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イギリス断章:ハイネのヨーロッパ諸国比較


1827年4月、ハイネはイギリスに渡った。その直前に「旅の絵」第二巻を刊行し、詩の部分は大いに反響を巻き起こしたが、政治的な文章のほうは、その過激さを権力に憎まれ、プロシャやオーストリアでは検閲にひっかかった。ドイツでは言論の自由がないということを実感したハイネは、対岸のイギリスではどうなっているのか、気になったようだ。なお、この旅行では、叔父の手引きもあって、有名なユダヤ人富豪ロスチャイルドの歓待を受けたという。

イギリスの実情をつぶさに観察したハイネは、ドイツよりはましだが、フランスよりは遅れているという印象をもった。イギリスはブルジョワの国で、金儲けには熱心であり、その金儲けに役立つかぎり自由を主張するが、その自由は実利にともなうものであって、それ自体として尊重されているわけではないと思った。それに比べればフランスは、自由がそれ自体として尊重され、それを守るためには、市民は死をも辞さない。これら両国に比べ、ドイツ人は、自由というものがどういうものかさえ知らない、と言ってハイネは嘆息するのである。

「イギリス断章」は、イギリス滞在中にハイネが抱いた印象を記したもので、十一の小文からなっている。第一章「テムズ河の上でかわした対話」では、英仏独三か国の国民の自由の捉え方を比較している。ハイネは自由を宗教のようなものだといい、「かつてどの国民も、キリスト教を受け入れると、それぞれの欲求と自分の性格にあわせてその形を変えたように、どの国民も、新しい宗教、つまり自由から、それぞれの地域の欲求と国民性にあうものだけを受け入れるだろう」(市村仁訳)と書いている。

まず、イギリス人とフランス人の比較。「イギリス人の場合は、たいていの欲求が個人の自由をめざしているが、フランス人の場合は、一般的な自由のなかで、われわれが平等と呼ぶあの部分さえ、たっぷり味わわせてやれば、どうしてもやむを得ぬ時には、個人の自由がなくてもたぶん済むかもしれない」。つまりイギリス人は個人の自由をなによりも重んじ、その点家庭的なのだが、フランス人は平等を重んずるところから社交的になるというのである。

この二国に比較して、「ドイツ人についていうと、彼らは自由もほしがらないし、平等もほしがらない。彼らは思弁的な国民だ。観念論者で、前後のことを考える思索家で、夢想家だ。過去と未来にのみ生きて、現在をもたない」。ハイネ自身もまたそんなドイツ人の一人だ。それゆえ彼は次のように言って自嘲するのである。「ぼくたちはみんな眠って夢を見ているので、たぶん自由がなくてもかまわないんでしょう。ぼくたちの専制君主もやはり眠っていて、専制政治の夢しか見ないんですからね」

第二章「ロンドン」は、イギリス文化の画一性を皮肉る一方、貧富の差が激しいことを批判する。イギリス文化の画一性は住居の作りに表れている。同じような作りの家が整然と並んでいることをハイネは「二列のかぎりなく長い兵舎」にたとえるのだが、これには違った見方もあるだろう。そうした整然とした街並みを美しいと感じるものもいるのだ。ところが、人間の顔つきや衣服がかぎりなく似通っていることは、誰がみても不気味かもしれない。

イギリスで貧富の差が激しく、それが深刻な貧困問題をもたらしていることは、ロンドンの街並みを見た限りでは、表立って見えてこない。ロンドンでは、スラムは市街地の見えない一角に閉じ込められていて、わざわざ人の目を不愉快にさせることがないように配慮されているからだ。そうしたイギリスの貧困問題にハイネはいち早く気づいていたわけだ。後にエンゲルスが、イギリスにおける労働者階級の悲惨な境遇について、実証的な分析を加えるのだが、ハイネのイギリスを見る目は、エンゲルスのそれを先取していたといえる。

第十一章「解放」は、諸国民が奴隷的な従属から解放されて、自由で平等な社会を実現する可能性について論じている。奴隷的な従属の反対には、専制的な権力があるわけだが、諸国民を専制君主と奴隷とに分けるのかカースト制の原理だとハイネはいっている。だから、自由で平等な社会を実現するには、カーストを打破して、そこから解放されねばならない、というのがこの章のタイトル「解放」の意味するところだ。

カーストはインドで発生し、ヨーロッパには無縁のものだと考えられてきたが、実はそうではない。カーストはエジプトで発生したのであり、それが周辺部に伝播した。エジプトの周辺部に位置していたヨーロッパにカースト制が広がるのは自然の勢いなのだ、とハイネは言うのである。

そこでハイネは、カーストを打破するものとして、印刷術と火薬の発明が決定的な役割を果たしたと言う。印刷術は諸国民を利口な人間に変えることで、専制政治への疑問を植えつけたし、火薬は、貴族階級の軍事的優位を崩壊させて、一般の民衆に戦う武器を与えた。民衆はそれを最大限活用して、国王たちの首をはねることができたというわけである。ハイネはギロチンに歴史的な意義を認めて次のように書いている。「フランスの医者、偉大な世界の整形外科医ギロチン氏が発明したこの機械、愚かな頭を心臓からいとも簡単に切り離すことのできるこの有益な機械が、いささか頻繁に用いられたことは、もちろん否定できない。しかし、これが用いられたのは、治らない病気、たとえば、裏切り、虚偽、軟弱の場合だけである。しかも患者は長い間苦しめられ、拷問にかけられ、車裂きにされたわけではない。良き昔は何千人も、それもPoturiers とVilainesつまり市民と農民が何千人も、苦しめられ、拷問にかけられ、車裂きにされたのだ」

「イギリス断章」が全体として目指しているのは、諸国民が古い専制政治から解放され、自由になることだ。ハイネにとって「自由は新しい宗教であり、われわれの時代の宗教である」。その自由は、目下フランスでもっともよく実現されており、イギリスでは中途半端に実現されている。それに対してドイツでは、まったく見向きもされない。専制君主だけでなく、一般庶民も自由をありがたくは思っていない。そんな嘆かわしい事態への批判を、ハイネは次のような文章であらわし、著作全体の結びとしている。「パリは新しいイェルサレムである。ライン河は、祝福された自由の国を、俗物の国からへだてるヨルダンである。


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