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精神について:デリダのハイデガー論


ジャック・デリダの著作「精神について(De l'esprit)」は、精神についてのハイデガーの取り上げ方の変遷を主題としたものである。「存在と時間」におけるハイデガーは、精神という言葉を注意深く避けていた、やむを得ず使わねばならないケースでは、引用符付きで用いていた。ところが1933年の有名な総長演説では、この引用符がはずされ、精神という言葉が堂々と使われるようになった。この言葉は、1935年の「形而上学入門」の中で一層磨きをかけられ、ドイツの民族性との強いかかわりにおいて論じられるようになる。そして総長演説から20年後に至って、ハイデガーは精神という言葉の多義性を深く反省しつつ、その本来的な意味について明らかにする。それはドイツ語でなければ言い表せないようなものであって、ドイツ語の優位とドイツ人の優越を物語るものである。つまりドイツ人こそが世界でもっとも精神的な民族なのである、とハイデガーは誇り高く宣言するに至った。大雑把にいうとそうデリダは捉えているようである。

ハイデガーはなぜ、「存在と時間」の中で、精神という言葉を注意深く避けたのだろうか。それを理解するためには、この言葉が西洋の哲学的な伝統の中で与えられていた意味について知ることが必要である。西洋の哲学的な伝統にあっては、この精神という言葉は、物質としての身体に対立するものとして、なにか実体的な存在のようなものと考えられてきた。こうしたデカルト的な立場から出発すると、哲学は正しい問いを発することができない。正しい問いとは、ハイデガーによれば、存在とは何か、という問いである。その本質的な問いに対して、ヨーロッパの伝統的な哲学は答えを出すことが出来ない。なぜなら、身体と対立関係にある実体としての精神から出発しては、存在の本質は見えてこないからである。それ故、存在とは何か、という本質的な問いに答えるためには、精神という言葉を避けなければならぬ。こうハイデガーは考えたのだろう、とデリダは言うわけである。

こんな具合であるから、ハイデガーが「存在と時間」の中で精神に与えていた定義は、デカルト以来の伝統的な規定を踏まえたものであった。そこでハイデガーが「精神」というとき、それはデカルト的な意味における精神であって、だからこそ哲学の本質的な問いにとっては避けなければならない言葉なのであり、もしも必要があって用いる場合には、引用符付きにしなければならないわけであった。

ところが、とデリダは言う。「六年の後、1933年、はたして『総長就任演説』である~幕開け、しかもそれはアカデミックな荘厳さのスペクタクル、引用符の消失を祝う演出の華々しさでもある。精神は舞台裏で出番を待っていた。今や登場すべき時だ。それは現われる」(「精神について」港道隆訳)

このようにデリダは言って、精神をめぐるハイデガーの転回を強調するのだが、何がハイデガーをしてその転回をなさしめたのか、内在的な要因にデリダは触れていない。つまり、ハイデガーの「精神」の内部でどのような変化が生じた結果この転回につながったのか、それについてデリダは明らかに触れないのである。デリダが触れているのは、総長演説の中でハイデガーが、精神について与えている次のような規定だ。デリダは総長演説の一部を引用する。

「精神とは存在の本質への根源に調律の合った、かつ知である決意性(ursprunglich gestimmte, wissende Entschlossenheit zum Wesen des Seins)である。一民族の精神的世界(geistige Welt, 強調されている)とは、一文化の上部構造ではなく、ましてや有用な知識と価値の工廠ではない。それは、民族の現存在(Dasein)を最奥で昂揚せしめる威力(Macht der innersten Erregung)かつ最も広く揺り動かす威力としての、民族の大地と血との諸力を最深部で保存する威力なのである。ただ精神的世界だけが(Eine geistige Welt allein)民族に偉大さを保証する」(同上)

決意、民族、威力、大地と血といった言葉が出てくることから、この文がナチスのプロパガンダと密接なかかわりをもっていることをデリダはほのめかしている。ということは、ハイデガーは、自分の精神の内部から湧き出て来た問題意識に応える形で「精神」という言葉を表舞台に引っ張り出したというより、どうも時代の空気に応える形で持ち出した可能性が高い、と考えているようである。そう考えなくては、「精神」という言葉をめぐる、この取り扱い方の百八十度ともいえる変化は説明できない。だがハイデガーは、その説明できないことを何とか説明して、自分の言説の矛盾を解こうと努力した。その努力の結果が、総長演説から二十年後に現われたのではないか、デリダはどうもそう考えているようである。それが、ハイデガーにとっての、「精神」をめぐる第二の重要な転回になったというわけである。

ハイデガーの「精神」をめぐるこの第二の転回を駆動したのは、ハイデガー得意の語源解釈である、とデリダは見ている。精神という言葉をドイツ語では Geist というが、それには亡霊という意味もあったりして多重的なニュアンスを含んでいる言葉なのだが、ハイデガーが重視するのは、Geist という言葉の形容詞がgeistig と geistlichに分かれること、したがってその名詞形もGeistigkeit と Geistlichkeit に分節されることである。そのうえでハイデガーは、geistig にはヨーロッパ哲学の伝統にそった意味合いを与え、geistlich のほうに自分固有の意味合いを持たせる。彼が「存在と時間」の中で避けていたのは、geistig としての精神なのであり、総長演説以来公然と用いるようになったのは、geistlich としての精神なのだ、というわけである。

こうして新たな意義を付与された精神という言葉について、晩年のハイデガーは沈思黙考するようになる。その結果ハイデガーは、精神とは焔である、という理解に達する。その根拠についてハイデガーはさまざまな思弁を弄しているが、その思弁には、よほどの物好きでないかぎり、ついていくのはしんどい。ただ言えることは、その思弁もまた、ドイツ語についての、またそれとかかわりのある限りでのギリシャ語についての、語源の再解釈からなっているということだ。存在への問いのような本質的な事柄については、ドイツ語以外でそれを正しく考え抜くことはありえない、そうハイデガーは言っている。次は、シュピーゲル誌とのインタビューに答えたハイデガーの言葉である。

「私が考えているのは、ドイツ語の内部にある、ギリシャ人の言語と彼らの思惟との特別な親類関係です。それは、今日フランス人たちが絶えず私に確証してくれることです。彼らは、思惟し始めるやドイツ語を話す。自分の言葉では、彼らは思惟に達しないのです」(同上)

ハイデガーのこの言葉に対してデリダは強く反応していない。自分の場合もハイデガーのいうとおりだと思っているからかもしれない。実際デリダのこの著作には、フランス語で書かれているにもかかわらず、ドイツ語が頻出するのである。少なくともその部分については、ドイツ語以外では思惟できない、そうデリダは考えたかもしれない。

ところで、精神とは何か、についてハイデガーが最終的に与えた答え、「火、炎、炎上、燃焼である」について、デリダはそれがとりあえず最古のヨーロッパ人の精神を呼び寄せるとハイデガーが考えていることに異議を呈している。ハイデガーのいう精神の最古層にはユダヤ人の精神があるはずだ、とデリダはほのめかしているのである。こう言われると、ヨーロッパ人ともユダヤ人とも異なる日本人の筆者としては、自分の精神はどのような古層に根ざしているのか、それとも日本人には精神などと言うものはそもそもの初めから無縁なことがらだったのか、そんな反省を迫られるところだ。





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