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弁名その二:荻生徂徠を読む


弁名下巻は、人性、天命、陰陽といった事柄についての徂徠なりの定義を提出している。人性といい、天命といい、陰陽といい、人間性の本質とか世界のあり方についての認識をテーマにしたものだ。その認識を世界観と言ってもよい。どんな教説も一定の世界観を前提としており、その世界観を踏まえて統治とか人倫とかを語ることができる。そうした考え方に立ったうえで徂徠は、聖人・君子がよって立つべき世界観の内実を、徂徠なりに解釈したというのが、この部分の意義なのだろうと思う。

まず人性。これを徂徠は単に性といっている。しかして性とは生の質なりと言っている。宋儒が言うところの気質のようなものだと。気質というものは、個人ごとに異なっている。だから人を治めるには、その人の気質にあった治め方をせねばならない。とはいってもそんなに面倒なことではない。凡人・庶民はみな単純に出来ており、自分で自分の道を切り開くことなどはできない。したがって君子がその道を示してやらねばならない。凡人・庶民は支配者の指示した道にただ忠実に従っておれば問題はない。「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」というのが、徂徠の民衆についての有効な格言なのである。

性に関連したものに情がある。情とは喜怒哀楽の感情をいう。この感情は、人の気質の異なるによって異なる現われ方をするが、思慮とはかかわりがない。純粋に感情の発露である。感情を制御するためには、理屈は無用である。感情の制御には楽が有効である。音楽は人の感情にストレートに訴えかけ、それをある一定の方向に誘導する効果がある。よって為政者たる君子は、音楽を活用して人民をコントロールすべきだというのが徂徠の考え方である。音楽は、孔子もまた重視したことであるが、その理由は、音楽程人の感情を動かすものはないということを孔子が見抜いていたからだ。そう徂徠は解釈して、自分も又音楽を統治術の手段として用いるべきと考えたわけであろう。

次いで天理。これを徂徠は単に理という。しかして理というものは、事物に自然に備わったものだという。事物が自然になり行くそのさま、それを理という。自然法則のようなものとして徂徠は受け取っていたわけだ。聖人が道を立てるにあたっては、その自然の法則性を考慮に入れねばならない。その法則性には人間の性も含まれている。人性を含めた自然の法則性をよくわきまえて、人の進むべき道を示すのが、聖人・君子の役割である。そう徂徠は考えるのである。

ところでこの理については、宋儒が独特の解釈をしている。それを徂徠は批判する。宋儒は天地自然の理といって、そこに人知を超えた、天然の規範のようなものを認めたが、それは誤っている。天地自然の理に至高の意義を認めるのは老荘の徒に影響されているからである。老荘の徒は、人為を廃して自然に従えと言った。しかし自然そのものは、即人間に規範を示すわけではない。人間に規範を示すのは、同じ人間としての聖人・君子なのである。規範は自然に生じるものではなく、人為的に作為されるものなのだ。天理が問題になるのは、規範の制定にあたって、それが前提としての意義を持つ限りにおいてである。

従って、聖人の教えに従うこと、従わせることが何より肝要なのである。しかして聖人の教えの最たるものは詩書礼楽である。これを習いてこれを知れば、聖人の立てた道をよく理解することができる。もっとも世の中には、そういう理解力のあるものは稀である。だから、そういう者に対しては、「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」という格言が、重ねて有効になるのである。

陰陽五行の説は易に出たものであるが、これについての徂徠の説はじつにあっさりしたものである。徂徠は、易が占いであることをよくわきまえたうえで、それが聖人の制作になることを理由に、その有効性を否定してはいない。もっとも積極的に肯定するわけでもないが。いわば中立的な立場をとっている。だから、易の内容を己の学問体系に大々的に取り込んだ宋学については、批判的である。易とか陰陽五行の説は、占いにおいてはある程度の意味を持つかもしれないが、世界解釈のカギになるようなものではないというのが徂徠の考えであるようだ。

弁名という書物は、なかばは宋学への批判からなっているといってよいほど、随所で宋学を批判している。そのかたわら伊藤仁斎をも批判しているわけだが、仁斎も又宋学を批判する点では、徂徠に負けない。その仁斎と宋学とを共々批判しようというのであるから、徂徠の批判はかなり錯綜した印象を与える。たとえば徂徠は、「学問は道徳を以て本となし、見聞を用となす」という仁斎の言葉を引きながら、この言葉は、「学なる者は先王の道を学んで以て徳を己に成さんことを求むるのみなる」ことを知らないものだと批判するのだが、そう言いながら、道徳を学ぶことが学問の目的だとも言っており、仁斎の何が問題なのか、かならずしも読者には伝わってこないのである。

徂徠の宋学批判は、格物致知の解釈にもあらわれている。格物致知の概念は宋学の中核的な思想を形成するものであるが、それを徂徠は批判するのである。格物致知の意味を徂徠は次のように解釈する。物とは今でいう本質というような意味、格は来るということであり、格物とは、人が学ぶことによって、物事の本質が自分の有に帰すという意味である。また致知とは、知が至るということであって、教えの条件にかなえば自ずから知が明らかになることを言う。したがって、格物致知とは勉学の極意を語っているのである。ところが宋学は、格物致知を以て、「理を極む」となす。ここで理と言うは、宋学特有の概念であって、天地自然の理をさしている。つまり宋学は、格物致知を以て、天地自然の理を極めることとするのであるが、それは牽強付会というべきである。格物致知という言葉には、そこまでの意味は含まれていないと考えるべきだ。そう徂徠は主張して、宋学を批判するわけなのである。

以上、弁名という書物は、宋学を批判しながら、徂徠なりの儒教解釈を展開したものと見ることができる。その儒教解釈は、宋学に代表されるような後儒の解釈に惑わされるのではなく、漢儒以前の古の儒教の考え方に立ち返るべきだというものだった。そのためには、古の文献を直接読む必要がある、というのが徂徠の基本的な立場だった。そんな徂徠であるから、彼の学問は古学と名付けられたわけである。




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