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廣松渉のメルロ=ポンティ論


廣松渉は、「メルロ=ポンティと間主体性の哲学」と題した論文の中で、自分の立場と比較しながら、メルロ=ポンティの哲学の特徴と限界について論じている。そのメルロ=ポンティの哲学の特徴を廣松は「身体に定位せる間主体性の哲学」と簡潔に表現しているが、けだし言い得て妙な表現といえよう。

まず「身体に定位」ということであるが、人間の知覚の分析に身体のモメントを持ち込んだことはメルロ=ポンティの最大の功績であった、と廣松は評価する。メルロ=ポンティ以前の認識論は、知覚をもっぱら人間の意識の範囲内での出来事とし、そこに身体のモメントを持ち込むことはなかった。身体が問題になるとすれば、それは知覚の対象としてでしかなかった。デカルトを引用するまでもなく、身体は精神界と対立させられた限りでの物質界の一部だったのである。フッサールの現象学は、日常世界ということに着目する過程で、身体に大きな比重を与えようとはしたが、それはあくまでも現象学的還元を施す前での話であり、厳密な学としての哲学にとっては、身体はやはり二義的な問題に過ぎなかった。

ところがメルロ=ポンティは、人間の知覚は身体を介在せずには成立しないという、いまでは当たり前に思われることを、はじめて哲学的な形で表現したのだった。たとえば、もっとも原初的な知覚である感覚についてみれば、視覚は身体の一部である目を通じて成立し、触覚はやはり身体の一部である皮膚を通じて成立する。従来の哲学では、視覚においては目を、触覚においては皮膚を介在させることなく、いきなり視覚映像やら蝕感覚やらを持ち出して、それを分析するプロセスの中で、せいぜい非本質的なモメントとして目や皮膚に言及するだけであった。あたかも、視覚映像や蝕感覚が、本質的には目や皮膚抜きに成立するのだといわんばかりに。

メルロ=ポンティにとっては、感覚というものは、対象から主体への一方的な働きかけの結果起こるものではなく、また主体のほうが対象へ一方的に意味づけする結果起こるものでもない。それは主体と対象との相互作用=交合から起こる。

「私のまなざしが色と対になるのであり、私の手が硬さや軟らかさと対になるのである。感覚の主体と感覚されるものとのこのやりとりにおいては、一方が作用し他方が作用を受けるとか、一方が他方に意味を与えるとかいうことはできない・・・感覚とは世界との生き生きとした交信なのである・・・われわれの身体と諸物とが対になる交合である」(「知覚の現象学」廣松訳)

なぜこうした交合が可能になるのか。それは人間が単なる精神的な働きの担い手であるに留まらず、身体を持った、あるいは身体としての、存在だからだと廣松はいう。デカルト以来、西洋の哲学では、人間が身体を持った、あるいは身体としての存在であることを故意に無視してきたが、それをメルロ=ポンティは明るみにさらしだしたのである。

そんなメルロ=ポンティの身体観を、廣松は「凝固せる実存」と言い換え、それの特異な存在性格を次のように確認する。

「『身体』とは『凝固せる実存』としてまさしく『対自と即自との総合』なのであり、単なる主体でも客体でもない一種独特の存在であって『両義性』を呈する」(廣松「身体に定位せる間主体性の哲学」以下同じ)

ここで即自といっているのは、身体そのものとしての人間のあり方をさし(身体としての人間)、対自というのは自分の身体性を意識している人間のあり方(身体であることを自覚している人間)をさす。従来の哲学は、この二つのモメントのうち、即自の契機(身体としての人間)を無視してきた。しかし人間は身体としての存在なのだから、(身体の)即自の契機を無視しては、正しい自己理解はできない。正しい自己理解を得るためには、人間は自分自身を、即自的な身体と対自的な身体との総合として捉えねばならない。

メルロ=ポンティの身体論をこのように概括した上で、廣松はそれが認識論の歴史のうえでもつ意義を高く評価するのであるが、同時にその限界をも指摘する。その限界とは、メルロ=ポンティが折角身体のモメントにおける即自と対自の総合を企てたに関わらず、それが中途半端に終わっていることであるという。

「メルロ=ポンティは、サルトル的身体の限界性を超えようと志し、『即自と対自との総合』を企てたにもかかわらず、対自的身体と即自的身体の非両立的交替しか認めようとしない限りでは、サルトルにおける『まなざし』論を蝉脱しえていないと評されざるをえまい」(同上)

