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幸徳秋水の社会主義論


「社会主義神髄」は、幸徳秋水の社会主義論である。秋水といえば無政府主義者の印象が強く流布しているが、この著作を読むと、社会主義者としての秋水のイメージが強く浮かび上がってくる。彼がこの本を書いたのは明治36年(1903)のことで、その頃にはまだ日本ではマルクスの思想があまり普及していなかったなかで、秋水はマルクスやエンゲルスの著作(共産党宣言、資本論、空想から科学への社会主義の発展)を参考にしながらこの本を書いたようである。ちなみに秋水は、翌明治37年に「共産党宣言」を翻訳して平民新聞に掲載し、発禁処分を食っている。

秋水は社会主義の本質を称して、社会主義神髄というのであるが、それを次のように定義している。「『一切の生産機関を地主・資本家の手からうばって、これを社会・人民の公有とする』もの、いいかえれば、地主・資本家なる徒手・遊食の階級を廃絶するのは、実に『近代社会主義』、一名『科学的社会主義』の骨髄とするところではないか」(中公版日本の名著、伊藤整責任編集による現代語訳、以下同じ)

こう定義したうえで秋水は、社会主義的な政策の具体的な内容(これを秋水は社会主義の要件と呼ぶ)を四つ列挙する。これを秋水は、リチャード・イーリーの社会主義論(Socialism and social reform)に依拠しながら上げるのであるが、イーリー自身は社会主義の唱道者ではなく、社会改良を通じて資本主義社会の矛盾を解消しようという立場に立っていた。それはともかく、土地・資本の公有、生産の公共的経営、社会的収入の分配、個人の私有の範囲などをめぐる秋水の議論は、マルクスの主張にも通じるものだと考えてよい。

マルクスは、社会主義革命は歴史的必然であって、資本主義の成熟とともに、生産関係と生産力との矛盾が激化し、それを解決するものとして不可避になると考えていたが、秋水もおおむねそのように考えている。「革命は天である。人力ではないのである。うまく誘導しなければならないのである。製造することができないのである。革命がやってくるとき、人間はこれをどうにもすることができず、革命が立ち去るときは、人間がこれをどうすることもできない」

つまり秋水は、かなり機械論的な革命の見方をしていたということになる。革命は人間が黙っていても、歴史的な必然性が成就すれば自然に発生する、というようなニュアンスがここからは読み取れる。社会主義者としての秋水は、したがって、歴史の必然が成就するのを待つというようなスタンスをとっていたと言える。彼が、アナーキストとは異なり、暴力などによる直接行動を批判し、議会の多数派を握ることに期待をかけていたことは、こうしたスタンスに由来するのだろう。

秋水はまた、資本主義経済の矛盾についても的確な見方をしている。それもマルクスに学んだようだ。マルクスは資本主義経済の矛盾の行き着くところを過剰生産恐慌に見ていたが、秋水もまた、生産力が有効に活用されないことに資本主義の矛盾の原因を見ている。その矛盾は、資本、生産、労働力の供給過剰の面でそれぞれあらわれるとして、次のように言っている。「資本の過剰である。資本家は、投資する事業がないのに苦しんでいる。生産の過剰である。商品は、これを輸出する市場がないのに苦しんでいる。労働供給の過剰である。産業的予備軍は、これを雇用・使役する工場がないのに苦しんでいる」

マルクスの過剰生産学説を反対から見ると、ケインズの有効需要不足の理論になる。同じ現象を、両者は正反対の角度から見ているわけであるが、秋水がこの本を書いた時点では、ケインズの理論はまだ生まれていなかった。それゆえ、経済学者たちは、なぜ恐慌が繰り返しおこるのか、根本的な理由を理解できていなかった。そんな時代に秋水は、経済恐慌の原因は、過剰生産にあり、そのまた深い理由は、資本主義的な生産関係の在り方にあると喝破していたわけである。その点で秋水は、かなりマルクスの考え方を身に着けていたと言えよう。

資本主義経済についてのシビアな見方に立って秋水は、国家の本質は資本家階級や地主の利益を代表しているところにあると主張する。「今の国家は、ただ資本を代表している。ただ土地を代表している。ただ武器を代表している。今の国家は、ただこれを所有している地主や資本家や軍人の利益のために存在するにすぎない。人類全体の平和・進歩・幸福のために、存在しているのではないのである」

秋水が、資本家と並んで地主や軍人をあげているのは、ひとつには、日本経済がまだ古い農業中心経済の段階を脱却しきっていないこと、もうひとつには、ゆがんだ軍国主義国家と化していた現実を反映したものだと思う。

秋水はまた、社会主義についての偏見を取り上げ、そうした偏見によって人々が社会主義を誤解していることに遺憾の意を表しているが、偏見の最たるものは、社会主義がわが国の国体と相いれないものだとする意見である。秋水はその偏見に対して、社会主義はわが国の国体と矛盾・対立するものではないとして、心配には及ばないと弁明している。その理屈が面白い。「昔から明王とか賢主とかよばれる人は、かならず民主主義者であったのだ。民主主義をとる君主は、必ず一種の社会主義をおこなって、その徳をうたわれたのだ」

秋水が心からそう思っていたのか、あるいは君主は暴虐を以てしてはいけないと諭しているのか、その本意はわからない。ただ、君主批判が厳しい弾圧を呼ぶことを予想して、君主つまり天皇に対して融和的な姿勢をとった可能性は十分にある。





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