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日本のアジア主義


竹内好の論文「日本のアジア主義」は、日本におけるアジア主義の系譜をたどったものである。竹内は日本のアジア主義を玄洋社・黒龍会によって代表させているが、この流れは国権主義的・侵略的なところを特徴としている。その点では右翼の典型といえるものだ。しかし当初からそうだったわけではない、と竹内は言う。玄洋社ができたのは明治十年のことだが、その当時は民権論的なところもあったし、アジアと連帯しようというようなところもあった。要するにアジアに対して一方的で侵略的な態度を必ずしも取っていなかったのである。

玄洋社にはしかし西郷隆盛の強い影響があった。玄洋社は西郷隆盛の征韓論に呼応する形で生まれ、西南戦争では西郷軍に寄り添っていた。その時点では、玄洋社のアジア主義は国権主義的・侵略的要素と民権主義的、連帯的な要素とが混在していた。そう竹内は言うのである。

西郷に限らず、維新前後の日本のアジア観が膨張主義的な色彩を色濃く持っていたことは間違いないと竹内は指摘する。橋本左内は、「日露同盟によって満韓を経略し、版図を海外に拡張する必要」を説いたし、吉田松陰は、「朝鮮を責めて、質を納れ、質を奉ずること古の盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋諸島を収め、進取の勢を示すべき」ことを主張し、「国力を養いて取り易き朝鮮、支那、満州を斬り従えん」と言っていた。西郷の征韓論はこうした風潮のこだまのようなものだったのである。これについて竹内は、「近代国家の形成と膨張主義とは不可分であって、そのこと自体に是非の別はないだろう」と言っている。

要するに日本のアジア主義は、そもそも近代国家の形成に伴う膨張主義の現れだったのだが、それが次第に国権主義的・侵略的な性格を強め、ついには右翼の専売特許のようなものになってしまった、と竹内は見ているわけである。そもそもの膨張主義は、その出発点では、侵略的な面と連帯的な面とが混在していたのであるが、次第に後者が切り捨てられて侵略のみが前面に出て来た。それを玄洋社・黒龍会が一身で体現するようになり、その侵略的なアジア主義を、ファシストたちが利用した。玄洋社・黒龍会的なアジア主義は、たしかに日本の対外侵略を合理化するイデオロギーではあった。しかし、そのイデオロギーばかりに日本の侵略主義の責任をかぶせるのはやりすぎだとも竹内は言っている。

そのやりすぎの例として竹内はハーバート・ノーマンの研究をあげている。ノーマンは、それまで学会でほとんど問題にされていなかった玄洋社を正面から取り上げた点で慧眼とは言えるが、日本の対外膨張・侵略政策の責を玄洋社のみに帰しているのは過重評価だと言って批判する。

ともあれ、日本のアジア主義が玄洋社・黒龍会の流れに集中するようになるのは明治の末年だったと竹内は言う。その前に玄洋社が国権主義的な性格を強めるのは明治二十年ごろのことだ。玄洋社はだから、日本のアジア主義がそもそも持っていた民権的な面を明治二十年ごろに振り捨て、連帯的な面を明治の末年に振り捨てることで、国権主義的、侵略的な方向に純化したということになる。

明治二十年以前には大井謙太郎のような民権主義者と玄洋社とは深いかかわりをもっていた。また、岡倉天心のようにアジアとの連帯を表明する思想とも親和性をもっていた。そうした要素を切り捨てていくことで、玄洋社・黒龍会的なものが、日本の右翼のチャンピオンになっていったわけだ。それはまた、日本の左翼がアジア主義とまともに向かい合わなかったことの結果でもあった、と竹内は言う。そもそも維新期の日本のアジア主義には、左右を越えて共通する問題意識があったにかかわらず、左翼が次第にアジア主義を軽視するようになった結果、アジア主義が右翼の専売特許になってしまった、というのが竹内の見方である。

竹内はこう見ることで、日本のアジア主義が不健全な発展をとげたことについて遺憾の意を示しているのだと思う。左翼がもうすこし頑張っていたら、日本のアジア主義は国権的・侵略的なものに純化せず、もうちょっと異なった道を歩むことになったのではないか。そしてその道には、民権的・連帯的な回路もあり得たのではないか。どうもそのように竹内は考えたのではないか。

竹内の以上の言説は、日本の右翼の発展史ともかかわりがある。竹内はそもそも日本の右翼と左翼とが未分化であって、同じ価値観を共有していたが、次第に分化して左右に別れたと見ており、その分化の時点を明治末年と見ているわけである。日本近代史の最大の特徴は、権力をめぐるしのぎあいにある。そのしのぎあいのプレーヤーとして、藩閥勢力とか民権派とかがあったわけだが、その中心となったのが薩長藩閥であり、それに敵対する役割を民権派が担ったということができる。薩長藩閥がしのぎあいのメインプレーヤーとしたら、西郷とか自由民権派はそのカウンタープレーヤーとしての役割を演じた。そのカウンタープレーヤーとしては、玄洋社・黒龍会はこれまであまり注目されてこなかったが、実は巨大な役割を果たして来た。その事実の重要性を、竹内はこの論文で指摘してみたのだと思う。

ともあれ、権力に対するカウンタープレーヤーとしての日本右翼の役割はもっと注目されてよい。





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