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ミュンヘンからジェノアへの旅:ハイネのイタリア紀行 |
イギリスからハンブルグに戻ったハイネは、人妻への失恋を経て、ミュンヘンへ行く。そこでドイツ最大の出版社コッタと契約を結び、「政治年鑑」の編集に携わるようになった。 1828年の7月から11月にかけて、イタリアへ旅している。その旅からユニークなイタリア紀行が生まれた。「ミュンヘンからジェノアへの旅」や「ルッカの温泉」などである。この紀行文の中では、「ミュンヘンからイタリアへの旅」のうちの、マレンゴの戦場についての部分が特に有名である。この文章の中でハイネは、自分を「人類解放の勇敢な兵士」と宣言した。 マレンゴの戦場にかかわる部分を紹介しよう。マレンゴとは、ナポレオン軍とオーストリア軍が激突したところで、ナポレオンはここで敗北寸前に追い詰められたのであったが、奇跡的に勝利した。このことでナポレオンは国民の熱狂的な支持を固め、皇帝への道を突き進んでいく。 マレンゴは、ミラノからジェノアに向かう途中にある。ハイネがそこを通りがかったとき、御者が「ここはマレンゴーの戦場であります!」と言った。それを聞いたハイネは、「わたしの心はどんなに笑ったことか」という。ハイネが笑った理由は、ナポレオンへの両義的な感情のためだろう。かれはナポレオンを賛美するが、それはナポレオンの行為に対してではなく、かれが体現していた偉大な理想のためであった。その理想は精神的なものであり、物質的なものではない。ヨーロッパ諸国は物質的な利害の点では分裂しているが、精神的な面ではつながりあっているというのがハイネの意見だ。そのつながりをもたらしたのがナポレオンである限り、ハイネはナポレオンを賛美するというわけだ。 われわれの時代には大きな課題がある、とハイネはいう。それは「解放」である。貴族的な制度から解放されて、すべての人びとが自由になること。それがわれわれの時代の課題であり、それを自覚させてくれたのがナポレオンなのである。 ところで、ハイネの乗っていた馬車には、一人のロシア人が乗っていた。そのロシア人はハイネに向かって、「あなたはロシアの味方ですか」と問う。折からギリシャの独立をめぐってロシアとトルコとの間で戦争が生じていた。その戦争をめぐって、どちらに味方するのかと、そのロシア人はハイネにただしたのである。ハイネは、ロシアの味方だと答える。その理由は、ロシア皇帝ニコラスが「ギリシャの寡婦と孤児とをアジアの野蛮人からまもり、そのようによい闘いをしたことによって騎士たるに値することを示した」(舟木重信訳)からである。だから「ロシアの皇帝を自由の旗手と考えなければならない」というのである。 これは、ロシアのかいかぶりすぎだと思うのだが、ハイネはバイロンにかぶれており、そのバイロンはギリシャ独立戦争に深くかかわって、トルコとの戦いに命を捧げていた。そのトルコに敵対する形で、ロシアがギリシャの独立戦争に介入したことは、ハイネにとっては、ギリシャ解放の戦線にロシアも加わったことを意味した。そんなわけでハイネは、俄かロシア・ファンになったのであろう。ロシアびいきのあまり、ロシアを人類の自由と平等を尊重する世界主義国家だとまでいっている。「ロシア人はすでにその国の広大な面積によって、狭量な国粋主義から解放されているし、またロシアは人間の住む世界のほとんど六分の一を占めているので、彼等は世界主義者であるか、あるいは六分の一の世界主義者であるからだ」というわけである。 ともあれハイネは、そのロシア人が故国を誇らしげに語り、「われわれのロシアとかわれわれのディービッチュとかいうのを聞くと、わたしは、世界の海を自分の祖国と呼び、鯨を自分の同国人と呼ぶ鰊の話を聞くような気がする」といっている。ロシア人は、広い海を自由に泳ぎ回る鰊のようなものだというわけである。 だがそのロシアを民主主義の国家であるとハイネが言うとき、ハイネの判断力は、自分の趣味にひきずられて、かなり揺らいでいたといわざるを得ないようだ。ロシアがギリシャ独立戦争に介入したのは、別に自由の理想のためではなかったし、トルコとは地中海へのアクセスをめぐって、いつも争いあってきた仲であり、今回の露土戦争もその一環にすぎない。 ロシアをそこまでして持ちあげるのは、ロシアの重みをもって自由の重みを強調したかったからだろう。ハイネは基本的に政治的な人間であって、自分の理想実現のためには、多少ダーティな振る舞いをしても許されると思っていたフシがある。かれは、理想に燃えた詩人としてよりも、剣を振りかざして自分の政治的理念を実現する闘士として、自分を受け取って欲しかったのである。マレンゴの戦場を去るにあたって、ハイネは次のように言っている。「わたしは詩人の名声にけっして大きな価値をおかなかった。そして世人がわたしの歌を賞賛しようと非難しようと、わたしはさして意に介しない。しかし諸君はわたしの棺の上に剣をおかなければならない。なぜかといえば、わたしは人類解放戦の一兵士であったからだ」 |
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