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バルガス・ジョサの語り口:「都会と犬ども」から


「都会と犬ども」におけるバルガス・ジョサの小説の語り口は、現在と過去を交互に語るというものである。メーンプロットははっきりしていて、それは継時的な進行として語られるのだが、その合間に登場人物たち個々の過去が差し挟まれる。過去の部分には継時的な連続性はない。断続的に取り上げられるのだ。その取り上げられ方には、二つのパターンがある。一つは三人称で語られている現在進行形の物語の合間に、やはり三人称の語り  方で過去のことが語られる。もう一つは、登場人物の独白という形で、過去のことが語られる。独白するのは、準主人公の立場にあるジャガーと、かれの親しい仲間であるボアだ。この独白の部分は、第二部で現れる。小説全体が二部構成になっていて、第一部ではもっぱら三人称の形で語られ、第二部では一人称の独白を交えながらの語りが混在しているのである。

これが、「都会と犬ども」という小説の語り口を概観したものだが、その語り口がフォークナーを強く意識しているのは明らかである。フォークナーが「響と怒り」を発表したのは1929年のことだが、そこで取り入れられた斬新な時間処理は、またたく間に世界中の若い作家たちを魅了した。その影響は、日本にも及び、大江健三郎も、フォークナーの時間処理に学んだと言っている。バルガス・ジョサが「都会と犬ども」を発表したのは1967年のことで、フォークナーはすでに世界的な名声を確立していたから、その影響がラテンアメリカの作家であるバルガス・ジョサにまで及んだのは不自然ではない。そういう意味では、バルガス・ジョサは、マジックリアリズムを掲げるラテンアメリカ文学の旗手というより、欧米文学の反響あるいは亜流としてスタートしたといえる。

この小説は、主として二人の登場人物に焦点をあてている。小説自体のモチーフは、個々の人間の生き方というより、ペールー社会のもつ暴力的で非文明的な側面なのだが、社会をテーマにしては小説としては成り立たないから、いきおい個性ある人物に焦点をあてた書き方をせざるを得ない。その焦点が、二人の人物にあてられている。二重の焦点を軸にして物語が発展するのだ。二人の人物は、ライバル関係にあるアルベルトとジャガーである。この二人の少年には、おそらくバルガス・ジョサ自身が投影されているのだろう。ジョサは自分がもっている素質とか性格を、この二人の少年に分有させていると思われる。比重からすれば、アルベルトのほうが重みを持って描かれているが、人間性という面では、ジャガーのほうが深みある存在として描かれている。

小説は、この二人のうち、ジャガーへの言及から始まる。以後小説を駆動する事件の発端がそこで触れられるわけでが、その直後に、ジャガーの過去が説明される。ジャガーの本名がリカルドであり、母親からリーチと呼ばれていることなどが語られる。だが、ジャガーが本名で呼ばれることは以後ないので、読者はジャガーに本名があったこと自体忘れてしまうほどである。一方アルベルトのほうは、ジャガーとのかかわりをしめす事柄が語られた後、幼いころにリマの中高級住宅地に引っ越してきたというふうに過去のことが説明される。これで、二人の主要人物のプロフィールが明かされたわけで、以後小説はこの二人を中心にして展開してゆく。

第一部は、すべて三人称の形で語られる。ところが第二部では、二人の人物の独白が差し挟まれ、それが物語の展開に大きな役割を果たす。独白者の一人がボアというメスティーソらしい少年ということはすぐにわかるが、もう一人のほうは、なかなかわからない。大部分の読者は、その独白者をアルベルトと思ったことだろう。ところが実はジャガーなのである。ジャガーが独白の形で語っているのは、テレサという少女への思いと、悪党仲間との腐れ縁なのだが、そのテレサという少女は、後にアルベルトや、奴隷とあだ名される少年ともかかわりがあったとわかる。アルベルト・ジャガー・奴隷の三人は、この小説の中のキーパンソンであるから、それらのいずれともかかわりがあったテレサは、小説のもう一つの焦点なのである。もっともテレサは、少年たちのようには詳細には描かれていない。主要な焦点はあくまでも、アルベルトとジャガーという二人の少年なのだ。

アルベルトとジャガーのうち、小説がより多くのページを割いているのはアルベルトのほうであり、外見上はアルベルトがこの小説の中心的なキャラクターというふうに見えるが、しかし人間的にはジャガーのほうが深みのある人間として描かれている。しかもジャガーは最終的にテレサと結ばれるのだ。

ジャガーに深みがあるというのは、かれが自分自身の行為に責任をとる人間だという意味である。それに対してアルベルトのほうは、感情にまかせて右往左往する愚かなところのある人間として描かれている。しかしどちらも白人である。この小説の中には、白人と明らかにわかる人間はこの二人だけなので、その二人の白人に専ら焦点をあてているこの小説は、バルガス・ジョサという白人(ユダタ人)作家の人種的なバイアスを反映しているともいえる。




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