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ラテン・アメリカの権力闘争:百年の孤独


「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリアノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものと見た、あの遠い日の午後を思い出したに違いない」。小説「百年の孤独」はこんな文章で始まる。アウレリアノ・ブエンディ大佐とは、ブエンディア家の初代でマコンドの創設者であるホセ・アルカディオの次男である。そのアウレリアノ大佐の闘いに明け暮れた人生が、小説前半の骨格をなしている。

アウレリアノ大佐は、自由党の闘士であり、反乱軍の指導者という形になっているが、その実際の姿は、前述したカウディージョだったと思われる。かれは父親の権威を引き継いでマコンドの有力者となったのだが、そのマコンドの武力を用いて保守勢力との闘いにあけくれた。一応、政府軍対反政府反乱軍との内戦というようになっているが、政府が決定的な権威をもたないラテン・アメリカ、それもコロンビアのような国では、内戦は党派同士の勢力争いという様相を呈する。その党派に、保守主義と自由主義の衣をかぶせ、保守的な政府に自由主義的な反乱軍が挑戦するというような体裁をとっているわけである。

その反乱軍の指導者アウレリアノ大佐が、フィデル・カストロを想起させることは自然だろう。カストロはカウディージョではなく、革命運動家だったが、その少数精鋭を引き連れての神出鬼没の戦いぶりは、アウレリアノ大佐の手本となったに違いない。その大佐という称号は、無論反乱軍が勝手につけたもので、当時のラテン・アメリカでは、さまざまな勢力が自前の軍隊を組織していたのである。

アウレリアノ大佐は、マコンドで初めて生まれた子供であるが、幼いころから好戦的だったわけではない。むしろ内向的だった。その彼が戦いに立ち上がったのは、保守的な勢力によって、自由主義的なマコンドが抑圧される事態に怒ったからだった。マコンドはそもそもアウレリアノの父親が創設した町で、住民は自由を大事にしていた。その自由が保守勢力によって抑圧され、あまつさえ、自由の闘士が殺害される事態になった。そのことに怒ったアウレリアノは、三十歳未満の若者を引き連れ、政府への反乱を開始したのである。

そのアウレリアノの半生を、小説は次のように簡潔に表現している。「アウレリアノ・ブエンディ大佐は三十二回も反乱を起こし、その都度敗北した。十七人の女にそれぞれひとりずつ、計十七人の子供を産ませた~ただし彼らは一夜のうちにつぎつぎに人手にかかって死に、いちばん長命の者でさえ三十五歳までしか生きられなかった。大佐はまた十四回の暗殺と七十三回の伏兵攻撃、一回の銃殺刑の難を免れた。馬一頭を殺すのに十分なストリキニーネ入りのコーヒーを飲みながら、死ななかった。大統領から授与される勲功章も辞退した」(鼓直訳、以下この項について同じ)。小説の前半は、ここに簡単に書かれていることがらが、詳細に語れれることにあてられているのである。

前半のハイライトは、大佐が銃殺の難に直面する場面だ。小説の冒頭の文章は、その難に直面した大佐が、子供の頃のことを回想するところを描いているのだ。もっとも大佐はこの難を逃れて、耄碌するまで生き延びた。かれが銃殺をまぬかれた事情はあいまいに書かれているが、もっともありそうな理由は、メルキアデスの予言には大佐が若死にすると書かれていなかったことだろう。大佐は、盟友のヘルネルド・マルケス大佐にその耄碌ぶりを嘲笑されるまで生き延びたあげくに、父親がかつてつながれていた大きな栗の木に体をあずけて、そのまま動かなくなったのだった。家族の者が大佐の死に気付いたのは、大勢のハゲタカが栗の木に向かって盛んに下りて来るところを見たからだった。

大佐はいちおう自由の理念の為に戦ったということになっている。その自由なるものの内実がいかなるものか、小説は具体的に触れることがない。ただ保守的な政府が大佐にもちかけた停戦条件の中に、大佐の主張に対する妥協のようなものが示されており、それを読むと、大佐の主張が浮かび上がってくるようになっている。その条件とは次のようなものだ。「第一点は、自由党の地主たちの支持を取り付けるために、土地所有権の調査はあきらめる、ということだった。第二点として彼らは、カトリックの大衆の支援を得るために、僧職者の力を抑えようとする戦いの中止を希望した。最後の要求は、今のままの家庭を守るために、諸子と嫡出子に平等の権利を認めよという主張を捨てる、というものだった」。要するに、マコンドの創設者への土地の返還要求をやめよ、カトリックの権益を尊重せよ、庶子に対する嫡出子の優位を認めよ、ということである。その要求とは逆のことを、大佐らは行っているというわけであろう。

大佐には熱狂的な支持者がいた。兄のホセ・アルカディオが娼婦のピラルに産ませたアルカディオは、叔父の理念に影響されて、自由主義を守る戦いに立ち上がったが、志半ばにして銃殺された。だが、かれがサンタ・ソフィアに産ませた三人の子供が、ブエンディアの家系を持続させた。大佐自身の産ませた子は、ことごとく若死にして、子孫を残すことはなかったのである。

甥のアルカディオを含めて、大佐は人を愛するという感情に欠けていた。それをもっとも強く感じたのは、母親のウルスラである。「彼女が気づいたのは、アウレリアノ・ブエンディ大佐が家族への愛情を失ったのは、以前はそう思っていたが、けっして激しい戦乱のためではない、大佐はいまだかつて人を愛したことがないのだ、妻のレメディオスやその人生をよぎっていった無数の一夜妻を、まして子供たちを愛してはいなかった、という事実である」

これはおそらく大佐自身の個人的な資質なのであって、ラテン・アメリカの男たちに共通した性格だとはいえないのかもしれない。だが、この小説に出てくるラテン・アメリカの男たちには、深い人間愛を感じさせるキャラクターがまったくいない。それはどうしたわけだろうか。

ともあれ、大佐の反権威的な性格は、自分の子ではなく、甥のアルカディオがサンタ・フソフィアに産ませた双子のうちの兄のほう、ホセ・アルカディオ・セグンドが受け継いだ。ホゼ・アルカディオ・セグンドは、アメリカ資本によるラテン・アメリカの搾取に憤激して、闘いに立ち上がるのだ。




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