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ラテンアメリカの女たち:ガルシア=マルケス「百年の孤独」


「百年の孤独」は、ブエンディア家の七代にわたる記録という体裁をとっており、代々の男たちの生きざまが中心になるのだが、女たちも男たちに劣らぬ存在感を発揮している。彼女たちは、それぞれが個性的で、自分自身の信念にしたがって生きており、したがって自立した女たちであり、けっして男に従属してはいない。それどころか、自分の意志で男たちを動かす強さをもっている。そんな女たちに読者は、ラテン・アメリカの女の意地を見ることができるのではないか。

一家の中でもっとも強い存在感を示すのは、創設者の妻ウルスラである。というより、彼女こそは夫のホセ・アルカディアと協力してマコンドを創設したということになっている。したがって彼女の影響力は大きい。その影響力は、単に一家の中に及ぶばかりでなく、マコンド全体にも及んでいる。一時内戦が激化して町が無政府状態に陥ったときには、彼女が最高権力者の役目をつとめた程だった。

彼女は、信仰深さを感じさせることはないが、色々な信念をもっており、それに従って行動する。その信念の中には迷信めいたものもある。たとえば一家の中で近親婚があると、豚の尻尾を持った子が生まれるというものである。この信念は後に、五代目のアマランタ・ウルスラと六代目のアウレリアノが近親相姦を犯したとき、豚の尻尾を持った子供が生まれてきたことで実証される。その前に、三代目のアウレリアノ・ホセが、二代目であり、自分を育ててくれた叔母のアマランタとの結婚を望んだこともあった。アウレリアノ・ホセは、アルマジロが生まれてきてもかまわないから結婚したいと願ったのだったが、結局は実現しなかった。ウルスラがまだ生きていて、彼女の信念が一家の上に権威をもっていたからだ。

ウルスラは、夫がまだ元気だった頃は、夫の顔を一応はたてたが、夫がぼけてからは、専ら一家の主婦として家の中を差配した。しかし、一家の中はごたごたがつづいた。長男のホセ・アルカディは放浪癖があって、そのうえ凶暴だし、次男のアウレリアノは、政府相手に反乱の戦いに明け暮れていた。そんな息子たちを、ウルスラは誇りに思うでもなく、また、支持するわけでもなかった。ただあきれて見ているばかりであった。ウルスラはある時こういうのだ、「男の子ってみんな同じね・・・始めは行儀がよくって、言うことをよく聞いて、まじめだけれど、髭が生える年頃になると、たちまち悪いことを始めるんだから」

ウルスラは、五代目で玄孫であるアマランタ・ウルスラの少女時代まで生きていた。晩年には目がほとんど見えなくなり、やがて完全に失明したが、周りの家族には、あかたも見えるように振る舞った。だから誰も彼女が失明したことに気づかなかった。

死ぬしばらく前、数か月にわたる雨の季節があった。ウルスラは、その雨がやみ次第この世を去ると予言した。しかしその予言の実現まではかなりな時間を要した。その間に彼女はすっかりやせ細ってしまった。「少しずつ体が縮んで胎児に似ていった。生きながらミイラと化して、最後の数か月には、寝巻に紛れ込んだ乾し杏子も同然の身になった。上げっぱなしの腕などは、蜘蛛猿の脚としか見えなかった」。それでも彼女は生きていたのだったが、聖週間の木曜日の朝に死んだ。「みんなに助けられながら、最後に年を勘定したのは、まだバナナ会社が威勢のよかったころだが、そのときすでに、百十五歳から百二十二歳のあいだという結果が出ていた」。ということは、すくなくとも百三十歳以上だったわけだ。

この小説に出てくる女たちは、長生きしたものが多い。ウルスラの薄幸の娘アマランタも百歳以上で死んだのだし、長男の妻となったレベーカは、アマランタより年上だったが、アマラントより長く生きた。ホセ・アルカデォイオとアウレリアノのためにそれぞれ息子を産んでやった娼婦のピラルも、ホセ・アルカディオ・セグンドとアウレリアノ・セグンドの共通の情婦となったペトラ・コテスも長生きした。彼女たちもおそらく百歳以上生きていたのではないか。