つまり、対自的身体と即自的身体とは一体的なものとして総合的に捉えられているわけではなく、あくまでも対立しあうものとして捉えられた上で、それがかかわりあうとしても、非両立的に交替しあうといったレベルにとどまっている、と廣松は批判するのだ。身体における即自的契機と対自的契機とは、本来切り離されるものではない。主体としての身体と客体としての身体とは本来、未分化的に一体化したものなのだ、というわけである。

「彼は能知的身体と所知的身体との反転的交替可能性は認めても、能知即所知=所知即能知、能知的所知=所知的能知のセルフレファレントな未分化的一体性を"身体"において認めようとしない」(同上)

廣松自身は身体について、メルロ=ポンティのように主題的に論じることはなかった。そのかわりに彼が展開したのは"表情"についての議論である。廣松にとっては、人間が世界の中で出会うすべてのものが表情を帯びている。単に生き物だけではなく、無機質的な対象にも表情があるし、出来事や事件などの事柄にも表情がある。逆に言えば、世界には表情を持たないものはない。それは人間が身体を持った、あるいは身体としての、存在だからだ、と廣松はいうわけである。

そうはいうけれども、廣松は身体についての議論をそれ以上展開することはなかった。彼の表情論についても、それが彼の独特の存在論のなかでどのような位置を占めるのか、本格的な議論をしているわけではない。そういうわけなので、廣松がメルロ=ポンティの身体論の不徹底さを批判するとき、そこには、どんな出口が用意されてしかるべきかについての展望は見えてこない。

次に、メルロ=ポンティの「間主体性の哲学」ということについて。この問題領域には二つのことが含まれると廣松は言う。ひとつは他者理解の問題であり、もうひとつは共同体と個人の関係である。

他者理解の問題は、デカルト以来の認識論にとって最大のアポリアだったといえるが、メルロ=ポンティはそのアポリアをごくあっさりと乗り越えてしまう。個人の意識に定位していては、他者理解は非常な困難を伴うが、身体に定位すれば、他者理解は簡単である。自分を身体としての存在と了解さえできれば、身体を備えた他者もまた、自分と同じような身体としての存在だと了解できるからだ。

「他人の明証性が可能なのは、私が私自身にとって透明ではなく、私の主体性が身体をひきずっているからこそである」(「知覚の現象学」)

いづれにしてもこの立論は、自分の身体から出発して他者の身体を認めるというやり方である。それに対して廣松の場合には、他者の存在了解が先となり、その反照として自我の了解が成立するという構成をとっている。ベクトルがまったく逆になっているのだが、何故かこの点については、廣松は深く追求することをしなかった。

個人と共同体との関係については、廣松の場合には、個人が共同体の規範を内面化するプロセスを通じて、個人が共同体としての立場から判断するという機制を詳しく論じたわけであるが、メルロ=ポンティの場合にも、「私においてヒトが知覚する」という言い方をすることによって、個人が共同体と強く結ばれていることに言及する。

しかし、この場合に、共同体がどのようなプロセスを通じて個人の行動(にんしき作用や判断も含めて)に影響を及ぼすのか、メルロ=ポンティは正面から議論していない、と廣松は批判する。個人と共同体との関係は、非常にアクティブなものでありうるはずだが、メルロ=ポンティはそれを、非常にわかりづらいイメージで表現している、というのだ。

「私の身体の諸部分が相寄って一つのシステムを成しているように、他人の身体と私の身体も単一の全体を構成し、一現象の表裏をなす。そして、私の身体がそれの折々の痕跡でしかないあの匿名の実存が、今や同時にこれら二つの身体に住み着くことになるのである」(廣松、同上)

ここでは、共同体は「匿名の実存」というようなあいまいな言葉で表現され、それと個人との関係も異様な雰囲気で語られることになる。

「『あの匿名の実存が各自の身体に住みつく』と称するさいの彼の構図が、構図そのものとしては決して新しいものではないこと、古くからの汎神論的な構図と同趣的であること、このことは銘記しておかねばなるまい」(廣松、同上)

つまりメルロ=ポンティのいう「匿名の実存」とは、スピノザのいう神や、ヘーゲルの言う絶対精神と同じような、形而上学的な粉飾に彩られているというわけなのである。




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