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カントの政治思想


カントの政治思想は、人格の絶対性を内実とした道徳哲学の応用であるとともに、近代自然法の影響も強く受けている。また、アメリカの独立戦争やフランス革命からも大きな刺激を受けたと思えるが、フランス革命についてのカントの反応には複雑なものが伺える。カントは一方ではフランス革命の掲げた自由と平等の理念を高く評価しながらも、人民を主権者とする民主主義的な政治体制には拒絶反応に近いものを示したのである。

カントが道徳哲学の柱として据えたのは、アプリオリな道徳法則としての人格の尊重であった。これを政治の場に応用すれば、人格が尊重される政治の実現こそが、究極の課題と言うことになる。そのためには、どのような統治の形式が望ましいか、また支配の正統性の根拠となるものは何か、こうしたことが政治を考える際の主要なテーマとなるわけである。

統治の正統性を巡る議論については、カントは近代自然法の考え方を大幅に取り入れている。近代自然法は、国家の活動が法に基づいてなされねばならないこと、また支配の正統性の根拠を社会契約に求めたことなどに特徴があるが、カントはその「法」をさらにカント独自の道徳哲学に立脚させるとともに、社会契約が必要となるのは、ホッブスが言うように、自然状態では人間は互いに争い合うからだとした。争いを避けて平和に共存するためには、人々は社会契約を結ばねばならぬという思想であるが、これは個人の集まりである国家についてのみならず、国家の集まりである国際社会にも共通してあてはまることである、とカントは考えた。

カントの政治思想がもっともまとまった形で示されているのは「道徳形而上学」(1797)である。その中でカントは、支配の正統性根拠としての社会契約説、国家の作用についての三権分立説を説いた後、理想的な政治形態として共和制をあげた。カントが言う共和制とは、理念としては自由と平等と言う人間の基本的な権利の尊重を掲げ、権力のあり方としては立法権と行政権とが分離しているものをいう。そして共和制の体制が君主制と結びつく時に、理想的な政治のあり方が生まれる、とカントは考えた。これに対して、共和制と民主制とは結びつかない、なぜなら民主制は必然的に専制政治に陥るからだ、というのである。

これは、我々現代人の考え方とは大分ずれている。カントは何故そんな風に考えたのか。

政治権力について、カントは、支配の形式と統治の形式と言う両面から考えた。支配の形式とは、支配権を有する者がただ一人であるか、互いに結合した幾人であるか、あるいは市民社会を構成しているすべての人であるかに着目したもので、君主政治、貴族政治、民主政治に分類される。

それに対して、統治の形式は、共和的であるか、専制的であるかに分類される。「共和政体とは執行権を立法権から分離する国家原理であり、これに対して専制政体とは、国家が自ら与えた法則を国家が専制的に行使する国家原理である」(「永遠平和のために」高坂正顕訳)

このように分類したうえで、カントは、「本来の言葉の意味における民主政治は必然的に専制である」(同上)と断定するのである。

カントがこのように考えたことの背景には、フランス革命に対する否定的な評価があったのだと推測される。カントは、フランス革命における全体主義的な傾向を敏感にかぎ取って、そこに専制の原理を認めた、と考えられる。カントにとって民衆の暴力は、いかなる立場によっても正当化されない。民衆が暴力を行使するのは、執行権と立法権の両方とも手にするからで、執行権を他の要素、たとえば君主に保留しておけば、無用の混乱は起こらない、そう考えたのではないか。

それ故、カントの理想とする政治形態は立憲君主政治ということになろう。それでもカントの時代のドイツにおいては進歩的な要素を持ち得たかもしれないが、長い歴史の中では、反動的な思想だと評価されても仕方のない側面を持っている。

カントの、そうした反動性は、他の所にも表れている。例えばカントは、国民の抵抗権を認めなかった。カントは政治権力への国民の絶対的な服従義務を強調し、いかなる場合においても暴力的に権力を転覆することは認められないとした。国家組織の変更は、統治者自身の改革によってなされるべきであり、人民が革命によって為すべきことではないとしたのである。これは、フランス革命に対する、カントの強い拒絶感を表している部分だ。

ところで、フランス革命へのルソーの影響については、カントも感じとっていたと思われる。カントもまた、自らの政治思想をルソーの影響のもとに構築したのだった。その影響のうちでもっとも大きいものは、人間を目的とする考え方である、この考え方の中から、自由や平等と言ったフランス革命に通じる理念が生まれてきた。

一方、ルソーの社会契約説における全体意思の概念は、権力への絶対服従と言う歪んだ形で現れた、とカントは考えた。しかしルソーは、権力への服従は説いたが、その権力が腐敗した時のために、人民の抵抗権は保留していたのである。


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