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竹内好の戦争責任論


竹内好が「戦争責任」という言葉を使って日本人の戦争責任問題を正面から論じたのは1960年前後のことだが、その背景には戦争責任の腐蝕現象というべきものがあった。戦後もこの頃になると、戦争を体験しなかった世代が増えてきて、その連中を中心にしていまだに戦争責任もないだろうというような雰囲気が出て来た。竹内がその代表としてあげるのは「怒れる若者たち」と言われる連中だ。この連中は前世代との断絶を標榜し、いまだに戦争にこだわることをバカバカしいと主張した。こういう連中が現われるのは、戦争を体験した世代の戦争についての語り方が、きわめて主観的かつ情動的で、他者との相互理解を深めるような一般化のプロセスが欠けているからだと竹内は考える。体験に埋没している体験は真の体験ではない。それは言葉を通じて一般化されることで初めて真の体験として共有されるというのである。

そこで竹内は竹内なりに戦争体験を一般化し、そこから戦争責任の本質を明らかにしようとする。その場合に、戦争のどの部分、どの側面に責任を負うかを論議することが戦争責任論を生産的にする道である、と竹内は言う。それが曖昧だと、戦争体験の語り方も曖昧になる。何故なら戦争はいろいろな要素からなっており、それに従事あるいは関係している個人は、場合によっては加害者になったり、場合によっては被害者になったりする。だが加害者としての自分の戦争体験を正直に語る者は少ない、被害者としての自分が蒙った不愉快な体験を語るものが圧倒的に多い。そうした個人的な怨念のようなものをいくら集めても、戦争責任問題の本当の姿は見えてこないだろうと言いたいようである。

戦争責任というからには、様々なレベルでの責任が含まれる。それを竹内は、鶴見俊輔や丸山真男あるいはヤスパースを引用しながら、戦争責任の中核的な意味について考えようとする。竹内は結論めいたものは出していないが、どうやら言いたいことは、戦争についての加害責任の自覚こそ戦争責任の中核だということらしい。竹内は、「罪の重いものほど罪の意識が少ないのがほとんど法則である」と言い、「罪は客観的に存在するが、責任は『責任意識』に主体化されなければ存在を証明できない」と言うが、これは、戦争責任はあくまで罪についての自覚の問題であり、その罪の自覚とは加害責任を認めることだという意味であろう。

戦後の日本人の戦争責任への向かい方には、この加害責任の自覚が弱かったと竹内は考えているようだ。加害責任が云々される場合にも、国民の大多数を苦境に追いやった無能な指導者への糾弾という形をとるのがほとんどで、被害意識を媒介にして加害責任が問題にされるに過ぎない。自分を純粋に加害者として意識したうえで、自分が抑圧した者に対する責任を正面から取り上げると言う姿勢はほとんど見られなかった。しかしそれでは戦争責任を本当に自覚したことにはならないし、戦争責任の本当の自覚がなければ、戦争は終わったことにならない。竹内はそれを「戦争の未済」と呼び、日本の未来に向かっては不都合なものだと認定する。

とは言っても、日本人が自分たちの加害者としての戦争責任を認めるのはなかなか簡単なことではない。また、不都合な過去はいつまでも引きずっていたくないというのが人情だろう。しかしだからと言って曖昧にしたままでよいとはならない。過去と断絶するにしても断絶のやり方というものがある。それを竹内は次のように言う。「歴史を人為的に切断することに私は反対ではないが、切断するためには方法をもってしなければならない。戦争の認識を離れてその認識が発見できるとは思えない」

つまり民族としての過去の戦争体験を現在から遮断するためには、その前提として、自分たちの行った戦争の性格について正確に認識する必要がある。そのうえで、戦争のこの部分については反省するが、戦争のこの部分については終ったこととして忘れる。そういう姿勢が必用ではないかと竹内は提案するわけである。

そこで竹内自身による戦争の性格付けが問題になるが、彼はそれを次のように定式化する。「私は・・・日本の行った戦争の性格を、侵略戦争であって同時に帝国主義対帝国主義の戦争であり、この二重性は日本の近代史の特質に由来するという仮説を立てた。したがって、侵略戦争の側面に関しては日本人は責任があるが、対帝国主義戦争に関しては、日本人だけが一方的に責任を負ういわれはない」

竹内としては、日本の戦争責任が主として対帝国主義の戦争について言われてきて、侵略戦争についてはあまり追及されてこなかったという歴史的な事情への反発もあったらしいことが、この文章からは読み取れる。実際東京裁判で主に問題にされたのは、日本の行った対帝国主義戦争を平和に対する罪として追及することであって、日本が侵略戦争の中で行った数々の戦争犯罪については、申し訳程度の言及がなされたに過ぎない。これが日本人の間に、日本の戦争責任を問う連合国への反発を生み出すと同時に、自らの侵略については鈍感にさせた原因ではないか、そう竹内は考えているフシがある。

ところで竹内は、疎開児童の体験についても触れている。何十万人もの人々が体験した学童集団疎開は、招集や徴用につぐ大規模な国民的体験だったわけだが、その体験の当事者の声はこれまで組織的に集められてこなかった。彼らが成人になり、自分たちの声で集団疎開について語ることができるようになった時点で、集団疎開についての体系的な分析を行うことが必要だろうと竹内は考えている。この集団疎開は児童たちに大人の社会への根強い不信感を植え付けたようだが、それが日本という国家にとってどのようなインパクトをもたらすことになるのか、よく考える必要があると考えているようだ。それをきちんとやっておかないと、戦争責任の問題はいよいよ曖昧化されていくと言いたいのだろう。





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