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増田義郎「物語ラテン・アメリアの歴史」


ラテン・アメリカの歴史の案内書として、増田義郎の「 物語ラテン・アメリカの歴史」(中公新書)を繙いてみた。これからラテン・アメリカ文学を読むつもりなのだが、それにはラテン・アメリカの歴史についてある程度の知識が必要となるようなので、手っ取り早くその期待に応えてくれそうな本として、これを選んだだ次第だった。

新書版の本なので、そんなに詳しくはないが、一応先史時代から20世紀までのラテン・アメリカの歴史が一望でき、しかも時代の流れに沿って、その特徴がざっくりとわかるように書かれている。結構重宝な本である。

アメリカ大陸に人類がやってきたのは、約2万1000年前から1万7000前までの間のことだったらしい。かれらはマンモスを追って、まだ陸続きだったベーリング海峡を渡りアラスカに至ったが、当時は厚い氷河にさえぎられてそれ以上南進することができなかった。氷河時代が終わり、完新世が始まった1万年前以降、人類は次第にアメリカ大陸全体に進出した。いずれにしてもアメリカ大陸は、人類にとって「文字通り新世界」だった。

アメリカ大陸の原住民は文字による歴史を残さなかったので、白人が進出する以前の歴史についてはあまり知られていない。おぼろげながらわかっているのは、メキシコにマヤ人の文明、ペルーにインカ人の文明がかなり高度な発展をとげていたということだ。それ以外の地は、文明以前の原始的な暮らしをする部族が散在していた。

そんなアメリカ大陸に最初にやってきたのはスペイン人で、ポルトガル人がそれに続いた。コロンブスがエスパニュール島に上陸したのは1492年のことだが、それからわずかの年数を経て、フェルナンド・コルテスがマヤ帝国を最終的に滅亡させたのは1521年のこと。つづいてフランシスコ・ピサロが1533年にインカを滅亡させた。かれらは自分が滅亡させた土地の実質上の支配者となって、原住民を搾取し、巨万の富を築いた。

スペインはアメリカ大陸の植民地支配について、本国による直接統治を原則にした。メキシコとペルーに副王を置き、その副王が本国の意向を実施するという体制を整えたわけだが、実質的にはコルテスやピサロの利害を考慮せざるを得ず、かれらがエンコミエンデという名の荘園を所有するのを許した。エンコミエンデの支配者は、私兵組織を持ち、後の地域のボスの原型となった。

アメリカ大陸全体の所有権は、スペインとポルトガルで分割された。現在のブラジルにほぼ相当する地域がポルトガルの所有に帰したほかは、北アメリカを含めて、残余のアメリカのすべてがスペインの所有となった。だがスペインは、メキシコとペルー及びそれに隣接する地域の支配で精いっぱいで、北アメリカの奥まで手を伸ばす余裕がなかった。そこにイギリスがつけこんだ。イギリスが北アメリカのヴァージニア植民地の建設に取り掛かったのは1607年、メイフラワー号がニューイングランドに上陸したのは1620年のことである。

スペインとイギリスでは植民地統治の方法が大きく異なった。スペインは直接統治を原則とし、本国から派遣されたスペイン人を頂点にして、原住民を最下層とするカースト組織を作り上げた。その態勢のなかで原住民は搾取の対象となった。一方イギリスは、植民地を直接統治しようとはしなかった。植民者たちの自治を最大限認めるかわりに、租税を取り立てるという方法をとった。その植民者たちは、自分たちだけのコミュニティを形成し、原住民を排除した。場合によっては、開拓の必要上邪魔になった原住民を大量殺害した。イギリス人の植民者にとって、現地人はインディアンと呼ばれ、同等の人間としては扱われなかった。そんな事情も作用したのか、イギリスの支配下に入った土地では、原住民は生きる基盤を失って死滅していった。今日にいたるまで北アメリカで原住民の割合が極度に少ないのは、イギリス人によるホロコーストともいえる原住民殺害政策の影響だと思われる。一方スペインの支配地でも、原住民の人口はすさまじく減少した。その理由は、スペイン人が持ち込んだ感染症のウィルスだったという。感染症が存在せず、したがって免疫がなかった原住民は、感染症の犠牲となって大量に死んでいったのである。死亡した原住民の割合は、90パーセントを超えるという。原住民の死亡による労働力の穴埋めは、西アフリカから拉致してきた黒人が担わされることになった。

ざっとこう見ていくと、アメリカ大陸の歴史は、白人による現地人の支配・収奪から始まり、20世紀までその構図に変化がなかったということがわかる。アメリカ大陸に形成された諸国は、白人侵略者たちによる現地人への迫害・収奪のための機関だったわけである。相対的に高い文明段階にあった民族が、低い段階にとどまっていた民族を支配・収奪するという構図は、その後、アメリカ大陸のみならず世界中いたるところで見られるようになる。白人諸国家による非白人諸民族の収奪・搾取は、20世紀の終わりごろまで、世界中のどこでも見られた普遍的な現象だったわけである。スペインによる中南米支配のシステムが、そのすべての手本となった。だからスペイン人は、すべての白人たちにとって、その手本を示してくれた先達なのである。

北アメリカが合衆国としてイギリスから独立したのは1776年のことだが、中南米諸国がスペインから独立したのは、1820年以降のことだ。それにはナポレオン戦争が大きく影響した。もともと国力が衰えていたスペインが、ナポレオン戦争を通じてじり貧状態になったことにつけこみ、中南米各国がスペインからの独立を果たしたのだった。一方ポストガルでは、一時ポルトガル王室そのもののブラジルに移転したりして、その後もポルトガル王室の分家が支配する王政が続き、それが19世紀いっぱい機能した。

スペインから独立した諸国は、長い間政治が安定しなかった。もともと堅固な政府があったわけではなく、また、国民の間に深い分断があったからだ。最上層にはクレオージョとよばれるスペイン人植民者の子孫たちがおり、最下層に原住民と黒人奴隷があった。その中間にクレオージョと現地人の混血メスティーソがいて、互いに連帯することはなかった。

そんな中で実力を発揮したのがカウディージョと呼ばれる連中である。これはエンコミエンデのボスから発展したもので、地域を支配し、独自の私兵組織をもっていた。その力を背景に互いに国家権力を私物化しようとして争ったというのが、19世紀の中南米諸国の実態であり、それは20世紀になってもなくなることはなかった。ラテンアメリカ文学の有力なジャンルとして独裁者小説というものがあるが、それはいずれもカウディージョをモデルにしているといわれる。

この本は、20世紀のことについてはごくあっさりと触れている。その中でもっとも重要視されているのは、キューバ革命の持ったインパクトと、ペロニスタをはじめとしたポピュリストの動き、そして中南米を支配しようしてさまざまな介入を画策したアメリカの動向である。キューバ革命は、ラテン・アメリカ人を団結させた効用があって、植民地主義への厳しい批判を呼びおこしたものだったが、アメリカからすればそれまで享受していた巨大な利権を失うことを意味したので、やっきになって転覆を図った。だがカストロはそのアメリカの圧力を跳ね返した。カストロが世界中に幻滅感を抱かさせたのは、その強権的な姿勢が明らかになって以降のことである。ラテン・アメリカ文学の大御所たちの間でも、カストロをめぐって対立が生まれた。ガルシア=マルケスは一貫してカストロを擁護し、バルガス=ジョサは厳しく批判するようになった、という具合である。

こんなわけで、非常にコンパクトなラテン・アメリカ史であるが、ラテン・アメリカを理解するためのカギになる情報はそれなりに盛られており、なかなか役に立つ案内書だと思う。



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