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夢について:カントの人間学


カントは夢を構想力の一種の産物だと言っている。構想力というのは、対象が現前していなくとも直感する能力を含んでいるが、その構想力の産物に睡眠中無意識にもてあそばれるものが夢であるというのである。カントは構想力を、創作的(生産的)なものと回想的(再生的」なものとに分類している。夢はそのどちらともかかわりがある。創作的な夢もあれば、回想的な夢もある。創作的といっても、まったくの無から有を作り出すわけではない。記憶の中にあるものを自在に組み合わせて、一見新奇と思われるような表象を作り出すのである。だいたい人間の想像力自体がそうしたものだ。人間が自分の手持ちの材料を組み合わせることで、いままでには見られなかった新奇な対象を作り出す。それを創造と言っている場合がほとんどだ。

ともあれカントは夢を健康な状態における無意的な創作だと言っている。無意的というのは、意識しないでというほどの意味である。睡眠中には、意識の度合いが限りなく低くなり、ほとんど無意識に近くなる。その状態をカントは無意的と呼ぶのである。これは完全に意識と対立するものではなく、あくまでも意識のある状態を表している。限りなく意識の度合いが低くなってはいるが、意識のある状態であることには違いはない。その点で、フロイト以降の無意識の概念とは異なっている。フロイトやユンクなど、20世紀以降の心理学においては、無意識は意識とは別の実体的な概念として捉えられるようになった。人間の精神活動(心の働き)は、意識と無意識から成り立っていると考え、無意識にも意識と同じようなレベルの実在性を認める傾向が強い。それに対してカントは、無意識の実在性は認めない。それは意識のある状態なのである。つまり意識と無意識の差異は、質的な差異ではなく、量的な差異にほかならない。

我々が夢を見ているときには、ふつうはそれを表象しているだけで、意識してはいない。時には自分が夢を見ているということを意識することもあるが、それは例外的なことであり、通常は夢を意識しない。我々は夢を意識するのではなく、夢を生きているのである。あるいは夢にとらわれているといってもよい。カントが構想力に弄ばれるといっているのは、そのことを指すのだと思う。

夢から覚めた後は、われわれはその夢を速やかに忘れ去る。努力すれば思い出せないこともないが、かなりの努力を必要とするし、ある一定の時間が過ぎると、いくら努力しても思い出せなくなる。それは夢に実在性が欠けているからだろう。人間というものは、ありありと現前する対象を実在するものとみなし、それについての記憶を強く把持するのであるが、実在性に乏しい表象は速やかに忘れ去るように出来ているのである。

カントは、どんな睡眠も夢を伴わないものはないという。自分は夢を見なかったと思っている人も、実は夢を忘れてしまったに過ぎない。上述したように、夢は実在性を持たず、したがって強く記憶に焼き付けられることがないからである。人間は睡眠中にかならず夢を見るようにできている。そこには神の摂理が働いているとカントは考えたようだ。人は夢をみることで、精神の緊張を和らげ、生きる上でのエネルギーを補給するのだとカントは目的論的に考える。目的論的な思考は、とかく神にその根拠を求めるものなのである。

フロイトは夢を、無意識に抑圧されていた性的な欲望が、睡眠中に、はけ口をもとめて意識の表面に浮かびあがってきたのだと考え、ベルグソンは記憶の一部が意識の表面に浮かび上がってきたものだと考えた。どちらも、無意識のものが意識の表面に浮かび上がってくると考える点では共通している。それに対してカントは、夢の発生のメカニズムについて立ち入った分析をしているわけではない。したがって夢の材料についてもほとんど関心を払っていない。だが夢が精神衛生に果たす積極的な役割を評価しているところからみて、人間にとってマイナスとなるような精神的な要素を無化することが夢の主要な機能だと考えていたと思われる。とすれば夢の主要な材料は、記憶のうちに蓄えられている過去の表象ということになろう。そうした表象を意識の表面に呼び出し、それらを構想力の働きを通じて互いに関わり合わせることで、独自の疑似体験をさせ、それによってある種のカタルシスを実現し、心の中のマイナス部分を無化あるいは中和することに夢の意義があるとカントは考えたのだろう。

夢の効用について、カントは次のように言っている。「夢を見ることは、自然の賢い配慮の一つであって、それは意志に基づく身体の運動、すなわち筋の運動が停止されていても、夢のなかで無意的に創作された出来事に関係する情緒によって、生活力を鼓舞しようとするのである」(坂田徳男訳)。つまり夢は、人間にとって不都合に働く精神的な要素を、睡眠中に無化あるいは中和することによって、未来に向かって新たな気分で踏みだすように鼓舞するのである。そういう点では、人間の精神衛生にとって欠かせぬものだということになる。夢を見なくなることはだから大いなる災厄を意味する。もっともカントによれば、夢を伴わない睡眠はあり得ないというのであるが。

このようにカントが夢にこだわるのは、夢こそが構想力のもっとも重要な産物だと考えるからであろう。構想力は、人間の認識作用にも大きな役割を果たしているが、それ以上に、人間の自然的な生命の維持にも欠かせない役割を果たしているのである。




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