知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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もの・こと・ことば:廣松渉の事的世界観


廣松渉の謂う「事的世界観」とは、「"もの"に対する"こと"の基底性」、「"実体"に対する"関係"の第一次性」を基本に置く思想である。デカルト以来の西洋哲学の伝統においては、"もの"がまずあってそれが相互にかかわりあうことから"こと"が生じる、あるいは、"実体"がまずあってそれが相互に"関係"しあう、という風に考えられてきたのであるが、廣松はそれを逆さまにしたわけである。

実は、こういう考え方は、廣松の専売特許ではない。すでにマッハやフッサールなどカントの後継者といわれる人々は、"もの"自体の否定を徹底させて、世界を純粋な現象界("こと"の世界ともいえる)として叙述する姿勢を強化していたし、同じくカントの後継者であるカッシーラーは「実体概念と関数概念」を対立させながら、関数概念の優位性を主張していた。関数概念とは、実体ではなく関係性に着目した考え方である。

廣松のユニークな点は、この事的世界観を、共同主観的な認識論と関連させながら展開することにある。

そんなわけで、廣松の事的世界観への言及は、「世界の共同主観的存在構造」を議論する過程で散見していたのであるが、それが主題的に議論されるのは、「もの・こと・ことば」においてである。

この著作は、表題から推察されるように、"もの"と"こと"との関連について"ことば"を媒介させながら論及したものである。"もの"はふつう「名詞」として、"こと"は「文章態」としてあらわされるが、これをよくよく分析すると、文章態としてあらわされている"こと=ことがら"が本源的であり、名詞として浮かび上がってくる"もの"は、ことがらの結節したものだということがわかってくる、と廣松はいう。

たとえば、「牛は黒い」という文章について。これは、主語・名詞(=牛)+述語・形容詞(黒い)というかたちとして考えられ、名詞というものは第一次的に主語に立つもの、形容詞は名詞を修飾するものと思われがちだ。だが、よくよく分析してみると、この文章は、「これは牛だ、(その牛である)これは黒い」、に分解できる。ところが、「これは牛だ」も「これは黒い」も、どちらも事柄をあらわす述定的な表現(文章態)なのである。ということは、「牛が黒い」は名詞を主語にした第一次的な表現などではなく、「これは牛だ、(その牛である)これは黒い」を成素とする"第二次的成体"である、ということになる。要するに「こと」が本源にあって、そこから「もの」が生じるという発想である。

このあたりを廣松は、つぎのように説明している。

「第一次的に存在する『関係』態が"つかみ"において現前化するのはまずは『こと』としてである。というよりもむしろ、『こと』というのは第一次的存在性における『関係』の現相的な即自対自態 An-und-fur-sich-Sein なのであり、この『こと』の契機が被述定的な提示態として対他的に自存化されることにおいていわゆる『もの』が形象化 gestalten され、ひいては"実体"が hypostasieren(「実体化」筆者注) されるのである」(「もの・こと・ことば」物と事との存在的区別)

相変わらず廣松らしい韜晦な表現であるが、要するに、「こと」から「もの」が形象化され、「関係」から「実体」が結節してくる、とするのである。

この「もの」と「こと」、実態と「関係」との関連について廣松は、後に「存在と意味」のなかで、さらに詳細に展開した。

「関係主義は、いわゆる物の"性質"はおろか"実体"と目されるものも、実は関係規定の"結節"にほかならないと観ずる。この存在観にあっては、実体が自存して第二次的に関係しあうのではなく、関係規定態こそが第一次的存在であると了解される」(「存在と意味」序文)

この関係規定態としてあらわれるものは、論理的次元では関数としてあらわされるが、人間の認識のレベルにおいては、とりあえずは、現象的所与として現れる。この現象的所与は、カントの言うように、まったくの感覚的素材にとどまるものではなく、すでにそれ自身のうちに分節化の要因を含んでいる。そのことは廣松が、現象的所与の二肢的二重性と呼んだものであって、対象は単なるあるものとしてだけではなく、それ以上のあるものともしても認識されるという事態をさしている。そうした事態において把握された対象のありようを、論理的に表現したものが関数的な関係性なのである。それゆえ、現象的所与から論理的な分節化が生まれるのとパラレルに、関数的関係性から実体というものが結節されてくるわけである。

「いわゆる実体は関係規定性の反照的"結節"であって存在論的には独立自存体でないこと、自存的実体なるものは物象化的錯認に基因するものであって関係規定性こそが第一次的存在であること、この関係主義的存在了解」(同上)が眼目なのである。

このように、実体は関係の結節であるにかかわらず、これまでの哲学的伝統においては、実体のほうが関係に先立つと思念されてきた。それを廣松は、「物象化的錯認」と呼ぶ。廣松の事的世界観は、ここにおいて「物象化論」と交差するわけであるが、物象化論については、別の論考で主題的に取り上げたいと思う。

さて、このようにして、実体概念から関係概念への転移、物理学的世界観から事的世界観への転換が確認されたわけだが、それは廣松ひとりの問題意識がしからしめたところではない。実は、人類的規模において、世界観をめぐるパラダイムの転換が静かに(即自的)起こっていたのであり、自分のなしたことは、それを対自化したにすぎないのだ、と廣松はいうのである。

「管見によれば、人類文明はかなりの以前から世界観的次元でのパラダイムの推転局面~17世紀におけるいわゆる近代的世界観への転換期に次ぐ新たな現代的世界観への転換期~を即自的に径行しつつある。茲に胚胎している新しい世界観的パラダイムを対自化し、可及的に定式化すること、これが哲学の今日的一課題であり、この課題に対して著者なりに応える拙い構案が謂うところの『事的世界観』である」(同上)

ここで謂うところのパラダイムの推転局面とは、さまざまな動きが相互に働きあいながら、巨大な山が動くように動いているものと思念されている。その動きのなかには、マッハやフッサールによる廣松と似たような視点の転換と並んで、「世界の共同主観的存在構造」のなかで言及されていた、未開人の精神構造や精神病患者の意識構造の研究からもたらされた知見、ゲシュタルト心理学が打ち出した発想、フランス社会学派による「集団表象」の理説なども含まれる。それらさまざまな動きがからみあって、人間の認識機制についての見方が従来とは180度反転するような劇的な転変がおこりつつある、ととらえているわけであろう。

こうしてみれば廣松は、自分自身を壮大なパラダイムの転換者のひとりとして、しかもその最先端を行くものとして、位置づけているということがわかる。




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