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新井白石を読む:折たく柴の記


「折たく柴の記」は新井白石の自叙伝として知られている。上・中・下の三巻からなるが、自叙伝としての要素がもっとも大きいのは上巻である。この部分は、白石自身やその父親の生き方について述べたもので、白石の人間像が鮮やかに浮かび上がって来る。それを読むと、新井白石という人間は、なにはともあれ古武士的な心情を生涯失わなかったことがわかる。

新井白石は、そうした心情を父親から受け継いだようである。父親は息子の白石に向って折に触れて教訓を垂れたが、その多くは古武士的な生き方を理想とするものだった。白石は、そうした父の言葉を内面化したようである。新井白石といえば様々な評価があり、とりわけその実証的な態度が日本の思想史のうえで画期的だといわれることが多いが、この自叙伝を読む限りは、白石という人は、なによりも古武士的な面子にこだわる人だということがわかる。

新井白石は、父親から聞いたという話を多数載せている。その多くは、武士としてのメンツを重んじるものだった。白石の少年時代は、まだ関ヶ原の戦いからそう経ってはいないので、武士の間に古い倫理観が根強く生きていたと考えられる。白石の父親は、そうした古い倫理観を息子の白石に伝えたわけであろう。

父親から受けた教訓のなかで白石がもっとも重視したのは、忍耐ということだった。白石は次のような父の言葉を紹介している。「男児はただ事に耐ふる事を習ふべきなり。これを習ふべき事は、何事にもあれ、我きはめて耐へがたく思ふ事よりはじめぬれば、久しくしては、さのみは難事と思ふ事はあるべからざるなり」

この忍耐ということは、身の処し方のみならず、学問においても重要だと白石はいう。そして自分はそれを実践したと言う。たとえば、夜間に自ら学業を課し、バケツに二杯の水を用意して、眠気を催すたびにそれを頭からかぶって眠気をさまして学問を続けた。そのかいあって、自分は、独学ながらもひとかどの学問を収めることができたと自慢したりもする。

もっとも、この独学ということについては、複雑な感想を抱いてもいたようで、もしきちんとした人について学んでいたなら、もっと上達したであろうとも言っている。「今これらの事共を思ふに、むかし我三歳なりし時より、物書くことをしれる初に、しかるべき師といふものもありなむには、かく書に拙き身にもあらじ。また六歳の時より、詩を誦じ習ひし事などありし時より、したがひ学ぶ所もありなば、文学の事も、すこしくすすむ事もありなまし。まして十七の時より、斯道にこころざせしときより、をしへみちびく人もありなむには、今の我にもあらじ」

こう謙遜はしているが、白石は自分の学問にはたいへんな自信を持っていた。その自信が、この自叙伝の端々から伝わって来る。その自信はどこから来るのか。白石自身それを明かしている。「かほどまでに学びなせし事は、前にもしるせし事の如く、つねに耐へがたき事に耐ふべき事をのみ事として、世の人の一たびし給ふ事をば十たびし、十度し給ふ事をば百たびせしによれる也」

耐えがたきを耐えるという言葉を白石は好きだったらしく、違う文脈でも重ねてこの言葉を使っている。「此年頃、堪へがたき事をも堪へ、忍びがたき事をも忍びしは、主となしまゐらせ、従者となりし所を思ひしがゆゑなり」

この言葉からは、新井白石が儒教的な孝悌観に強く縛られていたことがうかがえる。



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