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政談2:荻生徂徠の経済・財政論


政談の巻二を徂徠は次のように書きだす。「太平久く続くときは漸々に上下困窮し、夫よりして紀綱乱て終に乱を生ず。和漢古今共に治世より乱世に移ることは、皆世の困窮より出ること、歴代のしるし、鑑にかけて明か也。故に国天下を治るには、先富豊なる様にすること、是治の根本也」

太平が続くとなぜ上下困窮するのか。それは人々が太平になれて贅沢になり、身分不相応の消費をするようになるので、世の中の資源が奪い合いになって、総体として貧しくなるからだと徂徠は考えた。したがって、人々の困窮を解消するには、人々が身分相応に生き、余計なものを欲しがらないようにすることが必要だ、という発想につながる。生産性をあげて資源の量を増やすのではなく、消費を抑えて資源を有効に使おうというわけである。

このような考え方に立って、経済政策の基本的方向付けと財政のあり方について論じたのが政談巻二である。経済政策すなわち上下困窮を救う道ということになるが、別に妙術があるわけではないと徂徠はいう。ただ古の聖人の仕方を学ぶだけだ、と。それを簡単に言うと、「上下万民を皆土に在着て、其上に礼法の制度を立ること」である。万民を皆土に在着るとは、巻一で述べた如く、武家を始め人々を土着させて、なるべく自給自足的な経済を普及させることをめざしている。今日のような上下の困窮は、商品経済の普及によってもたらされたのであるから、商品経済をなるだけ抑圧して、自給自足経済を確立することが、なによりも重要だと徂徠は考えるわけである。

上下万民を土着させたうえで、礼法の制度を立てることが必要だというのだが、では礼法の制度とは何か。徂徠はいう、「制度と云は法制・節度の事也。古聖人の治に制度と言物を立て、是を以て上下の差別を立、奢を押へ、世界を豊かにするの妙術也」。またいわく、「衣服・家居・器物、或は婚礼・葬礼・音信・贈答・伴廻りの次第まで、人々の貴賤・知行の高下・役柄の品に応じて、夫々に次第あるを制度と言なり」

つまり制度とは、人々がその身分にふさわしい生き方をするようにと導くことを内実としている。人々が皆身分相応の生き方をしていれば、欲望が無際限に拡大するということもなく、したがって資源の不足ということもおこらない。この制度がないと、人々にとっての規範が存在しないことになるので、人々は勢い奢侈に流れる。その結果商品経済が拡大して、上下が困窮する次第となる。そのように徂徠は考えるのである。

もっとも制度が整わなかったには、それ相応の理由があったと徂徠はいう。当世は大乱のあと家康が始めたこともあって、「何事も制度失せたりし代の風俗を不改、其儘におかれたるに依て、今の代には何事も制度なく、上下共に心儘なる世界と成たる也」というのである。そこで、当世では、当世の事情を踏まえて、新たに制度を立てる必要がある、と徂徠は主張するのである。

制度の大要は、商品経済を抑圧して、なるだけ自給自足の生活を奨励することであるが、その具体策として徂徠はいくつかの政策を提言する。まず、公儀で入用のものを各地の大名から物納させること。各地にはそれぞれ特産品がある。越前の奉書紙、会津の漆、南部・相馬の馬、上州・加賀の絹といった具合だ。それらを物納させれば、それだけ商品市場を経由する必要がなくなる。また場合によっては、特産品を出す土地を幕府の直轄領にすることが望ましい。たとえば木曽や熊野といった良質な材木の産地は、大名領ではなく幕府直轄領に組み入れるべきなのだ。

大名が隔年に江戸詰めすることは、武家の都会暮らしへの執着を強め、それが商品経済への依存を深めることを考えれば、なるべく江戸詰めの規模を縮小するのが望ましい。徂徠は参勤交代制自体には反対しないが、それが及ぼす負の影響については厳しい見方をしているのである。江戸詰めの副産物としては、各藩の留守居役というものがあるが、これは藩の財政に寄生して、遊び放題の暮らしをしている。こんなものは、あまり意味がないので、廃止か縮小するのが望ましい、と徂徠はいうのだが、廃止されずに幕末まで存続したのは周知のことである。

次に徂徠は、当面する経済上の問題に処するための政策を提言する。その問題として徂徠が取り上げるのは三つ、一は物価の高騰、二は金銀の不足、三は貸借相済令の悪影響である。

物価の高騰について徂徠は、宿賃をとりあげて、それがこの八十年の間に四十倍にもなったことに注意を喚起している。宿賃が騰貴したのは、宿の受容が増えたからで、したがってそれを下げようとすれば、宿の供給を増やすか、宿の需要を減らすかのどちらかしかないが、徂徠は、宿の供給を増やせとはいわずに、宿の需要を減らせと主張する。それと同様、ほかの物についても、値段を下げようとするには、その物への需要を減らすことだという。物への需要が増えるのは、上下万民がこぞって贅沢をするからで、制度を立てて万民が身分相応な生き方をするようになれば、おのずから不必要な需要は抑圧されるはずだ、というのが徂徠の考えである。その考えはおそらく、享保改革のスローガンである倹約の精神に合致しているのであろう。

二点目の金銀の不足については、消費経済の進行がからんでいる。人々の生活が派手になり、その結果消費が拡大するわけだが、それにともなう需要の拡大が、貨幣への需要をも拡大させる。ところが当時の日本は、金銀を貨幣としていたので、その拡大には物理的な限界があった。その限界を突破して貨幣の供給量を増やすには、金銀の含有量を減らすしかない。実際元禄以降の貨幣の改鋳を通じて、貨幣増加策がとられて来たのだった。徂徠はその政策には基本的には理解を示している。貨幣を増やすことが経済の拡大と一致することを理解していたのだ。貨幣を増やせば物価もあがるのが道理であるが、徂徠としては、物価上昇の基本的な原因は貨幣供給量の増大よりは、人々の消費意欲の拡大に原因があると考えていた。

三点目の貸借相済令というのは、民間の貸借にかかわる訴訟を幕府では受け付けず、当事者同士による解決・処理にまかせたというものである。この結果、金を貸すものが減り、貨幣の流通が妨げられるようになった。これは市場の景気を冷やすことにつながる。徂徠の基本スタンスは、なるべく市場に頼らないように制度を立てるということだったはずだが、なぜかこの問題については、幕府の政策に批判的である。徂徠は、「金銀の減少したる上、亦貸借の道塞がるときは、世界に金銀不足にて、人の難儀する事也」というのである。




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