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大衆とファシズム:戸坂潤「日本イデオロギー論」


大衆概念とファシズム論は戦後の日本論壇の最大テーマとなったものだが、戸坂潤は戦時中いちはやくこれらの概念を取り上げ、大衆とファシズムとの関連性に注目していた。大衆と言いファシズムと言い、明確な概念に見えるが、いまでさえ必ずしも明確とは言えない。したがって戦後の日本論壇でこれらの概念が華々しく論じられた際に、何が大衆の本質で、何がファシズムの概念的な内容なのか共通の理解があるとは言えなかった。日本ファシムズ論の理論的な指導者と見なされた丸山真男でさえ、ファシズムの概念を既知のこととして、それを理論的に掘り下げたとは言えなかった。

丸山の場合に典型的なように、戦後日本のファシズム論は、ファシズムと軍国主義を同一視するものであり、その限りでファシズムを権力の内側から出てきた運動として捉えた、いわば上からのファシズム論といった体裁を呈していたわけだ。上から全体主義を強要する運動、それがファシムズだと捉えたわけだ。だから論者の中にはソ連のスターリニズムもファシズムの一例と主張するものもあった。スターリニズムも上からの革命を目指した限りでは、全体主義の立派な見本であり、したがってファシズムと規定することができるというわけである。

戸坂潤はファシズムを上からの運動というよりは、下からの運動というように捉えた。そしてその下からの運動の担い手が大衆なのだとした。「大衆に地盤をもつかのように、或いは大衆の組織化であるかのように見えることが、ファシムズを単なる強力絶対政治から区別する一つの特徴なのである」。そう戸坂は言って、ファシムズを大衆が担い手となって組織化された強力絶対政治と定義するのである。

大衆がファシズムの担い手になりうるのは、大衆の持つ二元的な性格に基づいている、と戸坂は考える。大衆には単に社会の多数者という性格とともに、経済上の無産者ないしは政治上の被治者としての性格がある。大衆がファシズムの担い手となるのは、社会の多数者としての性格においてである。大衆は本来的には政治的に抑圧された階級であるから、階級としての利害を追求すること、それは社会主義の追求に他ならないが、そしてそれが本来の立場のはずだが、実際には全体主義の名の下に、実は政治的支配者の利害を代弁するような役割を果たされることがある。「果たされる」と受け身の言い方をするのは、大衆は自分で自分を組織化するときには自分の本来的な階級的利害を追求するようにできているものであって、それが別の階級の利害に奉仕するようになるのは、そのように誘導されているからだという見方が働いている。

つまり、階級的な利害を持った社会科学的な意味での大衆ではなく、単に政治的な目的に向けてあやつられている社会的な多数者としての大衆こそがファシズムの淵源なのだと戸坂は考えるわけである。だからファシズムとは大衆が自己の本来的なあり方に気づかずに盲目的に動かされた結果生じる現象だということになる。このような状態の大衆を愚衆とかモッブと言う。こういう言葉を使うのは精神的な貴族主義を自任する連中だが、彼らはモッブと言って軽蔑する大衆を巧みに操って、自分たちの利害にかなった政治システムをつくる能力に長けている。それがファシムズだというわけである。

ところで日本はともかくドイツやイタリアのファシムズは議会制度を利用して成立した。これを戸坂は「議会制度を採用した処の一種のファシズム」であり、「立憲的ファシズム」と呼んでいる。この立憲的ファシズムが何故生まれてくるかは、その国の大衆の性格に応じて事情は異なる。いづれにしても経済上の無産者ないし政治上の被治者としての多数者が階級としての自覚を持たぬまま支配者の利害に奉仕させられるところにファシズムの本質を見ている。それはどちらにしても大衆の階級としての未熟性を物語るのであり、当該社会がブルジョワ社会として十分に成熟していないことの反映だということになる。

翻って日本のファシズムを見るに、それは立憲ファシズムというよりは、官僚ファシズムあるいはミリタリーファシズムといった観を呈している。日本はまだ立憲ファシズムが成立するほどに成熟してはいないというわけである。戸坂は日本ファシズムの特徴を国家社会主義と言っているが、それは軍部が中心となりそれに官僚が寄生した全体主義的な体制である。日本ではこれがいわば上からのファシズムを遂行したために、大衆が下からのファッショ運動を担うことがなかった。もし日本でも立憲主義が成立し、大衆の政治参加が本格化していたならば、ドイツやイタリアと同じような形のファシズムが実現したかもしれない。

戦後の日本のファシムズ論なり大衆社会論を見ると、やはり日本ファシズムの成立を大衆の役割につなげて見る見方が弱いと言わざるを得ない。戦前の日本の大衆がファシズム運動の担い手となったようには表面上は見えないことから、無理もないこととはいえ、それでは日本ファシズムを国際的な文脈で見る視点は得られないだろう。戸坂にはしかし、日本ファシズムを大衆との関連で考えるという視点が多少なりともあったわけで、その視点を深める努力を後の世代の人々がしていたならば、日本ファシズム論ももうすこし実り多いものになったような気がする。



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