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うたふ、よむ、ながむる:本居宣長「石上私淑言」


本居宣長は、日本語の古語の語源について強い関心を持ち、それを著作の中でも披露しているが、それは古事記や万葉集の文字を解読する作業のなかで培われたものであろう。古事記などに用いられている文字を解読するには、言葉の語源に通じていることが役立つからである。

「石上私淑言」は、日本の歌(和歌)をテーマにしたものであるから、歌をめぐる言葉の語源が詳しく論じられている。宣長がここで取り上げる言葉は、うたふ(于多布)、よむ(与牟)、ながむる(那賀牟流)などである。

まず、「うたふ」とその名詞形(体)「うた」について。いまの人たちは、「うた」を「歌」という漢字の訓読みと思っているが、それは間違っている、ということから説き始める。「うた」は神代からある「ふること=ふるきことば」であり、それを「歌」という漢字に対応させたまでのことなのである。決してその逆ではない。「和訓といふ名目は、人の国(中国)の書籍・文字につきていふことにてこそあれ、此方の事をいふ時に、古言を『訓』といふべき理りなし。『于多』は神代よりいひ来れる詞にてこそあれ、いかでか『歌』の字の訓ならむ。すべて此方の詞を和訓といふは当たらぬことなり。『于多』といふが主にて、『歌』の文字は僕従なり。すべて万みなこの意にて、言を主とし、文字を僕従として見るべきことなり」というわけである。

そこで「于多」という言葉の意義であるが、「于多」は「于多布」の体(名詞形)であり、「于多布」は「于多」の用(動詞形)であると宣長は言う。日本の言葉にはこのように、体と用とが対になったものが多い。「やど」と「やどる」、「はら」と「はらむ」などみなその例である、と宣長は続けるのであるが、これではなぜ「うた」という言葉ができたのかは解明されていない。宣長の議論にはこのように、堂々巡りのところがある。宣長は、「語根」とその源となった「語源」の探求が曖昧なのである。語根に注目すれば、体と用とどちらが先かという、この著作の中で言及されているようなことは意味をなさない。

つづいて、「よむ(与牟)」について。「うたをよむ」というが、それは後世の言い方であろう、と宣長は言う。「歌を読む」という意味ならば、「うたふ」という言葉で十分である。「よむ」という古語は、もともと祝詞のように、「本より定まりてあるところの辞を今まねびて口にいふ」ことを指した。それが今日のように「書を読む」という風に、書物について言われるようになったのは、書物というものが伝来した後のことであろう。

「よむ」には、すでにある辞を口上することのほかに、辞をあらたに製作しながら口上することも含まれていた。そこから歌を製作することを「うたをよむ」というようになった。だから万葉仮名などに「作歌」と出てくるときには、「うたをつくる」ではなく「うたをよむ」と言うべきである。「つくる」という古語は、形あるものについて使われる言葉であり、歌のように形のないものについて使われることはなかったからである。

次は、「ながむる(那賀牟流))について。「那賀牟流」はもともと、声を長く伸ばしていうことを指していた、と宣長は言う。声を長く伸ばすことでは「于多布」と共通するわけである。そこで両者がどのように違うのかが問題になるが、宣長はその違いを次のように説明する。「大方おなじことなれど、くはしくいはば、『那賀牟流』とは、声を長く引きていふことをすべていふなり。『于多布』とは、その長むる言の中にて、ほどよくととのひ文あるをいふなり。さればすべて声を長く引きていふはみな『那賀牟流』なり」

「那賀牟流」の類語に「なげく(奈宜久)」という言葉がある。「そのゆゑは『奈宜畿(なげき)』は『長息』といふことなり。それを『奈宜久』ともはたらかしていふことは、『息』と『生』と同じ言なり」とやや苦しい説明を宣長はしている。

ところでこの「奈宜久(なげく)」という言葉は、いまではもっぱら悲しい感情をあらわす際に用いられている。そうなった理由を宣長は次のように説明する。「『奈宜久』といふ詞は、すべて情の感ずることには、うれしきをも、面白きをも、楽しきをも、みないふ詞なり。しかるに後にはうれはしく悲しきことにのみいふは、深く感ずる情の一つをとり分きていふなり」。つまり、声を長く伸ばして表現する感情の中で、悲しみの感情がもっとも強いことから、おのずから悲しみが「奈宜久」という詞を占有するようになったと言うわけである。

「奈宜久」が数ある感情の中でも悲しみの感情に集約されて用いられるようになったのと同じような事情で、「那賀牟流」のほうも「ものをみること(視覚)」について専ら用いられるようになった、とこれもやや苦しい説明を宣長は展開している。感情を表したはずの詞がなぜ感覚を表す詞に転じたのか、それを宣長は、「那賀牟流」と言う詞には、つくづくとした感情的な側面と、物を見るときのつくづくとした感覚的な側面が同居していることに求めているが、これはどうも詭弁のようにしか聞こえない。




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