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構成的原理と統制的原理:カントの思想


人間の理性の働きを導く原理として、カントは構成的原理と統制的原理という一対の概念セットを持ちだす。これはカント哲学を理解するためのカギとなるものである。構成的原理というのは、我々の日常的な認識を導くものであって、実在的な対象を概念的に把握することを可能にする。与えられた対象をある特定の概念に構成するというところから、構成的原理と呼ぶわけである。それに対して統制的原理とは、対象の実在性についての認識を支えるものではなく、人間の認識の働きに一定の目標を与えるものである。具体的にいうと、神とか霊魂の不死とか人類の進歩とかいった概念である。これらの概念は対象の実在性を主張できるわけではなく、人間が取り組むべき目標という性格をもっている。実在性は主張できないが、目標としては意味を持つ。それをカントは理念と呼びかえ、その理念が人間にとっての導きの糸になるべきだということから、それを統制的原理と呼んだわけである。

カントがとくに拘ったのは統制的原理のほうである。統制的原理は、理念的なものとして、人間に理想や目標を示すが、しかし対象の実在性を積極的に保証するものではない。ところが人間は、統制的原理であることろの理念的なものを、とかく実在的なものと混同する。例えば神は、カントによればあくまでも統制的原理であって実在性を積極的に主張できるものではないが、多くの人は神は実在すると思い込む。それは統制的原理としての神の概念を、構成的原理と取り違えることに基づいている。

要するに、構成的原理は実在するものの認識にかかわる原理であるのに対して、統制的原理は実在性を棚にあげたうえで、人間がめざすべき理想を提示する格率のようなものなのである。それゆえカントは、構成的原理を純粋理性の格率とする一方、統制的原理を実践理性の格率としたのである。

批判書における、統制的原理についての議論は、主として神の理念を中心になされていた。神は悟性的な概念の対象としては実在性を証明できないが、それにも関わらず、人間の理性的な働きにとって大きな意味を持ち続ける。それは神という理念が、人間に崇高な理想を与えるからである。それは統制的原理によるものであって、構成的原理の働きによるものではない。この二つの原理の相違をよく理解したうえで、神について議論すべきである。こういうカントのやり方は、宗教意識の高い人からは異端視されたが、けだし当然の反応だろう。神の存在を信じている者に向かって、その実在性を根拠にして神を信じるのはやめなさい、と言っているようなものだからだ。

そんな反発をおもんばかってか、一般の読者を想定した「人間学」の中では、人類の進歩を統制的原理として議題に取り上げている。人類の進歩についても色々な意見がありうるだろうが、神の実在性に関する議論に比べれば、ホットにならず冷静にいられると考えたからであろう。しかしてその人類の進歩は、すでに実現されているもの、したがって実在する事態を指しているのではなく、いまだ実現はされていないが、将来実現すべきものとして前提されている限り、統制的原理として働くのである。

カントは人類の進歩について楽天的だった。人間は個々人として見る限り、能力は限られており、成果は微々たるものにとどまる。中には有能な人がいて、人類全体を一段高い水準に引き上げるような者もいることはいる。たとえば、アルキメデス、ニュートンもしくはラヴォアジェのような人である。もしかれらが数世紀の間生存していたならば、人類は飛躍的な発展を遂げたことであろう。しかし彼らのような有能な個人はなかなかいないし、いたとしても短い期間しか生存できないから、その活動の成果は自ずから限られたものである。しかし、人間は類的存在としては、たえず進歩を重ねていく。したがっていつの日か、理想的な状態へと進歩する可能性は大いに期待できるとカントは言う。

そこでカントは人類の性格を問題にする。人類には進歩を目指すような傾向が性格として備わっているというのだ。カントは言う、「人間は家畜の如く群居をなすように定められたものではない、むしろ蜜蜂のように相集まって巣箱を形成するように定められたものである。~いかなるものにせよある一の公民的社会の一員たるべき必然性」(坂田徳男訳)

かく言うことでカントは、人類の進歩を理想的な公民的社会の実現に見ているようである。その公民的社会は、自由と法則を二つの基軸として動いている。その自由と法則とを政治的な権力が媒介する。これら三つの組み合わせから、さまざまな公民的社会のシステムが形成される。カントはその組み合わせと、それがもたらす公民的システムを次のように分類している。
 A権力を持たぬ法則と自由(無政府状態)
 B自由を持たぬ法則と権力(専制政治)
 C自由と法則とを持たぬ権力(野蛮状態)
 D自由と法則とを伴う権力(共和政体)
このうちカントが理想とするのはDである。共和政体こそが真の公民的制度であると考えるのである。

公民的制度は、一国の内部においてのみならず、国家間の関係にも適用されねばならぬ。国家内部における公民的制度が、人間同士の争いをやめさせ、平和な状態を保証すると同じく、国家間における公民的制度の実現は、国家間の争いたる戦争をやめさせ、世界の平和を保証するであろうと考えるわけである。そうした思想は、理性の統制的原理から導かれるものである。統制的原理は、理性の理想としての理念を示す。そうした理念が人間にめざすべき目標を与える。その目標を共有することで、人間はお互いに協力しあい、類としての人間の進歩を確実なものにすることができる。そうカントは考えるわけだが、そうしたカントの考えは、今日でも意義を失っていないと言えるのではないか。むしろ、理念なき時代といわれ、露骨な利益追求が正義と勘違いされている現代にあってこそ、カントの理念は輝きを増していると言えるのではないか。人間はさまざまな規定性を持っているが、その最重要なものは、理想を持つということである。その理想を、統制的な原理としての理念が指し示す、ということになるのではないか。




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