ウルスラの娘アマランタとレベーカは恋敵の関係になった。ピエトロ・クレスピというハンサムなイタリア人をめぐって恋のさや当てを演じたのだ。さや当てと言っても、それはアマランタの横恋慕といってよかった。アマランタは、婚約したレベーカとクレスピが正式に結婚式を挙げるのを邪魔し続けたのだ。そのうちレベーカは、クレスピに愛想をつかし、ホセ・アルカディオと一緒に暮らすことになった。そんな二人をウルスラは家に入れなかった。そのため二人は別に家を見つけて、そこで一緒に住んだ。ホセ・アルカディオが死んだあとは、彼女に気を遣うものはいなかったので、死んだも同じような状態だったが、ある時、アウレリアノ大佐の息子の一人が、レベーカが生きていることを皆に報告した。それを聞いたウルスラは、レベーカにしてきたひどい仕打ちをいたく後悔するのだった。そのレベーカは孤児で、何者かによってブエンディアの家に連れてこられ、そこで一家の一人として育てられたのだった。彼女には、土を食うという習慣があったのだったが、生活が落ち着くにしたがってその習慣は消えていった。しかし心を乱されることが起きると、その習慣が復活するのだった。

ウルスラについで強い存在感があるのはフェルナンダである。彼女は、大きな町の裕福な家で育ったのだが、ある時マゴンドの祭りに、女王役として送りこまれて来たところ、アウレリアノ・セグンドの妻になったのだった。だが、アウレリアノ・セグンドはペトラ・コテスに夢中になって、彼女をほったらかしにした。それでも彼女は、めげずにブエンディア家を切り盛りし、事実上一家の主婦になったうえに、妻としての権利にものをいわせて、子作りに成功することもあった。長女アマランタ・ウルスラと双子の兄妹ホセ・アルカディオとレナータ・レメディオスはそうして生まれたのであった。ホセ・アルカディオという名が一家に受け継がれてきた男子の名であるのに対して、レメディオスは一家にとって三人目の女の名だった。

フェルナンダは気位の高い女だったので、自分が受けている仕打ちに我慢できなくなることが多々あった。そんな折に彼女は屋敷の中をあちことしながら、次のような憤懣の言葉を吐くのだった。「王妃としての教育を受けてきたのだ、それがどうだろう、変人ぞろいの屋敷で女中奉公をさせられて! 夫は怠け者で、女好きな道楽者ときている、大の字にひっくり返って、棚からぼた餅をねらっているだけだ、ところがこちらは、今にも崩れそうな家を支えるのに、それこそ骨身を削るような思いをしている」

一方、アウレリアノ・セグンドの母親サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダは、一度も愚痴をこぼしたことがなかった。娘のレメディオスがシーツにのったまま風に吹かれて空中に消えた際にも、愚痴をいうことはなかった。それも運命だと思ってあきらめたのである。このサンタ・ソフィアだけは、我の強い女たちのなかで唯一、控えめな女であった。それゆえ息子の嫁であるフェルナンダは、彼女に対して当然払わねばならない敬意を全く払うことがなかった。

そんなフェルナンダの晩年はけっして幸せなものではなかった。彼女は子宮に腫瘍が出来たと思い込んで、いかがわしい医師に相談したりしていたのだが、どうやら別の原因で死んだようだった。「彼女は貂の毛皮のマントで体をおおい、大理石のような肌に包まれた実にあでやかな姿でベッドに横たわっている」ところをアウレリアノ・セグンドに発見されたのであったが、アウレリアノ・セグンドはそんな母親をそのまま放置した。兄のホセ・アルカディオが四か月後に、死んだときのままの姿で見出したのだった。

フェルナンダは、娘のレナータ・レメディオスの恋を邪魔し、その恋人をひどい目にあわせた挙句に、娘の産んだ子を私生児として育てたのであったが、その私生児が、フェルナンダの産んだもう一人の娘アマランタ・ウルスラとくっついてできた子に、豚の尻尾が生えていたのだった。豚の尻尾が生えた子は、父親が無能なために速やかに死に、その遺体を蟻の群れによって運び去られた。この豚の尻尾を持った子供の死によって、ブエンディア家の長い歴史に終止符が打たれたと同時に、マコンドの町全体も消滅に向かったのである。




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