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ラテンアメリカ文学を読む


ラテンアメリカ文学は、世界文学の最後のフロンティアと呼ばれた。じっさい、ラテンアメリカ文学が、世界的に読まれるようになったのは20世紀半ば以降のことで、それまでは、スペイン語圏の周縁的な現象に過ぎないとみなされていた。アストゥリアスのような作家は、1930年代から西欧文化人の注目を集め、それなりに高く評価されてはいたが、それは個人的な例外現象であって、ラテン文学が全体として高い水準を示したとは見なされなかったのである。

ラテンアメリカ文学を一気に世界レベルに高めたのは、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」である。この長編小説が刊行されたのは1967年のことであるが、それ以後、ラテンアメリカ文学が全体として語られるようになった。この小説はそれほど大きなインパクトをもっていたわけである。そこには、この小説を孤立した現象としてではなく、ラテンアメリカ文学全体の中に位置づけようという意図がからんでいた。つまり、これは偶然出現したものではなく、ラテンアメリカ文学の広大な空間の中から、出て来るべきものとして出現したといった位置づけがなされたのである。

そういう見方が提示された上で、過去に遡及する形で、ラテンアメリカの他の作家についての分析がなされ、そこからラテンアメリカ文学に共通する特徴といったものが抽出された。それを俗に「マジックリアリズム」とが「幻想的文学」とかいっているが、それは多分に、「百年の孤独」の特徴であったものを、ほかの作品にも適用したきらいがある。つまり、ラテンアメリカ文学から「百年の孤独」が生れたというよりは、「百年の孤独」の持った巨大なインパクトが、ラテンアメリカ文学という新しい範疇を生みだした、というようなところがある。

かつて、カルロス・フエンテスがアストゥリアスの小説を評して、ラテンアメリカの言語空間の中では、現実の出来事を普通に描いても、幻想的あるいは魔術的な雰囲気が醸し出されると言ったことがあった。ラテンアメリカにおける人々の伝統的な生活には、欧米的な合理主義とは全く異なった世界観がはたらいている。その世界観は、事実と願望、現実と幻想との間に差異を設けないといった特徴を具有している。そうした特徴が、アストゥリアスに代表されるラテンアメリカ文学に、いわゆるマジックリアリズムの刻印を齎すのだ。そんな理解が広まるなかで、ガルシア=マルケスはじめ、ほかのラテンアメリカの作家たちにも、マジックリアリズムという特徴が指摘されるようになった。

しかし、ラテンアメリカ文学を代表するといわれる作品を読んでみると、事態はそんなに単純なものではないとわかる。ガルシア=マルケスの最大のライバルといわれたバルガス=ジョサには、幻想的な雰囲気は希薄である。どちらかというと、リアリズムの立場から社会批判を行うような流儀である。アストゥリアスとほぼ同時期に活躍したボルヘスは、知的な文体で高度に抽象的なことを語るのが得意であり、幻想小説というより、形而上学的なエッセーといってよいものである。

かように一口にラテンアメリカ文学といっても、アストゥリアスからガルシア=マルケスの流れに代表されるマジックリアリズムの系譜と、ボルヘスからバルガス・ジョサの流れに代表される批判的リアリズムの系譜との二つの大きな流れが指摘される。その中間に多くの作家たちが位置付けられるといった具合に、ラテンアメリカ文学は、多彩な傾向の上に成り立っているのである。

ラテン・アメリカ文学の巨匠と呼ばれる人たちは、ほとんどが西洋系の人間であり、また、西洋での長い生活経験をもっている。中には、西洋で教育を受け、西洋的な価値観を内面化しているものもいる。ボルヘスやバルガス=ジョサはその代表的なもので、彼らは故郷であるラテンアメリカにほとんど共感を覚えておらず、あたかもヨーロッパ人のように振る舞っている。おもしろいのは、ボルヘスもバルガス=ジョサもユダヤ系だということだ。ユダヤ系は、西欧社会では迫害される立場だが、ラテンアメリカでは白人の端くれとして、インディオやメスティーソを見下ろす立場にたっていた。そうした立場が、かれらのエリート意識を異常なまでに刺激したようで、かれらの作品には、露骨な人種差別意識がこだましているありさまである。

それに対して、ガルシア=マルケスやアストゥリアスには、人種差別意識はみられない。みな平等の人間として描かれている。アストゥリアスの場合には、自分の母親がインディオの出自だったということもあり、インディオへの差別意識は全く見られない。それどころか、インディオの伝統的文化にインスピレーションの泉を求めてさえいる。ガルシア=マルケスはインディオとの血縁はなかったが、ラテンアメリカに根付いた人間として、その文化との一体感を抱いていた。その一体感が、「百年の孤独」のような、いわば大地に深く根ざした偉大な文学を生みだしたのだといえる。

ともあれ、20世紀になって世界文学の仲間入りをしたラテンアメリカの文学が、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」によって神通の痛みを与えられ、それを通して自らのアイデンティティを模索し始めたといえそうである。しかしそのアイデンティティは一様のものではない。内部にさまざまな変容を含んでいる。決して一つの標語の下にくくられるようなものではない。そんな多彩なラテンアメリカ文学を、テクストに沿いながら読み解いていきたい。


百年の孤独:ガルシア=マルケスを読む

ラテンアメリカの権力闘争:百年の孤独


アメリカのラテンアメリカ支配:百年の孤独

ラテンアメリカの女たち:ガルシア=マルケス「百年の孤独」

大佐に手紙は来ない:ガルシア=マルケスを読む

族長の秋:ガルシア=マルケスを読む

独裁者を支える外国資本:マルケス「族長の秋」

エレンディラ:ガルシア=マルケスの短編小説集

予告された殺人の記録:ガルシア=マルケスの推理小説

グアテマラ伝説集:アストゥリアスの幻想文学

アストゥリアス「大統領閣下」

伝奇集:ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説集

続審問:ボルヘスの思弁的エッセー集

パスカルの球体と無限:ボルヘス「続審問」

失われた足跡:カルペンティエールのマジック・リアリズム小説

あなたの女:カルペンティエール「失われた足跡」

都会と犬ども:バルガス・ジョサの社会派リアリズム小説

バルガス・ジョサの語り口:「都会と犬ども」から


木村榮一「ラテンアメリカ十代小説」

寺尾隆吉「ラテンアメリカ文学入門」


増田義郎「物語ラテン・アメリアの歴史」


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