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北海:ハイネを読む


ハイネは、1825年の夏と翌年の夏、二度北海に遊んだ。ニーダーザクセン州の海岸沖に並び浮かぶ東フリースラント諸島のノルダーナイという島である。その滞在の印象から、二冊の詩集と一冊の紀行文を書いた。ここでは、その紀行文について述べる。

この紀行文は、大きく分けて二つの部分からなる。前半はドイツ人の俗物根性を嘲笑したもので、後半はそのドイツ人の宿敵であるフランス人の英雄ナポレオンを賛美する。

まず、ドイツ人の俗物根性批判。これにはなぜか、ゲーテを巻き込んでいる。ハイネはゲーテを俗物だとは言っていないのだが、しかしゲーテを崇拝するドイツ人を俗物といっているわけだから、ゲーテは俗物の英雄ということになる。だから、ゲーテをよく理解できればドイツ人の俗物根性もよく理解できると言いたいかのようだ。ハイネがこのようにゲーテに厳しいのは、おそらく前年にハルツに旅した帰途ゲーテを訪ねた際に、その人柄によくない印象を持ったためだと思われる。ゲーテはハイネを、小僧のようにあしらったのである。

ただ一つ、ハイネがゲーテの俗物性に直接言及したかに思われる部分がある。それはゲーテの自伝好きな傾向を話題にした部分だ。ハイネはこういう、「自伝(「詩と真実」)を提供するから、あなたがた読者が作品を批判評価するための手引きにしてくださいといいながら、彼が提供してくれたのは、批判そのものの基準ではなくて、彼を評価する出発点になるような、あたらしい事実ばかり~もっともこれは当然といえばしごく当然で、どんな鳥も自分自身をこえてとんでいくことはできないようなものではあるが」(中村英雄訳)。実に辛辣な批判である。

ドイツ人について、ハイネが俗物根性とともに強く嫌悪するのは、その凶暴さである。それはユダヤ人としてのハイネが、ドイツ人から受けてきた野蛮な仕打に原因があるようだ。ハイネはその野蛮な仕打を狩猟にたとえて、次のように言っている。「高貴なもの、美しいもの、よいものに対する感覚は、教育を通して人間に教え込むこともできよう。だが猟に対する感覚は血筋によって伝わるものだ。先祖が遠い昔からのろしか狩をやっていると、子孫もこの由緒ある仕事を面白がるものだ。あいにく、ぼくの先祖は猟をするほうではなく、されるほうだったから、むかしぼくの先祖とともに狩りたてられた仲間の子孫めがけてぶっぱなす段になると、とたんにぼくの血が逆上するのである」

この先祖と子孫にまつわる話にからめて、ハイネはドイツ人の俗物根性は、輪廻すると言っている。輪廻の概念はインド由来のものだが、そのインド由来の概念を使ってドイツ人の俗物根性の相続を説明するのである。ハイネはいう、「ヒンヅー人はなかなかどうして、わが国の宣教師たちが思い込んでいるほどばかではなく、かれらが動物をあがめるのはその中に人間の魂がやどっていると推量すればこそだし、彼らが老衰した猿のためにわが国のアカデミー風の病院を建てているのは、その猿どもに大学者の魂がやどることも大いにありうるからなのだ。なにしろ、ひるがえってわが国を見るならば、若干の大先生には猿の魂しかひそんでいないことは、だれの目にもあきらかなくらいだから」

次に、ナポレオン崇拝について。ハイネはナポレオンをほとんど同時代人として感じており、自分が偉大な人物の目撃者だという自覚をもっていた。だからこそ、次のように書いたのだ。「偉大な人物のひとりについていろいろと知りえたために、生気に満ちたその姿をぼくらの胸に受け入れて自分の魂を少しでも大きく豊かにできるならば、これほどありがたいことはない。ナポレオン・ボナパルトはこのような人物の一人である」

そのナポレオンを叙事詩に書いたフランスの詩人をハイネは高く評価した。「ドイツ人も叙事詩を書きはするが、その主人公はぼくらの頭の中に存在するにすぎない。ところがこのフランスの叙事詩の主人公は本物の英雄」なのだという。その姿を描くことが、すなわち本物の英雄を描くことにつながるとは、なんとうらやましいことか、とハイネはドイツ人の俗物根性を思い描きながら嘆息するのである。

ナポレオンの偉大さは、かれの思考スタイルにも根ざしている。ハイネは人間の思考スタイルを、総合的・直感的な思考と、分析的・悟性的思考とにわけ、前者をよりすぐれたものとしたうえで、ナポレオンがそうした思考の代表的な例だとする。ナポレオンの思考スタイルは、「われわれのそれのように推理的な悟性ではなく、普遍的なものだから、総合的普遍性から、すなわち全体そのものの直感から、特殊性へと進む、いいかえれば全体から部分へと進むものである、と。つまり、われわれならばまだるっこい分析をやって考え抜いたうえ、ながったらしい推理をしてやっと認識するところを、あの精神はたちどころに直感し、ふかく把握してしまうのだ・・・とかく手のこんだ、まわりくどい術策にかたむきがちなのは、こせこせした分析的な人間であって、反対に総合的・直感的な人間は、現実が提供してくれる手段を天才的につかんで利用し、あっという間に目的を達成するすべをこころえている」

ハイネがこれほどまでナポレオンを賛美するのは、ひとつには、ドイツ人の俗物根性の根本的批判をナポレオンの人格の中に感じたということだろうし、また、ナポレオンが古い因習を打破して、新しい時代の息吹を感じさせてくれるということもあろう。その息吹の具体的な内容にハイネは触れていないが、フランス革命の理念となった自由・平等・博愛を念頭においていることは、おそらく間違いないだろう。その理念にもっとも遠い国、それがドイツである。そのドイツについての情けない心情をハイネは、この紀行文の最後に次のように書いている。「ライン河の彼方と、海峡のかなたの隣国の文学をわが国の安直な文学とくらべてみれば、わが国の安直な生活の空虚さと無意味さがよくわかるだろう」

ハイネの同時代批判は徹底したものだったが、それはナポレオンに鼓舞された心情をもとに醸成された態度だといえる。そうした意味でハイネは、ナポレオンの精神的な弟子であったといえよう。ハイネが師匠のナポレオンから学んだのは、フランス革命の理念に体現された、人類の普遍性ということではないか。人間はドイツ人であるよりまえに、まず人間であるべきだ、というのが、ハイネがナポレオンに学んだことの応用例である。


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