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アストゥリアス「大統領閣下」を読む


中南米諸国は、政情が不安定なこともあって、数多くの独裁者を生んだ。そういう国で文学活動を行うと、政治的な迫害を受けることが多く、またそれに反発して独裁者を批判する政治的なメッセージの強い作品群が生まれた。ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの「大統領閣下」は、ガルシア=マルケスの「族長の秋」と並んで、そうした専制政治批判の代表的なものである。

アストゥリアスは、1930年に「グアテマラ伝説集」で衝撃的なデビューをし、インディオの神話的な世界を幻想的に表現したシュル・リアルな作家というイメージを確立していたが、この「大統領閣下」は、神話的な世界ではなく、極めて日常的な世界を描いている。その日常的な世界とは、大統領が専制的権力をふるい、国民はみなすべて大統領の偶然の気分に左右されながら生きているといった、いわば究極のディストピアである。そういう世界に生きていると、だれもが自分の安全しか考えなくなる。自分の安全の前には、あらゆる価値は無になる。大統領の機嫌をとって、その日暮らしをするほか生きる道はない。そうした行き詰るような日常を、この「大統領閣下」は描き出している。

だから、この作品は「グアテマラ伝説集」とは違った面でラテンアメリカ文学の特徴を代表していると言える。ラテンアメリカ文学の特徴とは、単純化して言うと、幻想的な物語性と強烈な権力批判である。その二つの面について、アストゥリアスは先駆者として登場したわけである。

「大統領閣下」が出版されたのは1946年だから、一般の受け取り方は、アストゥリアスが「グアテマラ伝説集」におけるような幻想的・シュルリアリスティックな作風から、リアルな体制批判へと転向したというものだった。しかし実際には、この小説は1922年に書き始められており、1932年に完成していた。出版が遅れた理由は明確ではないが、グアテマラの独裁者たちに配慮したことも考えられる。

グアテマラでは、ホルヘ・ウビコという独裁者が1931年から1944年まで恐怖政治を行い、階層を問わずすべての国民が大統領を恐怖し、グアテマラには自由な人間は大統領ただひとりしかいないと言われた。「大統領」閣下は、1932年に一応の完成をみていたが、ホルヘ・ウビコの専制ぶりをある程度盛り込んでいる可能性はある。その専制ぶりにはいかなる規則性もなく、ただただその場その時の気分に左右されると言われていたので、国民としては、始末が悪かったのである。そうした始末の悪い不条理さに翻弄される人間たちの絶望的なあがきがこの小説を彩っている。とにかく、後味の悪い小説である。

この小説にはさまざまな人物が登場するが、真の主人公は大統領自身である。この大統領の周辺には、かれの最大の政敵になる可能性を持ったカナレス将軍とか、大統領が全幅の信頼を寄せていた側近ミゲル・カラ・デ・アンヘルといった人物がいて、この二人の因縁をめぐる出来事の連鎖が主要なテーマになっている。たまたま「主の御門」で殺された軍人が大統領の気に入りの人物だったので、大統領は復讐を考えるのであるが、ただ復讐するのではなく、その罪を政敵のカナレス将軍になすりつけ、その将軍の始末を腹心のアンヘルに命じる。アンヘルは「魔王のように美しく、また悪辣でもあった」と言われるような非情な男だが、どういうわけかカナレス将軍の娘カミラに惚れてしまう。それが大統領の不機嫌をかって、アンヘルは抹殺されてしまうのである。

抹殺される人間は、ほかにもおびただしい数に上る。なにしろこの国では、自由で安全なのは大統領だけであり、他のすべての人間は何時何時大統領の命令によって消されないとも限らないのだ。大統領のお気に入りであったアンヘルでさえも、大統領への忠誠心の一部を他の人間すなわちカミラに割いたことがもとで消されてしまうのだ。

小説の舞台は当然グアテマラと思われるが、グアテマラの地名は出てこず、架空の国ということになっている。その点は、架空の地名ではあるが、ペルーの特定の地域を舞台にしているガルシア=マルケスのやり方とは異なっている。ただし、大統領の支配する国が、地図上ではあくびのような形だと言及しているので、中南米の地図をよくよく見たものの、グアテマラはあくびのようには見えなかった。また、アンヘルがアメリカに向けて船出しようとする場面で、港町が登場するが、グアテマラの港から直接アメリカに向かう航路も確認できなかった。ただ今はないだけで、前世紀の始めころにはあったのかもしれない。

大統領の最大の脅威であるカナレス将軍は、大統領を脅かすほどの活躍をしてもよいと思うのだだが、ほとんど活躍らしいことをしないまま消えてしまう。かれは大統領への反乱を組織するまではいったのだが、それは実を結ばず、彼自身はつまらぬことで死んでしまうのだ。そこが小説として物足りないところかもしれない。大統領への反乱が成功しないまでも、大統領を焦らせるくらいの動きをしても、小説としては良かったのではないか。カナレスの娘カミラも、アンヘルと結ばれたのはいいが、そのアンヘルが突如消えてしまって、膨れた腹を抱えたまま取り残される。彼女は後に、大統領の妾になったという噂まで流される。それが本当だとしたら、実に救いのない顛末である。そうした救いのなさが、この小説には充満している。実に不道徳な世界を描いた小説である。




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