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竹内好の北一輝観


竹内好は北一輝を非常に高く評価していた。理由はいつくかあるが、かいつまんで言うと、理論的というよりは感性的なものだった。だから竹内の北一輝に触れた文章を読むと、論ずるというよりは観ずるというような印象が伝わってくる。つまり竹内の北についての文章は「北一輝論」というよりは「北一輝観」というのがあたっている。

竹内は北を正真正銘のファシストだと言っている。「日本ファシズムの指導者は数少なくないが、ともかく一つの理論体系をもち、その理論が現実にはたらきかけたという点では、北がほとんど唯一の例ではないかと思う。大川周明は学者だが、革命家としての器が小さい。権藤成卿や井上日召には、権力奪取のプログラムがない。頭山満は単なるボスである。その他石原莞爾のような軍を背景にしたものから、安岡正篤のような口舌の徒にいたるまで、有象無象はたくさんいるが、理論創造の能力において北に匹敵するものは、ほとんど一人もいない。まことに北一輝こそは、その名に恥じぬ正銘のファシストであった」(「北一輝」から)

ここで竹内が北の美点として示しているのは、彼の理論の革命的な性格である。革命的という言葉で竹内が意味しているのは、理論が現実に働きかけて、現実を変える能力を持っているということだ。竹内は日頃から、思想というものは現実を変革する能力を持たなければ真の意味での思想とは言えないという立場を取っていたので、北一輝の思想は、自分の基準から見て真の思想だと思ったわけであろう。しかもその思想を極めて壮大な理論体系として示した。これはファシストとしてのみならず、思想家として超一流の人物だと竹内は感嘆しているわけである。その感嘆に竹内の北に対する態度が集約されている。

もっとも北自身は、革命を鼓舞しただけで、その実践に邁進したわけではない。北は二・二六事件の首謀者と見なされているが、直接事件にかかわったわけではない。北の理論に心服した西田税以下の軍人たちが暴走したに過ぎない。

西田らの軍人ファシストがみな天皇崇拝者であり、天皇教ともいうべきものの信徒だったのに対して、北は天皇機関説の主唱者だったと竹内は指摘する。「彼は終始一貫、天皇機関説の信奉者であり、天皇教に転向はしなかった。国体明徴運動などは唾棄したに違いない。穂積八束や有賀長雄ら御用学者を痛罵した『国体論』の著者の、節操ばかりでなく思想内容を、たとえば方便のためでも天皇に叩頭した便乗左翼の下におくことはできない」(同上)

北の思想のうちで竹内がもっとも共鳴するのは対アジア観である。とくに中国についての北の考え方に竹内は共感している。それは北も、日中の連帯の可能性と、日本がアジアの真の開放に向けて果たすべき役割についての考え方を、竹内と共有していたと思ったからだ。しかし現実は、北の言説はアジア侵略の大義として、都合よく利用されただけであった。

そんなわけで北の思想には他人に利用されるようなゆるいところがあり、また幼稚な面もあった。しかしそれだからこそ北の思想は実践的な力を発揮することができたのだとも竹内は言っている。北のプランは「幼稚であればこそ実行されたのである」というわけである。

実行はされたが、それは北自身の思い描いていたものを結果としてもたらさなかった。北の思い描いていたのは、理想郷としての日本と世界であるが、結果としてもたらされたのは暗黒の日本だったわけである。それゆえ北はなんといっても悲劇の人である、というのが竹内の評価だ。だが北は崇高な悲劇を生きた人間だった。「彼は『オゴタイ汗』にはなりそこねたが、『愚人島』に住む『万世一系の鉄槌に頭蓋骨を打撲せられた白痴の日本国民』からは脱却していた」

そんなわけで竹内は悲劇の人としての北一輝に強い感情移入をする。その感動を竹内は次のように表現するのだ。

「私は、無能な社会主義者よりは有能なファシストを遺産としてもつことを誇りたく思う。弱い味方よりは強い敵が頼りになるものだ」

ここまで竹内に惚れこまれた北一輝だが、彼の思想が遺産として現代の日本人に引き継がれたかといえば、かならずしもそうは言えない。また、北が願ったようなアジアと日本との幸福な連帯も実現されていない。その幸福な連帯はまた竹内自身の願いでもあったわけだが、歴史はその願いとは反対の方向に向かって走りがちであったことを認めないわけにはいかない。

もっとも北の思想の中核部分は、国家による上からの社会主義ということである。それはナチスにも通じるものがあったし、日本でも軍事独裁を通じてその神髄が実現されたとする見方もある。その肝心な部分については、竹内はほとんど問題にしていない。





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