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アラファト以後:イスラエルとパレスチナ


長らくパレスチナ人の象徴だったアラファトが2004年12月に死んだ。フランスの陸軍病院に入院中だったが、何者かによって放射性物質で毒殺されたという噂も立った。後継者をめぐって多少の混乱があったのち、マフムード・アッバースがパレスチナ自治区大統領・PLO議長に就任した。アッバースは、前年の3月に新設された自治政府の首相に任命されていたが、わずか半年で辞任していた。辞任の理由はアラファトとの齟齬であった。

一方、アラファトの敵手シャロンも、アラファトの死の約一年後の2006年1月に脳卒中で死んだ。シャロンはカーディマという新党を率いていたが、そのカーディマの新しい指導者となったオルメルトが後任のイスラエル首相に就任した。オルメルトはシャロンの路線を引き継ぎ、パレスチナの「テロリスト」に厳しい態度をとった。

アッバースは、ハマースの強い挑戦に直面した。総選挙の結果躍進したハマースは、自治政府に一定の影響力を及ぼせる立場にあった。しかしハマースはイスラエルによって敵視されているばかりか、アメリカにもテロリスト指定を受けており、パレスチナ人を代表するには多くの問題を抱えていた。ハマースは、イスラム原理主義のイスラム同胞団を母体にした組織で、イスラエルに対して敵対的な姿勢をとっていた。それが、イスラエルの承認を条件とするアメリカの中東政策と衝突したのである。そんなハマースを、アッバースは無視した。その結果、ファタハが支配する西岸地区と、ハマースが支配するガザとに、パレスチナは事実上分裂してしまったのである(その頃の西岸とガザの人口比は、西岸が約200万人、ガザが約120万人だった)。

西岸を基盤としたアッバースの自治政府は、国際協調を基調にして国際的な地歩の確立と、近い将来におけるパレスチナ独立国家の樹立にむけて注力した。その路線を代表するのがアッバースによって首相に任命されたファイヤードであった。IMF出身のエコノミストであるファイヤードは、パレスチナが独立国家として必要とする財政基盤を築くことに努力した。その努力はIMFなどの国際機関の評価するところともなった。

一方ハマースが支配するガザは、イスラエルに封鎖されて孤立状態に陥った。ハマースはイスラエル領内に向けてロケット弾を発射するなどの徴発を続け、その報復という形で厳しい攻撃にさらされた。イスラエルの対ガザ攻撃のもっとも大規模なものは、2008年12月28日から翌年1月18日にかけて起こった。この攻撃によるガザ地区の死者は1400名にのぼり、そのうち900名が一般住民で、その三分の一は子供だった。イスラエルのこの攻撃は、ゲットーに封じ込められた人々へのホロコーストといってもよく、イスラエルは国際社会の強い批判を受けた。その結果、国連による停戦を受け入れざるをえなくなった。

ガザ攻撃は、オルメルトの政治家としての資質の低さを示す形となったが、オルメルトはそれ以前にも資質の低さを示していた。2006年7月におけるレバノン侵攻の失敗である。これはレバノンの過激派組織ヒズボラによるイスラエル兵2名の拉致に反応したものだったが、結局拉致された兵を取り戻すことができないまま、国連による停戦に応じざるをえなかった。

イスラエルに封鎖されたガザ地区は、深刻な経済難に陥った。地区内での産業は壊滅状態であり、まともな職業についているものはほとんど存在しなかった。そんな状況に陥ったガザの人びとは、かつてゲットーに押し込められたユダヤ人たちと全く同じような境遇に置かれたのである。もっと悪いかもしれない。でも人々は生きて行かねばならない。しかしイスラエルに封鎖された状態では、生きるために必要な物資の搬入もままならない。そこで面白い現象が起きた。エジプトとの間に夥しい数のトンネルが彫られ、それを通じてエジプトから物資を運び入れたのである。

トンネルの数は1000にものぼり、その建設には6000人が従事したといわれる。ガザはこのトンネルに依存した状態になり、そのようなガザの状態をトンネル経済といった。イスラエルはそれらのトンネルが武器の移入にも使われていることを理由に破壊したが、全部を破壊できるものではなかった。

ともあれオルメルトのちぐはぐな対応は、次第にイスラエル国民の強い批判を招くようになり、その結果、2009年2月の総選挙後に、リクードのネタニヤフが二度目の首相に就任した。ネタニヤフの登場は、パレスチナ問題の解決を更に見通しづらいものにしていった。この時の選挙はイスラエル社会の大きな変化を予告するものでもあった。極右政党の「我が家イスラエル」が労働党を抜いて第三党に躍進するなど、イスラエルの右傾化が一段と進んだのである。「我が家イスラエル」の党首リーベルマンは、イスラエル国籍をもっているアラブ人をイスラエルから追放せよと叫んでいたが、そうした極端な差別思想が、イスラエル社会で大きな影響力を持つようになるのである。



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