間の認識枠組みとしての時間と空間を念頭に置いているのだろう。時間と空間は、カントにおいては、対象のもつ客観的な属性ではなく、認識する側に備わっている主観的な枠組みだと考えた。ということは、存在の時間性を現存在の存在構えから導き出すハイデガーの立場に非常に良く似ているわけである。ハイデガーはそこに親近感を覚え、カントを自分の先駆者と位置づけたわけであろう。

だが、カントは折角時間を問題として取り上げながら、それを存在と深く結びつけて論じることを怠ったとハイデガーは言う。その理由は二つある。一つは、カントが「存在の問いを一般に怠っていること、これに関連して現存在を主題とする存在論が欠けていること、カント的にいえば、主観の主観性に先立つ存在論的分析を欠いていること」であり、二つ目は、「かれの時間の分析は、この現象を主観のなかに復帰せしめたにもかかわらず、なお伝承の通俗的時間理解に方向づけられたまま」であるということだ。その結果、「時間と『われ思う』との間の重要な関係は、全く闇につつまれてしまい、問題にもされない」というわけである。

というわけで、カントの挫折の原因は、デカルトの立場を独断的に継承したことにあるが、そのデカルトについては、ハイデガーは、「思考するもののあり方、もっと正確には『われ在り』の在るの意味」について無規定のままに放置したとして批判する。つまり「われ在り」の存在論的な土台を調べないで、それを無規定のまま使ったと言うわけである。

デカルトのこうした態度の背景には、存在についての中世存在論の見方が作用しているとハイデガーは言う。中世存在論においては、思考するものは存在論的に存在(エンス)とされるのであるが、その存在の存在意味は、神によって作られたもの、つまり被造物ということにある。この被造物、作られたもの、制作されたもの、という存在性格は、ギリシャの存在論にまでさかのぼる、とハイデガーは言いいたげなようである。「ようである」というのは、明示的にそう言表していないということだが、ハイデガーが、プラトン・アリストテレスの存在論を、イデアとそれにもとづいて制作された存在者の目の前存在との関係につい議論していることを考慮すれば、かれがプラトン・アリストテレスの存在論を中世存在論の直接の先行者とみていることは、木田元のいうとおり、ほぼ間違いないだろう。木田元は、ハイデガーの存在論の意義を、存在を人間の制作行為に関連付けて解釈し、存在をイデアという形での本質存在(そのもののそもそもの形=本質)に還元したことを取り上げ、そうした存在の取り上げ方がその後の西洋哲学を呪縛してきたというふうに整理した。そうすることで、ハイデガーの言う存在論史の解体が、プラトン・アリストテレスにさかのぼる存在についての根強い見方を解体することに目標を定めていると主張したわけである。

ともあれ、存在論史の解体についての議論をハイデガーは次のように要約する。「アリストテレスの時間概念の分析から、カントの時間概念がアリストテレスによって取り出された構造のなかで動いていること、つまりカントの存在論の根本方向が~新しく問うことというあらゆる区別にもかかわらず~ギリシャ的にとどまっていることが同時に遡って明らかになります」と。こんなわけで、存在論を正しい軌道に乗せるには、ギリシャにまで遡って、「伝統的な存在論の解体を実施」しなければならない、ということになる。もっともこの課題をハイデガーは、少なくとも「存在と時間」という試みのなかでは、放棄してしまうのであるが。ハイデガーが何故それを放棄したか、これはこれで非常に興味をそそる主題になる。このことについては、別のところで取り上げたいと思う。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2017
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