知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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キルケゴールは何故仮名を用いたか


キルケゴールは、決して長いとは言えない生涯に、夥しい量の文章を書いた。あたかも書くことこそが生きることそのものであるかのように。それらの文章は、日記を別にすれば、二つの系列にわけられる。一つは文学的著作であり、もう一つは宗教的著作である。文学的な著作には、文字通り文学作品と言えるもののほかに、倫理的あるいは宗教的なテーマを扱った思想的なものも含まれるが、キルケゴールの場合には、思想を語るときにも文学的に語るので、それらも含めて文学的著作と称する。

ところでキルケゴールは、この二つの系列の作品それぞれに異なった署名を付した。文学的な著作には仮名を用いる一方、宗教的な著作には実名を用いたのである。ということは、宗教的な著作はキルケゴール自身の言葉であるのに対して、文学的著作はそうではないということを含意しているかのようである。宗教的著作は、建徳的講和と題した説教風の著作や、晩年の教会批判の文章などからなるが、それらに盛られた主張は、キリスト者としてのキルケゴールの言葉だということを隠さない。テーマそのものが、そうした行為を排除するからである。一方、「あれかこれか」に始まり「キリスト教の修練」に至る9本の文学的著作にはすべて仮名が用いられている。

その仮名の用い方にも、キルケゴールらしい工夫が伺われる。「あれかこれか」はAという若者と判事ウィルヘルムという人物が書いた文章をヴィクトール・エレミタという第三者が刊行したということになっており、「人生行路の諸段階」は、これも複数の人物による文章をフラーテル・タキトゥルヌス(沈黙の兄弟)と名乗る人物が編集し、それを製本屋ヒラリウスが刊行したという込み入った体裁になっている。「反復」はコンスタンティン・コンスタンティウス、「おそれとおののき」はヨハンネス・デ・シレンチオ(沈黙のヨハンネス)、「不安の概念」はヴィギリウス・ハウフニエンシス(港の夜警番)、「哲学的断片」と「哲学的断片へのあとがき」はヨハンネス・クリマックス、「死に至る病」と「キリスト教の修練」はアンチ・クリマックスといった具合になっている。そしてヨハンネス・クリマックスとアンチ・クリマックスは対立する関係にあるといった具合だ。

これらの著作に仮名を用いた事情については、キルケゴール自身、「哲学的断片へのあとがき」のなかの、「最初にして最後の言明」と題するエピローグ的な文章のなかで述べている。

「私が仮名を用い、多くの名を持っているのは、私という人間に偶然的な理由があるわけではない・・・むしろ作品そのもののなかに、本質的な理由がある・・・仮名の著書のなかには、私自身の言葉というべきものは、一語もないのである。私は、これらの著書について第三者としての意見しかもたない」(白水社版著作集、杉山好、小川圭治訳)

ここで述べられているのは二つのことがらである。一つは、これらの著作で述べられている言説がキルケゴール自身の意見ではないということであり、もう一つは、これらの著作がキルケゴールという人間から独立した独自の存在意義を持っているということである。これはいったいどういうことか。

文學的著作にせよ思想的著作にせよ、通常はそれを書いた人間の思いなり意見なりが書かれているものと受け取られるものである。そうであってこそ、その作品を書いた人間の存在証明にもなるわけだし、その作品が優れた作品であった場合には、作者は偉大な創作者として人類の歴史に名をとどめることもできようというものである。しかし、仮名では、それも作品ごとに異なった仮名を付したのでは、それらの作品が人々に感動を与えたとしても、作者は、自分がその感動の贈り手なのです、と胸を張って言うことが出来ない。だから作者が、自分の作品に仮名を署名するというのは、よほどの事情があると考えてよい。

キルケゴールが「あれかこれか」を書いて出版した時、そこにレギーナとの関連を想起させるような内容が含まれていたために、彼女へ迷惑が及ぶことを恐れて、仮名を用いたのだと解釈するキルケゴール研究者が多い。しかし、この作品がキルケゴールの手になるものだということは、刊行直後に人々にわかってしまったことだし、また、キルケゴールがその後の文学的著作のすべてに仮名を付しつづけたということを考えれば、こんな解釈があまり説得力を持たないのは明らかだ。キルケゴールが、自分の文学的著作に仮名を用い続けたのには、別に深いわけがある、と考えないわけにはいかない。

そのわけとは、どんなものだったのか。ものごとをわかりやすくするために、「あれかこれか」に例をとって考えてみよう。この著作は二部構成をとっており、前半はAという若者が書いたものと、彼の友人の日記(誘惑者の日記)からなっており、後半は判事ウィルヘルムと名乗る人物の書いた二つの論文からなっている。そして前半は美的実存、後半は倫理的・宗教的実存をテーマにしたものだと、発行人のヴィクトール・エレミタはいっている。

前半は、美的実存をテーマにすると言っている通り、人間の審美的な生き方がそのままに展開される。それはいいか悪いかの問題を超えて、審美的な生き方とはこんなものですと読者に語りかけているだけである。一方後半は、判事ウィルヘルムが判事らしい実直さをもって、審美的生き方の空しいこと、倫理的・宗教的生き方こそ人間にとって相応しい生き方なのだと語っているが、そう語っているのは、ほかならぬ語り手の判事ウィルへルムであって、刊行者のヴィクトール・エレミタではない。つまりこの著作では、二人の人物がそれぞれ自分の気に行った生き方について勝手にしゃべっているという体裁をとっていて、著者が読者に一定の意見を述べると言ったやり方はとっていない。ということは、著者は、ここで二人の人間が展開している意見や思いについて、読者に自分で判断してほしいといっているのだ、と考えられないではない。

つまりキルケゴールは、美的、倫理的、宗教的と言った実存の様々な様態について、自分が思っていることをストレートに読者に開陳するのではなく、それらについて、各々にそういう生き方をしている人物にそのまま語らせるという方法を取っているわけである。ということは、キルケゴールは直接話法ではなく、間接話法を採用しているということだ。美的生き方の問題について直接読者に語るのではなく、そういう生き方をしている人物に語らせ、そのことによって、読者がみずからそういう生き方に対する判断をするようにとりはからう。直接的にではなく、間接的に。それ故間接話法というわけである。

キルケゴールはこうした方法をソクラテスから学んだようである。ソクラテスは、相手に何か言いたいことがある時には、直接それをいわないで、まず相手の主張に茶々を入れる。茶々を入れられた相手が夢中になって反論するうち、自分の意見には根拠のないことを気づかされ、知らず知らずのうちにソクラテスの術中にはまっていく。それをキルケゴールはイロニーと名づけたのであったが、そのイロニーの方法を自分でも採用してみた、というのが仮名を用いたことの意味合いではなかろうか。つまり、ソクラテスのように、読者に向かって直接語りかけるのではなく、間接的に語りかけることによって、相手を自分の思うように変化させていく。それがイロニーとしての間接話法なのではなかろうか。

もしそういえるとしたら、上に引用したキルケゴール自身の言葉の意味も納得できる。間接話法であるから、作品は必ずしも著者自らの考えを書いたものではないこと、またその作品には著者の思惑を超えた独自性があるのだということ、この二つのことがらの意味である。読者は仮名の著者による著作を読むことを通して、審美的実存の空しさを知り、倫理的実存の欺瞞性に気づき、宗教的実存へと高められていくに違いない。宗教的実存に高められた人に対しては、自分は実名で自分の思いを伝えよう。そうキルケゴールは考えていたのではないか。


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